東京の片隅。六畳一間のオンボロアパート。
遠くから聞こえる鈴虫の声に風情を感じながら オレはやっと眠りにつこうとしているところだった。
「ガン、ゴン、ガン」と、大きな足音をさせ、 アパートの外階段をあがってくる奴がいる。
「今時分、どこのどいつだ……」と思っていると、 そいつはオレの部屋の前に立ち、 「ドンドンドン」とドアをノックしてきた。
「おーい、佐藤~……いるんだろ? 俺だぁ柿田だぁ、開けてくれ~」
「柿田だって? な、なんであいつがこんな時間に?」
オレは飛び起きて、下着姿なのもかまわずドアを開けた。
そこには、すっかりおっさんになったものの、間違いなく柿田だとわかる顔があった。
「オイオイ、ホントに柿田かよ、久しぶりだなぁ……」
オレと柿田は北海道で生まれ育った幼馴染だ。
高校時代には野球部でバッテリーを組んだこともある。 オレが投手で、やつが捕手だ。
オレたちの野球部は北海道内でも強豪校のひとつとは言われていたが、 この地区にはさらに化け物の強豪校がいくつかあり、 甲子園常連はいつもそいつらに奪われて、万年敗者に甘んじていた。
高校を卒業してからのオレは、東京に出て調理師の専門学校へ通い、そのまま就職。
柿田は実家のタマネギ農家を継いで、それから十年の月日が流れていた。
「こんな時間にいったいどうしたんだよ、まぁ、汚いトコだけどあがれや」
「おうっ、土産持って来てやったぞ。ほら」
そう言うと柿田は、手に持った大きな土産袋を広げて見せた。 中には袋がパンパンになるほどのタマネギが入っていた。
「ウチで採れたタマネギだ。採れたてだぞ。大玉の最高品質のやつだ」
確かにそれは立派なタマネギだった。
まだ土がついたままの、 まさに今朝採ってきましたと言わんばかりのものだ。
一応オレも調理師免許を持つ身であるから、この素材がそこいらで売ってる 並みのタマネギとは違うことは一目でわかった。
「うわー、ありがとう。でもこれ持って飛行機乗って来たのか?」
「……」
柿田は何も言わず、部屋にあがってドッカと腰を下ろした。
「ビールしかないけど、いいか?」
「おぅ…」
さて乾杯と思ったが、残念ながらツマミになるものがない。
「そうだ、そのタマネギで一品作るから、ちょっと待ってろ」
「いや、そんないいよ」
「いいって、すぐできるから待ってろ。こんな旨そうなタマネギ、食べないわけにいかんだろ」
そう言ってオレは袋からタマネギを一個取り出すと、さっそく台所に立ちタマネギを1センチ厚の輪切りにした。
そこに爪楊枝を挿し、形が崩れないように整えてバターを落としたフライパンにそのタマネギを投入した。
じっくりと両面に少し焦げ目がつくように焼き、 そこに醤油、仕上げにコショウを振り、タマネギのバター焼きを作った。
「お待たせ。乾杯しようぜ」
「おぅ、乾杯」
「プハーッ」と一杯やったところで、 さっそくタマネギを食ってみる。
「旨い! そして、甘い! 肉厚で味が濃厚だ」
柿田の顔がニンマリする。
「そうだろ。今年はとくに出来がいいんだ。おまえにどうしても食べさせようと思ってよ」
「なんだよ、そんなことのためにわざわざ来てくれたのか? 十年ぶりに?」
「おぅ、そうよ」
なんだかジーンとして、言葉にならない。
オレは一人前になるまで北海道へは帰らないと決めてここまで来てしまったが、 柿田はどうやら一足先にタマネギ農家として成功したようだ。
「おぅ、それから……」
「ん、なんだ?」
「来年の夏、ウチらの高校、絶対甲子園行けるぞ」
「本当か? そんな強くなってんのか?」
「あぁ、とにかく打線がスゲーんだよ」
オレたちの母校の話で盛り上がる。
熱いものが一気に込み上げてくる。 時間のたつのも忘れ、オレたちは話し込んだ。
空白の十年間を埋めるかのように。
……突然電話が鳴って、オレは飛び起きた。
飛び起きた……? オレはいつの間にか眠っていたのか?
柿田がいなくなっている。
部屋の窓からはもう朝日が差し込んでいる。
とりあえず、鳴りやまない電話を取る。
「もしもし………えっ?」
それは実家の母親からの電話だった。
昨夜、柿田が病院で息を引き取った、という話だった。
オレは母親からの電話を呆然と聞きながら、 自分の部屋を眺めまわしていた。
柿田はどこにもいないし、あの大きな土産袋いっぱいのタマネギも消えている。
だが、ちゃぶ台の上にはビールの缶が置かれているし、 料理を食べ終わった後の皿も出ている。
匂いだってまだ残っている。なのに……。
「オレは昨晩いったい何をしていたんだ……」
困惑し、その場にへたり込む。 母親からの電話はつづいている。
「……ずっと入退院を繰り返してたみたいだけど、 なんかね、今年のタマネギは出来がいいから、絶対あんたに食べさせたいって いっつも言ってたらしいわよ」
「あぁ、知ってるよ。今年はすごく旨いのが出来てたよ……」
「えっ、あんた知ってたの?」
「…それから、ウチらの野球部がすごく強いんだろ?」
「えっ? えぇ、そうよ。あんたたちバッテリーだったでしょ。 だから次は一緒に甲子園に応援に行くんだって言ってたらしいわよ」
「あぁ、そうか、知ってる。知ってるよ……」
涙があふれてきて、どうしようもなく止まらない。
「ちくしょう……今頃タマネギが効いて来たぞ、柿田……」
オレは店を休んで北海道に向かうべく準備をしていた。
その時、宅急便の荷物が届いた。
受け取ってみるとそれは、柿田のオヤジさんからだった。
そして中身は昨晩見たはずの、土産袋いっぱいに詰まったタマネギだった。
…… 翌年の夏。
まるで柿田の予言が的中したかのように、オレたちの母校は初めて甲子園出場を果たした。