日も暮れかける夕方、私は毎日散歩に出かけます。
今年から飼い始めた芝犬の散歩のため、慣れ親しんだ近所を30分ほど歩き回る訳です。
そして家から十分ほど歩いた先の保育園に沿った道で、毎日、其れを見かけます。
20mほど先、電柱の影、シルクハットに燕尾服を纏った人影。
しかし近づけばその男は消えてしまうのです。
ええ、目の錯覚。その通り、歩み寄り視界が明瞭になれば、そんな男は居ないんです。
しかし不思議なことにその電柱の裏を覗けば、何も無いのです、燕尾服の男と錯覚するようなものが、何も。
保育園の水色のフェンスがあるだけで、私はおかしいとは思いながらも、結局のところ目の錯覚と決定づけて半年ほど散歩を続けていました。
しかし先日の事です。
その日は夕方に眠りこけてしまい、完全に日が落ちてから散歩に行くことになりました。
冬の寒さに身を震わせながらも道を行き、いつもの通り角を曲がり、保育園沿いの道、先を見れば……街灯に照らされた電柱……その影、いつも通り男が見えました。
夜中な事もあってドキリと心臓が脈打ちましたが、それも一瞬の事で「暗くても同じ錯覚はあるのだな」と考えて心を落ち着ければ電柱から目を逸らし、道を進みました。
電柱を横切り、5歩。
『ねぇ』
高い声でした。ボイスチェンジャーを使っているかの様な。
反射的に振り向けば、街灯に照らされ、燕尾服にシルクハット被った、オカッパ頭の日本人形が目に入りました。
あまりにミスマッチな服装と、此方を見下ろす無機質な瞳、そして人形の軽く空いた口の中が、まるで生きた人間の様に生々しかった事を覚えています。
恐怖に身体がすくみ動けないでいると、人形はまた言葉を発しました。
『昔々、あるところにおじいさんと、おばあさんと、お兄ちゃんと、美味しくて、幸せな指の形、ありがとう、川へ首刈りに、田中のおじさんの右耳が流れて、おかあさん、猿の手を一つくださいな』
というような、何か、異様な、しかし元は『桃太郎』であるような話を語り出しました。
私はこの話を聞くうち意識が混濁として行き、頭が真っ白になって全ての感覚が失われていくようでした。
次に私が気が付いたのは、飼い犬が鳴き声を上げた瞬間でした。
人形は消えており、スマホを確認すれば3時間が経過していました。
何もかもが理解できず、ただただ身を震わせる恐怖に脱兎の如く逃げ帰りました。
以降は例の電柱の影のある道を外して散歩するようになり、それ以降は怖い思いはしていません。
私の恐怖体験は以上です。
……しかし、つい思い出してしまうのです。
シルクハットに燕尾服の日本人形という出立ち、唾液に濡れた歯と舌の覗く生々しい口内、意味不明の桃太郎。
その印象の強さ故に深く刻み込まれたこの記憶は、今現在も、そしてきっとこの先も、私の脳裏にあの日の体験を鮮明に蘇らせるのです……。