のるな

「もうこんな時間か、明日も仕事だし今日はこれで帰るわ」
 その日、新居祝いにと友人の住むマンションを訪れたのだが、久々の再開というのもありついつい長居してしまった。
「ああ、今日は来てくれてありがとうな、また遊びに来いよ」
「おう、しかし本当にこのマンション良いな、これで家賃安いとか最高じゃん、俺もここに引越、」
「やめとけ……」
「え?」
「あ……いや、何でもない……気をつけて帰れよ……」
「あ、ああ」
 俺はそう言うと玄関に向かった。
「あ、言い忘れてたけどエレベーターはこの時間使うなよ」
 突然玄関でそんな事を言い出す友人に俺は首を捻って見せた。
「最近夜になるとエレベーターの調子が悪いみたいでさ、マンションの管理会社が余り使わないでくれって、明日あたり業者が点検に来るんだと、それにお前ちょっと太ったんじゃないのか? 階段使え階段」
「おいおいひでえな、まあいいや、分かったよ」
 俺はそう言うと手を振り友人の家を後にした。エントランスの通路に出ると、階段の方へと向かった。だが。
「しまった……行き止まりかよ」
 どうやら階段は反対側の方のようだ。
 軽く溜息をつきながら、仕方なく来た道を引き返す。
 しかし途中まで進んだところで俺は足を止めてしまった。
 面倒くさいな……。
 ふと、近くのエレベーターが目に留まった。
「一応使えるんだし……いいよな……」
 苦笑いしつつ俺はボタンを押した。流石に最上階から下まで降りるのは骨が折れる。
 開き直った俺は、やがて登ってきたエレベーターに乗り込むと中で1Fのボタンを押した。
 ゆっくりとドアが閉まり、エレベーターが動き出す。
 13F、12F、11F、とスムーズに降りて行った。
「別に壊れてねえじゃん……」
 あいつ意地悪で階段使えとか言ったんだな、そう思った時だ。
 エレベーターの入口、ガラス越しに白い服を着た小学生くらいの少女が、俺の目に急に飛び込んできた。
  一瞬ドキッとしながらも、こんな時間に子供が出歩くなんてと思い直す。非常識な親もいるもんだ。
 育児放棄とかじゃないだろうな? そう思った次の瞬間。
「わっ!」
 10Fに辿り着いた瞬間、またもやさっきの少女が立っていた。
 しかも大きく口を開き、こちらを見ながらニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべている。
 何だ今のは……。 いや待てよ……それどころじゃない……。
 何でエレベーターより先に降りられるんだ!? おかしいだろ! そう思った時。
「ひっ!」
 まただ。9Fに辿り着いた瞬間、ガラスの向こうであの不気味な少女が大きく口を開け、笑いながら立っていた。
 絶対におかしい、ありえない……!
 全身を寒気が襲った。
 震える膝が崩れ落ちそうになり、思わず背後の壁に寄りかかる。
 8F。またもやガラス越しにあの少女が大きく口を開き待ち構えていた。
 震えが止まらなかった。しかし逃げ場はない。
 7F。口を開けた少女が、もはや当たり前の様にガラス越しに立っている。
 限界だった。
 俺は目に涙を浮かべながらエレベーターの非常通話ボタンを押した。
 しかし、ボタンは無慈悲にも何度押しても反応がない。
「くそっ! 何でだよ!」
 6F。 俺は恐怖からか反射的に顔を背けた。
 ビクビクしながら薄らと開けた目端をガラスに向ける。
 居ない? 少女の姿がない。なぜ? もしかしてもう……。
 5F。やはり居ない。やっぱりもう……。
 助かった……全身に脱力を感じその場で蹲る。
 だがその瞬間、俺はハッとして顔を上げた。
 これまで脳裏に焼き付いた少女の顔が次々と頭の中に浮かぶ。
 大きく開いた口……。
 4F。あれは何かを言っているようにも見えた。
 少女が口を開けていた最初の顔から順に思い返していく。
 3F。まっ。 て。 る。 よ。
「うわあああっ!!」
 耐えきれず俺は泣き叫んでしまった。だがその瞬間。
──チーン。
 2Fでドアが開いた。
 二十代くらいの男が驚いた様子でこちらを見ている。
 俺は慌てて立ち上がり頭を下げ急いで男を横切り2Fの通路に飛び出した。
 背後で扉が閉まる。
 俺は荒い息遣いのまま壁にもたれ掛かり、そのまま蹲った。
 余りの恐ろしさに次から次へと涙が溢れてくる。
 助かった……助かったんだ……。 しかし次の瞬間。
「うわああああっ!!」
 階下から男の断末魔の様な叫び声が挙がった。
 もしかして……さっき入れ違いになった男……。
 再び恐怖が体を蝕み、俺はもうその場から一歩も動けなくなってしまっていた。
 やがて、呆然と座り込む俺のスマホに着信が鳴った。友人からだ。
「はい……」
 力無く通話口に返事を返す。
「もしもし? さっきの悲鳴、お前じゃないんだな?」
 友人がそう聞いてきたので、俺は消え入りそうな声で返事を返した。
「ああ……」
「そうか……今警察に連絡したから……いいか? 階段を使え……分かったな?」
「ああ……」
 そう言うと俺は通話を切り、フラフラとした足取りで階段の方へ向かった。

 あれ以来、友人とは一度も連絡を取っていない。
 後にニュースで知った事だが、あの日マンションの入口で男の遺体が発見されたそうだ。
 心臓発作……一応そういう事になっているらしい……。

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