愛しの娘

 これは、私の祖母に纏わる話です。

 私の祖母はその昔、お見合いで祖父と嫌々ながらに無理やり結婚させられたそうです。
 家は比較的裕福だったため、祖母は産まれてきた子供達の世話をほとんど当時雇っていた家政婦に任せ、子育てには消極的だったそうです。
 その為か、大の人嫌いと噂された祖母は周りと疎遠になり、祖父が亡くなった後も、大した親戚付き合いもなく、孤立していたそうです。
 そんな祖母も体を悪くし、一人での生活もままならないという状況にあってか、長女だった私の母が面倒を見る事となり、一緒に暮らす事となりました。
 当時、私は祖母の事を大の人嫌いとしか認識がなかったため、戸惑いもありましたが、共に暮らした祖母は体を悪くしていたせいか、ほとんど部屋から出る事もなく、同じ屋根の下で暮らしているにも関わらず、私は家で祖母と顔を合わせる事がなかったため、少し安堵していました。

 ですがそんなある晩の事でした。
 当時中学生だった私の部屋を、夜遅く訪ねる者がありました。
 最初は母親だとおもった私は扉を開け、部屋の前に立っていたその姿を見て驚きました。
 そこに居たのは母親ではなく、着物を着たあの祖母だったのです。
 しかも、初めて我が家に来た時、あの険しい表情をしていた祖母ではなく、にこやかで、気持ち悪いくらい柔和な笑みを浮かべた祖母の顔が、そこにありました。
「お邪魔してもいいかい……?」
 落ち着いた声。 やんわりとした穏やかな声でそう言った祖母に、私は呆気に取られながら部屋の中に招き入れました。
 部屋にあった座布団に祖母を座らせ、私は緊張しながら祖母と向き合うように座りました。
 すると祖母は笑みを浮かべたまま、 「アンタは可愛い子だね……本当に可愛い子だ、あの子にそっくりだ……」
「えっ?」
 短く返事を返すと、祖母はそれ以上は何も言わず、私の頭をやんわりと撫でてくれました。

 そんな事が、その日以来度々続きました。
 その間も、母や父からは祖母の人嫌いの話を何度か聞かされていた私は、夜、たまに祖母と会っている事を話せずにいました。
 周りの親戚からも、祖母についてはあまりいい噂は聞かなかったので、当時の私は複雑な思いでいっぱいだったのを、今でも覚えています。
 そんなある日の事、いつものように夜遅く、祖母が私の家を尋ねて来ました。
 その日の祖母はいつもと少し違って、どこか曇った顔をしており、声も何処か悲しげな声色でした。
 そしていつものように帰り際に私の頭を撫でたかと思うと、突然祖母に抱きしめられたのです。
「アンタは本当に可愛い私の娘だ。もし辛い時があったら私を呼びな、私が迎えに来てあげるよ」
 そう言って、祖母は名残惜しそうに私の部屋を出ていきました。
 そしてその次の日、事件は起こりました。
 祖母が……息を引き取ったのです。
 突然の事に家は大混乱でした。
 警察や病院に連絡し、父と母は親戚中を駆け回り、もちろん私も通っていた学校を休む事になりました。
 通夜と葬儀を行い、ようやくそれも落ち着いた頃、 葬儀の会場で、たまたま休憩室にいた私は、母が叔母夫婦と話しているのを偶然耳にしました。
「全く、長生きしたものねあの人も」
「駄目よそんな事言っちゃ」
「姉さんだってあの人には散々苦労させられたでしょ? ろくにあの人に育てられた訳でもないし、あの人から愛情なんて受けた事もなかったわよ」
「そうだとしても、一応は私達の親なんだから……」
「姉さんは相変わらずお人好しね。一緒に暮らすようになってからあの人もうボケが始まってたそうじゃない。まあ唯一の救いは、足が悪くて一人じゃ歩き回れなかったってとこかしら。徘徊でもされてたらたまったもんじゃなかったでしょ」
「もう、いい加減やめなさいってば……」
 その話を聞いて、私は愕然としてしまいました。
 足を悪くしていた?  一人じゃ歩き回れない?  そんなはずは無い……。
 祖母は一人で私の部屋へ来て、自分の足で戻っていました。
 私はそれを何度も見ています。 もう訳が分かりませんでした。
  では私が見た、話した祖母は、一体何だったのでしょうか?
 人嫌いの祖母、歩き回れないはずの祖母、そのどれもが、私の知っている祖母ではなかったのです。

 あれから数年が経ち、大学卒業後に結婚した私は、ある日母からこんな話を聞かされました。
 祖母の母親、つまり私の曾祖母にあたる人は、曽祖父の妾だったらしいのです。
 当時曽祖父と正妻との間に子供はできず、妾だった曾祖母との間にできた子供、つまり私の祖母は、正妻とその曾祖父に取り上げられ、妾だった曾祖母は家を追い出されてしまったのだとか……。
 あのような人嫌いになっても仕方の無い事なのよと、母は亡き祖母の事を思いながら、私に語ってくれました。

 さて、話は以上ではありますが、私には一つだけ懸念している事があります。
 それは亡き祖母があの日、最後に残した言葉です。
  辛い事があったら私を呼びなさい。 私が迎えに来るから……。
 なぜ祖母が私を娘と呼んだのか、なぜ歩けないはずの祖母があのように私の元へ現れたのか。 真実は未だ分かりません。
 分かりませんが、これだけはハッキリと言えます。
 私は今も、いえこれからも、祖母の名を呼ぶ事はないでしょう。
 今の幸せを守るためにも……。

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