会いたくない

 月曜の朝、腹痛と共に目を覚ます。
 トイレで唸りながら、治まり次第出勤しますと会社に連絡を入れ、9時過ぎにようやく快復の兆しが見えてきたので、いつもより2時間半遅れで家を出た。
 まだ若干痛みの残るお腹を擦りながら最寄り駅へ向かって歩いていると「S君! S君!」と僕の名前を連呼する声が聞こえる。
 正面20メートル程先で見知らぬ女性が大きく手を振っている。
 春らしい薄手のコートを着たセミロングヘアの色白でスラリとした女性が、今度は「A子!A子!」と連呼しながら自身を指差し、白いスニーカーをパタパタいわせて小走りで駆け寄ってくる。
「S君久っしぶり~」
 目の前まで来て身を屈め、息を切らしながら上げた顔立ちに、中学生当時の陽に焼けた短髪少女の面影をわずかに見出だすことができた。
「うわっ! ホントにA子!?」
「そうです、A子です。おかげさまで、べっぴんさんに、なりました~」
 なかなか呼吸が整わず胸を押さえているA子に、さっきコンビニで買ったお茶を差し出す。
「いいね~気が利くね~」 と、上からの物言いで躊躇無くキャップを開け飲み始める。
 とりあえず一息付くまでA子のゴクゴクと上下する白い喉を見て過ごす。
 プハーと口を手の甲で拭い、ボトルの蓋を締めて私に返そうとするのでプレゼントするよと言うと、では遠慮なくと、いささかA子には不似合いな大きな黒いリュックのサイドポケットに突っ込んだ。
 先週末にA子の母親のお墓参りと母方の祖父母に会うために関西に来て、帰る今日、たまたま僕を見つけたということらしい。
 A子とは中学校まで一緒だったが、明朗快活な性格で男女共に人気があった。
 久しぶりに出会って、外見は大人の女性になっていたが、中身はあの頃のままな感じだ。
 十数年ぶりの再会でお互いびっくりしたのだが、僕が驚いた理由は、もう一つあった。
「いや、実は昨日、A子の噂を聞いたばっかりだったから」
「ほ~、どんな噂?」
「ああ、まあ、結婚したって……」
「そうなのよお~っ、なんとかギリギリ二十代でヨメに行けましたーって、いや、そこじゃないでしょ!」
「……幽霊、のこと?」
「それっ!」
 さっきしまったお茶をまた取り出して飲んでいる。
「披露宴に女の幽霊が現れたっていう……」
「それそれっ! ねえ、どんな幽霊が出たって?どんなことが起きたって聞いた?」
 興味津々な感じで聞いてくる様子を見ると、どうやら噂の内容はデマらしいと悟ったので『急に会場が血生臭くなったと思ったら包丁を持った血塗れの女の霊が現れて新郎を刺して云々……』という話を聞いた通りに伝えた。
「うわあ……更に物騒で怖い話になってる。私が聞いた時は旦那は刺されてなかったのに~」
 A子はふざけた感じで大げさに怖がるような素振りをする。
「刺されるも何も、そもそも幽霊が出たなんて有り得んよな」
「いや、それは出た」
「えっ……?」
「でも、色々間違ってる。旦那は刺されてないしっ!」
「幽霊……は、出たんだ……?」
「うん! 出たよー!」
 天真爛漫な子供みたいに言い放った。
「本当の話、聞きたくない?」
「すごく聞きたいけど、これから仕事……」
「私、昼過ぎには、のぞみに乗って帰っちゃうよ~?」
 上目遣いでニヤッと僕を見つめてくるので、携帯電話を取り出して、腹痛が治まらないのでと会社に休む旨を伝えた。
 実際、まだ少し痛むので罪悪感は然程でもなかった。
「じゃっ、そこのファミレス行こっか!」
 そう言いながらA子が腕を組んできた。
「いや! おい新婚!」
「興信所に写真撮られたらヤバいよね~」
「慰謝料払えるほど金無いぞ!」
 などと言いながら連行されるようにファミレスに入った。
「金無いって、さっき言ったよな!」
 A子はステーキランチBセットを前に静かに手を合わせている。
 三分前に僕の頼んだナポリタンが間違って彼女の前に置かれ「それそっち!」と強い口調で指摘してウェイターをビクッとさせた人とは思えない。
「いただきまー」
「す」を言うと同時にA子が食べ始める。
「さて、そろそろ聞かせてもらおうか」
 ステーキランチと比べると随分貧相に見えるナポリタンを啜りながら話を催促した。
「ディナーショーってのは食事の後にあるんだよ。知らないの?」
 いや、ランチだし、というかまだ10時前だしと、ぼそり文句を言って、仕方なくナポリタンを引き続き啜る。
 祖父母の家で朝食を食べたらしいのだが、痩せの大食いなのは今も変わってない様だ。
 A子はステーキランチをゆっくり楽しみながら平らげて、ホットコーヒーも良いけどなとか言いつつ、食後のドリンクはオレンジジュースを頼んだ。
「ふー食った食ったー」 と言いながらA子は腹を擦っている。
「さて、お待ちかね、ディナーショーが始まるよー」
 軽く咳払いをしてからA子がようやく話を始めた。

「私が高二の時、お母さんが亡くなって、私と妹二人をお父さんだけで面倒見るのは大変だろうと、お父さんの故郷の北関東に引っ越したのよ」
 A子の母が亡くなったこと、引っ越したことは当時僕の母から聞いた。
「祖父母のサポートもあって私たち姉妹は特に問題なく日々を過ごしてた。でも、お父さんは……」
 グラスから流れ落ちた水滴を使って、テーブルに『父』と書いている。
「もうずっと落ち込んでた。うちの親、本当にラブラブだったから。毎日行ってきますのチューしてたしね。そんなだったから、俺のせいだとか、幸せにしてあげられなかったとか、お酒飲んでは毎日泣いてた。まあ、月日が経つにつれて徐々に元気にはなったけど」
 父という字を丸で囲んでいる。
「で、月日がグイーンと流れて、私が結婚することになって、結婚式挙げて、披露宴をしたんだけど、そこでS君が聞いた噂の元になった出来事が起きたの」
「幽霊が出たと……」
「そ、出た。完っ全に出た」
 A子がストローで僕を指しながらニッと微笑む。
「披露宴の終盤、私と旦那、両家の親が並んで、うちは妹がお母さんの写真持ってお父さんの横に居たんだけどね。で、義父が挨拶をしている時に、なんかニオイがしてきたの」
「ニオイ?」
「なんというか食べ物っぽいニオイのような……でも、いいニオイとか、美味しそうなニオイってわけでもなくて、どこかで嗅いだことがあるけど、なんのニオイか思い出せなくて……」
 なぜか二人揃って鼻をクンクンした。
 隣席のモーニングセットのホットコーヒーのニオイがした。
「お父さんと妹も気にしてるっぽくて、来客やスタッフさんの何人かもキョロキョロしてて、旦那に小声で聞いてみたら、あーなんかするねって」
 旦那さんのセリフは物真似のつもりかA子は声色を変えたが、旦那さんを知らないので似ているかは判断できない。
「そしたら突然お父さんの『わっ!』ていう声が聞こえて、目をやったの」 A子が薄まったオレンジジュースをズズッと吸い、一呼吸置いてから話を続ける。 「お父さんの前に女性が立ってた。トレーナーにジーパン穿いてエプロン着けた、髪を後ろで束ねた若い女性が……」
 僕は固唾を飲む。ゴクリという音がA子にも聞こえたと思う。
「会場の調理スタッフとかかなと思ったけど、こんな主婦っぽい格好で仕事するかなあって思いながら女性の手を見ると菜箸持ってるの」
「菜箸? あの長いやつ?」
「そそ、でね、エプロンになんか見覚えがあるなって思ってたら、お父さんと妹が声を揃えて『お母さん!』って」
「お母さんって、亡くなったお母さん!?」
「そ、いっつも、体型隠しエプロン~って、秘密道具みたいな言い方しながら着けてたデニム地のエプロン姿のお母さんだった。かなり若いし、エプロンで体型隠さなくていいぐらい痩せてたけど、間違いなくお母さんだった」
 A子の目が少し潤んでいる。
「お父さんの前に立って、お父さんをじっと見つめてるの。ちょっと困惑気味の表情を浮かべて。お父さんは驚いた顔して固まってて、妹は私に向かって、母の写真と幽霊を交互に指差しながら、口をパクパクさせてた」
「周りの人ってどうなってるの?」
「ざわざわしてた。『あれ誰?』って言ってる人もいれば『えっなに? なに?』って、なにも見えてないみたいにキョロキョロし続けてる人もいたりな感じで。旦那は『あれ、お義母さん?』って」
 お母さんを指差す旦那さんを再現している。
「スタッフさんもバタバタし始めて、たぶん見えてない女性司会者さんに、たぶん見えてるスタッフさんが状況を説明してたり……」
「そりゃそんな感じになるわな~」
「そんな中、お母さんがスーってお父さんに近づきだして、顔がくっついて、キスしてるみたいになって、というか、鼻とかめり込んじゃってたけど。旦那が『うわっ!』て言いながらも『まさにディープキス!』なんて言って……」
 僕はフフッと笑った。
 直後、不謹慎だったかと思ってA子を見ると、A子も笑みを浮かべていた。
「しばらくして、お母さんがスッと離れたと思ったら……」
「思ったら?」
『会いたくなーい!!』
 A子が急に結構な大声を出したので吃驚した。店内の視線がこのテーブルに集まった。慌ててA子が周囲に頭を下げた。
「……なに? それ?」
「会いたくなーいって、お母さんが叫んだの。大きな声で。笑顔で。そしてスッ…て消えた」
 先ほどの大声の反省かヒソヒソと話す。
「会場全体に反響するぐらい。姿が見えてなかった人でもその声は聞こえたみたいで、司会者さんも『あっ?えっ!?』なんて言ってた」
 A子の声のボリュームは、もう通常に戻っていた。
「というか、突然現れて、キスまでして、会いたくないって言い放って、笑顔で消えるってなんだよって。お父さん号泣し出すし」
「ちょとショックなセリフだもんね」
「と、思うでしょ? でも今度はお父さんが大きな声で『違うんです!違うんです!』って叫びだして、それ見て義父がマイクをお父さんに渡して……」
 A子がグラス底の氷の溶けた水をズズズと啜ったので、なにか飲むかと聞いて、リンゴジュースを頼んだ。
 A子はトイレに立ち、帰ってくるタイミングでジュースもきたので「んじゃ後半の始まり~」と話を再開した。
「目と鼻を真っ赤にしながらお父さんが始めたの『え~本日は、うちの妻がご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございませんでした』って。徐々に会場のザワザワが静かになってきて、皆がお父さんに注目したの」
 僕もA子に注目した。
「妻が消える前に言った言葉、多分皆さん誤解してらしゃると思いますので、妻に代わって釈明させていただこうかと思います」
 ここからA子が父親になりきってマイクを持ったポーズで話し出した。
「先程、新郎のお父様がご挨拶をされておられた最中に、なんだか妙なニオイがするのに気が付きまして」
 例のニオイのことだ。
「隣に居た下の娘もニオイに気付いた様なのですが、見渡すと気付いてらっしゃらない様子の方もたくさんいらっしゃったので、まあ気にしないでおこうと思った矢先、妻が目の前に現れたんです。いや本当に驚きました」
 僕は話だけでも驚いたのだから、当事者、それも目の前で遭遇したときの驚愕の度合いは計り知れない。
「現れた妻は若い頃の姿でした。着けていたエプロンは嫁入りの際に持ってきたもので、見た感じ真新しい様子だったので、新婚の頃の姿です」
 秘密道具ならぬ嫁入り道具だったということかと僕が上手いこと言ったのだが、A子は無視して話を続ける。
「厳密に言うと、新婚生活二日目の朝の妻だと思います。えらく細かい日時特定だとお思いでしょうが、それには理由があるんです。あのニオイと行動と言動が……」
 話に集中していつの間にか目を瞑って聞いていたのだが、急に話が途切れたので目を開けると、A子は静かに涙を流していた。
 大丈夫かと声を掛けようとしたら、手のひらをこちらに向け、制止する様なゼスチャをしたので、そのまま聞くことにした。
「あのニオイと行動と言動が、その朝のものだったのです。私、今朝、髭を剃ってきたんですけどね、まあ、朝夕髭を剃るのが日課なんですが、当時は夜だけ剃っておりました。寝起きが悪かったこともあり、朝剃る時間なんて無かったんです」
 僕も同じ理由で夜だけ剃っている。
「新婚生活最初の朝、出掛ける直前、妻がキスをしてきたのです。そしたら『痛っ!』と叫んで飛び退いたんです。どうやら微妙に生えかけた髭がチクチクと妻に刺さってしまったようでした」
 その状況は僕にも心当たりがあった。
「それが原因で新婚生活最初の朝は、なんか変な雰囲気になってしまいました。それで翌朝、私は早めに起きまして、朝の苦手な私に取ってはもう大変だったんですが、なんとか起きて髭を剃りました」
 僕は顎を擦った。ザラザラしている。
「妻はというと、私よりもっと早く起き、近所の義父の竹林で私の好物の筍を灰汁の少ない朝のうちに掘ってきて、台所で糠と共に茹でておりました。そのニオイが先ほどのニオイだったのです。菜箸を持っていたのもその為です」
『筍を糠で茹でるニオイ』
 なるほどA子の説明にしっくりくるニオイだ。
「妻は、私の髭剃りには気付いていませんでした。そして出掛ける前のキスの時、妻は髭に警戒してなかなか近づいて来ませんでしたが、試してごらんと促すとキスをしてくれました。その時……」
 声は震えたりせずしっかり話しているが相変わらずA子は涙を流していた。
 そして大きく息を吸って何かを叫びそうな気配がしたが、ハッと周囲を見て軽く首を横に振りながら余分な息を吐き、話を再開した。
「『あ、痛くなーい!』と妻が叫びました。それが先ほどなぜか再現されたのです。そして、その日以降、私は朝にも髭を剃るようになりました」
『会いたくない』ではなく『あ、痛くない』だった。なにか僕自身の誤解が解けたかのようにとてもホッとした。
「それにしても、妻がこのタイミングでなぜ出てきたのか分かりませんが、新郎新婦が新しい生活を始めるにあたり、私達はこんな感じだったと見せたかったのか、貴方達よりラブラブだったんだからと見せ付けに来たのか……妻は負けず嫌いな所がありましたから、後者の理由かも知れません」
 そう言えばA子も負けず嫌いな所があったが、母親譲りということか。
「妻と過ごした時間、幸せな日々でした。今日という日も妻が居ればと思いながら想いを馳せておりました。が、まさか会えるとは思っていなかったので本当に良かったです。そして願わくば、もう一度、いや、頻繁に会いに来てくれたら何よりですが……」
 A子はポロポロ涙を流している。よく考えたらA子が泣いているのを初めて見たかもしれない。
「せっかくマイクを貸していただいて、私の惚気話をしただけではあれなので、新郎新婦にアドバイスでも……」
 A子は改めて姿勢を正した。
「朝に髭を剃るのも、朝に筍を掘るのも、お互いを思っての行動です。そんな風にいつまでも互いを思いやる気持ちを忘れずにいれば夫婦生活きっと上手くいきます。そして健康に気を付けて頑張ってください! 以上です! 本日は混乱を招いてしまいまして申し訳ございませんでした! そして、ありがとうございました!」
 A子が頭を下げた。最後は言葉が震えていた。
 A子は頭を上げない。でも今上げてもらっても困る。
 僕はその間に涙や鼻水を紙ナプキンで処理した。
 顔を上げたA子は笑ってしまうぐらい涙と鼻水に濡れていた。
 そんなA子に、あんたは花粉症のウサギか! と突っ込まれ、処理は無駄に終わった。

 父親のスピーチの後、会場は拍手や歓声や嗚咽が入り交じった状態なり、なぜか司会者が一番号泣するという事態に陥っていたので『司会者泣き止み待ちの為』という臨時ご歓談タイムが設けられたという。
 ドタバタしたものの無事に披露宴を終え、出席者からたくさん激励をいただいたと話している頃にはA子の表情も晴れやかになっていた。
 そしてまだ腹を擦っている。
「どんだけ、腹一杯食ったんだよ!」
「二人分栄養がいるのよ!」
 そう言いながら、お腹にやさしい眼差しを向けている。
「おめでた?」
「五ヶ月でございます」
 A子から『出産前祝』なる謎の祝儀を徴収され、他愛のない雑談を続けて後、昼食に訪れた人たちと入れ違うように店を出た。
「久しぶりで楽しかったよ! ありがとね」 と、微笑むA子の少し膨らんだ腹部に目をやる。
 スニーカーを履いてることや、コーヒーを避けたことも今更納得した。
 A子がリュックを下ろし、そこから筍を二本取り出し、レジ袋に詰めて僕に持たせた。
「じいちゃんが朝掘ってくれたやつ。なるべく早く茹でて!」
 そして小分けにした糠も一つくれた。
「今から帰って茹でるよ」
「はあ~ちょっと軽くなったー! じいちゃんがリュックごとくれたんだけど、身重にはきついっての!」
 担ぎ直したリュックの重さを軽く屈伸して確かめている。
 連絡先を教えてということで、住所や電話番号、メールアドレスを交換した。
「あのさ、A子の噂を教えてくれたヤツに今日聞いた本当の話を伝えとくよ」
「え?」
「変な噂を正したい」
「おー、ありがとう! 刺された旦那も浮かばれるよー」
「いや、その言い方がまた誤解を生むから! まあ、まかせといて!」
 そう言って握手をしようと手を出したらA子が両手を広げたので、ふんわりとしたハグをして、また興信所の冗談を言いながら改めて握手を交わした。
「産まれてくるとき、菜箸持ってたら面白いけどね」
 あんな話を聞いた後だと生まれ変わりも普通にあるように思えた。
 軽く会釈をしてA子は駅に早歩きで向かって行った。
「出産がんばって!」
 そう声を掛けると、振り向かないままA子は腕を目一杯挙げて親指を立てた。

 どこからか舞ってきたソメイヨシノの花弁が黒いリュックの上に乗った。
 帰宅して早速タケノコを茹で、灰汁を抜いている間に僕に噂を伝えてきた旧友に電話で真実を伝えた。少し話を付け加えて。
『結婚式場が風評被害にあったということで損害賠償請求するため、嘘の噂を広めた最初の人物を探してるらしい。お前に噂を教えたヤツにもこの話を伝えて。伝達を止めたヤツが最初の人物認定されるから気をつけて』
 僕の完全な作り話だったが、思惑通り、かなりのスピードで噂が修正されていき、暫くしてA子の元にも修正後の噂が届いたと連絡が来た。
「なんか、この話を聞くと良縁に恵まれるらしいよ~」
 伝わって行く途中で新たに付け加えられた噂にA子が笑っていた。
 その後、出産したであろう時期には特に連絡はなかったが、年が明け、届いた年賀状を炬燵で読んでいるとA子からのものがあった。
 旦那とA子と女の子っぽい子供の連名での宛名面を裏返すと、その三人の幸せそうな写真がプリントされてた。旦那は超の付くイケメンだった。
 顔に被らないスペースに直筆でA子からのコメントがあった。
「菜箸は持ってなかったけど、産まれた時、分娩室中に筍を茹でるニオイがしました。お医者さん達が変な顔して鼻をクンクンしてたよ(笑)」
 きっとお母さんはA子の子として生まれ変わったんだろうなと写真を眺めながら微笑む。
「誰から?」
 対面でテレビの初詣中継を視ていた彼女が聞いてきた。
 彼女の方に年賀状を向ける。
「例の会いたくなーいのA子」
「ああ、この人なんだ! てか、旦那さんすごいイケメン! 素敵!」
 僕は少しムッとした。 彼女が年賀状越しに僕を覗き見る。
「でも私は、このフツメンが好きなんだよね」
 そう言いながら彼女は両手を伸ばして、今朝髭を剃った僕の頬を包むように優しく撫でた。
 その後、酔った勢いでA子とハグしたと口を滑らせ、新年早々大げんかしたことは、正月が来る度、妻にいじられ続けて今に至る。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ
朗読: 朗読やちか

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