珍客

 19の頃、ネカフェで深夜バイトをしてた。

 深夜、駅前、繁華街、ネカフェ……とくれば、変な客はとても多かったわけだが、その中でもヤバかった客の話を置いていく。
 先にネカフェの仕事内容を説明しておくと、深夜帯は主に、受付、案内、清掃がメインで、基本的に客が入らない限りやることがない。
 出入りがある時以外は、バックヤードで漫画を読んだり駄弁ったりしている。
 本当はもっと色々やることがあるんだろうけど、深夜バイト風情の俺たちがそんなことをまともにやるわけもなく。
 好きな漫画の新作をただで楽しめたり、休憩中はネットも使い放題、ドリンクバーは飲み放題で、俺はこのバイトがかなりお気に入りだった。

 で、本題。
 その日は、俺と、竹中、北沢の3人勤務。
 俺たちはプライベートでも遊びに行ったりするほど仲が良く、この日も適当に業務をこなしつつダラダラやっていた。
 順番で受付役が回ってきていた俺がカウンター内で漫画を読み耽っていると、出入り口の自動ドアが開く音がした。
 俺は立ち上がって接客態勢に入る。
「いらっしゃいませ」と言って、客を見た。 若い女の子だ。
 歳の頃は、タメか少し上くらい。 明るすぎない茶髪、切長で長いまつ毛の目元。
 まるで風呂から上がったばかり……と言った雰囲気で、すっぴんな上に髪の毛がうっすら濡れている。
(おっ、可愛い)なんて思いながら「当店をご利用になったことはございますか?」と、お決まりの文句を言った。
「あっ……はい……」
 と、微かに震える小さい声で答える女性。
 財布からメンバーズカードを出そうとしているようだが、手元がガクガクと震えてなかなか出せずにいるようだ。
 しばらく奮闘していたが、途中で諦めたようで
「あの……ごめんなさい、カード忘れちゃったみたいで……」
 とまた少し震えた声で言ってきた。
「では……お電話番号で検索致しますので、こちらの太枠内のご記入をお願いします」
 と伝えて用紙を差し出すと、震える手でそれに書き込む。
 その間、上手く書けない事で気を遣っているのか、何度も「ごめんなさい……」と言ってくる。
 季節は冬だったし、見た感じ薄着だったので(寒いのかな……)と、その時はそう思った。
 ようやく書き終えた用紙を返され、「ありがとうございます。今回はこちらの用紙で結構ですが、次回お忘れになると再発行になり手数料が発生致しますので、ご注意ください」などと、またもやお決まりの文句を言いながら、PCにそれらの情報を入力し検索する。
 その間、彼女は周りをキョロキョロと見回したり、突然「っ……」と小さい声でうめいたり、耳を塞ぐような仕草をしている。
 あまりにも挙動不審で、俺は少し戸惑った。
(なんだ……? 統失かなんかか……? 可愛いのに勿体ねぇ)
 それでも、竹中と北沢に話せる良いネタが出来た……と内心楽しんでいたんだが。
 情報をPCから取り上げた俺は、女性に名前の確認をした後、「ではお席はいかがしますか?」と聞く。
 オープン席をチラッと見た彼女は、「メンテナンス中」と書かれた張り紙を確認し、「あの、オープン席は使えないんですか?」と聞いてきた。
 ちょうどオープン席の電気系統に不具合があり、業者が来るまで使えなくなっていたので、事情を説明した。
 彼女は「そんな……」と小さく呟いたが、電気が消えて薄暗くなっているオープン席を見て「じゃあ…なるべく明るい席はありますか……?」とこちらを向き直った。
 変な注文をしてくる人だな……と訝しんだが、まあ女性が一人で使うことに不安があるのかも……と思い直し、案内板の空室を示すランプを辿った。
 明るい席……と言ったら、受付カウンターに近いレーンが、照明の数も多くそれに当たるが、そこはドリンクバーも近くにありとても人気で、一番奥のブースしか空いていなかった。
「一番奥のお席しか空いてませんが、こちらでしたら受付に近くて安心かと思われますよ」 と案内してみる。
 一瞬、奥の席に不安感を示したようだったが、「そこでお願いします」と、了承を得た。
【15】と記載された伝票をバインダーに挟んで手渡す。
「ごゆっくりどうぞ」と伝えて、女性が15番ブースに消えていくのを見送ってから、受付の後ろにある扉を開けて、バックヤードで漫画を読んだりカップ麺を食べたりしている竹中と北沢に「変な客来たw」とニヤニヤしながら教えに行った。
 挙動不審のかわい子ちゃんというワードに2人して興味津々になり、いやらしい話だが、防犯カメラで見てみようということに。

 ちなみに余談だが……。
 この防犯カメラ、ペア席で×××してる様子なんかも丸見えである。
 ラブホ代わりに使うカップルもそこそこいるが、店員にはバレバレだし、ネタにされて笑われるのが嫌なら……気をつけたほうがいい。
 3人揃って防犯カメラの前に陣取り、10番台のレーンにチャンネルを合わせる。
「あー……死角になってて見えねーな」と、竹中。
 竹中の言う通り、10番台の手前のブースはかろうじて見えるのだが、奥の方は死角になっているのと暗がりなのとで、よく見えない。
 と、ここで、突き当たりの暗がりに人が立っていることに3人同時に気付く。
 15番と、向かいの25番の間に、男性らしき人影がある。
「なんだこれ?」
「気持ち悪…」
「こんな客いたっけ?」
 など、各々が口に出していた。
  流石に女性のブースの真前で立ち尽くしているのは気持ちが悪いし、もし変態的な奴ならヤバいから警戒したほうがいいんじゃないか……ということを話し合っていると、絶賛彼女募集中の北沢が、「俺ちょっとそれとなく見てくるわ」と言って、清掃用の手提げカゴを片手にバックヤードを出ていった。
 あわよくば女性の顔を拝んでやろうと言う気満々なのは、言わずともわかる。そういう奴だ。
 俺と竹中は「女ならなんでもいいのかよ、アイツはw」などと笑いながら、防犯カメラを見る。
 しばらくして画面上に北沢が現れ、男が立ってる突き当たりに向かって歩いて行った。
 14番の前辺りまで来たが、なぜか北沢はキョロキョロとしている。
 いや、お前の目の前にいんだろ……と竹中は小声でツッコミを入れていたが、その後は俺も竹中も押し黙ってしまった。
 竹中も俺と同じく、なんなのかはわからないが、得体の知れない不安と違和感を感じていたんだと思う。
 画面の中の北沢は、首を傾げ、踵を返して戻って来ていた。
 バックヤードに入ってくるなり「いなくなってたんだけど」と不思議そうにしている北沢。
 竹中が、「いやお前、変なウソつくなよ」と少しキレ気味に言うと、北沢は「どう言う意味? 嘘なんて言ってねーから」と、ムッっとした様子で答えた。
 俺は2人の間に入って一旦落ち着かせ、北沢に防犯カメラでの様子を伝えた。
 北沢は「そっちこそ変なこと言うなって……」と最初こそあまり信じていない様子だったが、自分の目で防犯カメラを確認し、変わらず15番と25番の間に立っている男を見て、顔色が悪くなった。
「え……? てことは何? 心霊的な……?」 とヘラヘラとしていたが、目には恐怖の色が浮かんでいる。
 3人の間に沈黙が流れた時、プルルルルル! と内線が鳴った。
 3人とも体をビクッとさせ、内線から一番近かった竹中が恐る恐る受話器を取った。

「……はい、受付です。……はい。……え? ……はい……? ……あ、はい……いえ。……わかりました。伺います」
 受話器を置くと、竹中が俺たちの方に向き直り、言った。
「……25番の客。隣か向かいかわからんけど、おっさんの独り言がうるさいから注意してくれって……」
 今は備え付けPCの店内メッセージで苦情や注文が出来るようになっているが、当時は各ブースに内線電話が取り付けられていて、その時の電話の内容も苦情だった。
「はぁ……!?」と、北沢が声を上げる。
「俺さっき行ったけど、人の声なんかしなかったぞ……?」
 確かに、苦情になるほどうるさいのなら、その時点で気がつかないのはおかしい。
 15番はさっきの女性客だし、14番は常連の若い男で、いつもガッツリ爆睡している。
「いびきがうるさい」ならわかるが、独り言……というのはないと思った。
 さらに、25番に隣接するブースは空席だ。となると、やっぱり……。
 竹中は、「とりあえず見てくるよ。北沢が帰ってきた後なんかあったかもしんないし。インカム付けてくから、なんかあったら言って」と言い、インカムをつけて、無線が繋がることを確認してからブースへ向かった。
 俺と北沢は、相変わらず突き当たりの男が映ったままの防犯カメラを、固唾を飲み見守った。
 画面に出てきた竹中は、スタスタと迷うことなく25番ブースまで向かう。
 画面上では、25番のドアをノックする竹中と突き当たりの男は、至近距離で背中合わせのような形になった。
「うわ……」
「これはもう確定だろ……」
 などと話している俺たちをよそに、竹中は25番の客と中で何やら話をしている様だった。
 すると、プッとインカムから音がしたかと思うと、竹中の声で「竹中です。25番のお客様をペア席までご案内致します」と流れてきた。
「了解」とそれに返す。
 25番から竹中と男性客が荷物を手に出てきて、店内奥のペア席へと向かう様子が見える。
 その間も、突き当たりの男は15番の方を向き、微動だにしない。
 俺はこの時、ピンときた。
「これ、あれじゃね? 挙動不審の子についてきたんじゃない? 怖い話とかでよくある、家で怪奇現象が起きてネカフェに逃げてきた……的な……」 と言うと、北沢が「それだ……!」と言って、驚いたような顔で俺を見た。
 この突き当たりの男は、女性客が入店してから出現した。
 女性客の挙動不審な様子も、怖いことから逃げていた……と考えれば普通のことだ。 明るい席がいいと言ったのも、霊的な怖さがあったからでは……?
 辻褄が合った……と思うと同時に、ゾワ〜っと鳥肌が立つのがわかった。
 と、そこに竹中が戻ってきた。
「とりあえず、25番の客はなんだかんだ説得して別のブース行ってもらったわ……。いいよな?」 と俺たちに伺ってきたが、「もちろんOKでしょ!」と返した。
 俺は「竹中すげぇわ。よく行けたな」と勇者を讃えたが、竹中の顔色は悪い。
 竹中は防犯カメラを見て突き当たりの男の姿を確認すると、深くため息をついて「やっぱりいるよな……」と呟く。
「25番ノックしたときにさ、背後からすんげえ嫌な感じがしてさ……。「うるせえよ」って言われたんよね……。いや、言われたんかな……もしかしたらそう呟いてただけかも……」 と、姿は見えずとも声を聞いた竹中は、すっかり意気消沈といった感じになってしまった。
 俺はそんな竹中を励まそうとして、つとめて明るく振る舞い「じゃあ次は俺だな。25番空いたから掃除してくるわ」と、清掃用具を手に取る。
 竹中も北沢も、「朝の交代の時間にやりゃあいいじゃん」と言ってくれたが、「いや、ペア席に行ってくれたお客さんにも新しい伝票渡して来なきゃだし。それに朝店長来るから、残しといたらまたなんか言われるだろ? ……大丈夫っしょ。さっさと終わらせてくる」と返した。
 何より、2人に怖い思いをさせておいて、元凶にあたる俺だけ何もなし……ってのは、なんだかすごく悪い気がした。
 内心めちゃくちゃびびってたが、「怖いからインカム越しに2人でおもろい話しててよ」とおちゃらけると、アホかお前。とかなんとか言って、少しだけ元気を取り戻してくれた様だった。

 ペア席に新しい伝票を届けた後、25番に入り清掃を始める。
 2人は無理矢理、インカム越しにテレビで見たばかりの【すべらない話】のことなどを話してくれていたが、ドア越しにアイツがいると思うと、正直頭に入ってこない。
 アルコールでテーブル、ヘッドホン、キーボード、リクライニングチェアを拭き、柄の長いコロコロでカーペットのゴミをとる。
 最後に足元のゴミ箱の中身を回収しようと屈んだ。
 ネカフェを利用したことがある人は知ってると思うが、防犯上の理由から、個室の扉は下半分が空いている。
 やめときゃいいのに、俺はその空いてる部分に目をやってしまった。
「……!!」
 思わず息を呑んだ。 ……足だ。足がある。
 つま先は15番を向いていて、こちらには背を向けている様だ。
 何故かぐちゃぐちゃに濡れたスラックスに革靴。
 ぽた、ぽた、と、何かが滴っている。 臭い。
 今まで気がつかなかったが、異様な臭いが漂っていた。
 なんだっけ? この臭い……どこかで嗅いだことがある。
 ……そうだ……買ったのを忘れて放置してあった、刺身が腐った臭い。
 そう思った瞬間、吐き気と恐怖で体が硬直した。
 だが、この時に「怖い」のピークに達した俺は、感覚が麻痺してしまったんだろう。
 好奇心が恐怖を上回り、奴の正体を知りたいと思ってしまった。
 幸いにも、奴の気は女性客に向いている。
 未だにインカムを使って話しかけてくれている2人には悪いが、まずはインカムを外してみた。
 すると、やはりというかなんというか……微かではあるが、喋っている。
  耳をそば立てて聞いていると、どうやら
「ううぅ…」「なあ」「頼むよ…」「こっち」「おい」「ふざけんなよ…」
 というようなことをぶつぶつと嗚咽混じりに繰り返しているようだった。
 低く唸る様に言っているときもあれば、高い声で甘える様に言ってるときもある。
 そして、その合間から女性客の啜り泣く声も聞こえてくる。
 可哀想に……。こんなのに追いかけられてたら、そりゃあ怖いよな……。
 なんだか急にドア越しの男に腹が立って仕方がなくなった。
 衝動的に、思い切りバン!! と、わざと音を出してドアを跳ね開ける。 静かな店内が一瞬騒ついたようになったが、またすぐに静かになった。
 勢いに任せて開けたことを多少後悔して、また怖くなった。
 が、ドアの先に恐れていた奴の姿はなく、俺はほっと胸を撫で下ろした。
 勝ったような気がして、意気揚々と清掃用具を回収しつつカウンターに帰ろうとした、その時。
 今でも覚えてる。
 今までの人生で一番恐ろしい出来事。
 吐息を感じるほどの至近距離、耳元で呻くような声が聞こえて、ドン! と背中を押された。
 そのまま前につんのめって転んだ俺は、取るものもとりあえず慌てて起き上がると、前のめりに走ってカウンターへと戻った。
 戻ると、ちょうどバックヤードから顔を出した2人が「何……? 今の……!」と真っ青な顔でこちらを見ている。
 俺は「わかんない、わかんない」と繰り返していたように思う。
 どうやら2人は防犯カメラ越しに、俺が不自然な形で転んだのを目撃していたようだ。
 とにかくバックヤードに入って再度防犯カメラを見ると、まだそこには、先ほどと寸分違わぬ姿で男が立っていた。
 俺が発した一連の動作音を不審に思ったのか、12番ブースの客がドアの外を伺っている様子もあったが、何事もなかったかのようにまた部屋に戻っている。
 どうやら、見えていない様だ。
 竹中が、「もう見るのやめよう……」と力無く言い、俺と北沢は無言でそれに頷いた。
 防犯カメラを全体に切り替えて、俺たちは意気消沈したまま業務に戻ることにした。
 北沢は俺が置いてきてしまった清掃用具を回収してくれて、そのまま受付に入り、俺と竹中はバックヤードで呆然と雑務をしていた。

 1時間程経った頃、受付で声がして、なにやら案内意外の話をしている様子が雰囲気でわかった。
 バックヤードが開き、北沢が顔を覗かせる。
「15番さんのご両親が来てるんだけど、ブースに案内しちゃっていいかな……?」
 15番……あの女性客か……。
 3人で顔を見合わせると、竹中が「じゃあ俺、案内するよ」と言って、ご両親を引き連れて15番へと向かった。
 防犯カメラで見る気は起きず、俺たちはカウンターからその様子を見守った。
 どうやらご両親と無事に会えた15番の女性は、母親と抱き合い宥められているようだ。
 竹中を含めた4人が戻ってくると、ご両親が清算を済ませて「お世話かけました……」と頭を下げてから退店した。
 最後にチラッと見た女性は、泣き腫らした顔をパーカーのフードで隠しているようだった。
 俺たちはなんとなく肩の荷が降りたような気がして、ようやく笑い合うことができた。
 北沢が、「防犯カメラ、確認してみる……?」と聞くので、俺たちは恐る恐る防犯カメラを10番レーンに合わせた。
 やはり、もうそこに男の姿はない。
「マジか、やっぱり女の子に憑いてたんか」
「こんなことってあるんだな…」
 俺たちは改めて恐ろしさを実感し、あの女性客が無事でいることを願った。

 その後、ネカフェで心霊現象が起こることもなく、バイトを辞めた今でも全員無事だし、なんなら先月竹中が結婚した。
 しかも、相手はあの女性客。
 あの後お祓いを受けた彼女は、俺たちが働くネカフェに通ってくれるようになり、竹中と意気投合。
 同棲から結婚まで漕ぎ着けたのだった。
 あの男は彼女のストーカーだった男で、自分で命を絶った後も彼女に付き纏っていたそうな。
 嘘みたいな本当の話。
 竹中の結婚記念に、今回投稿させてもらった。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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