幽霊哀歌~因果篇~

 因と果により、応じて報ずる 因果応報について、話した時、知ってる人がこの様な事を言ってました。
 これは、その因果についての話です。

 この話は、怪談なのか、不思議な話なのか、ただ単に、罰が当たったのか、正直、どれでもないかもしれませんし、どれでもあるような気がします。
 知り合いの神主曰く、「あいつは要領がいいからなぁ…。」
 知り合いのお坊さん曰く、「頭がよくとも、心が伴わないからな。」
 知り合いの医者曰く、「甘やかすなとは言わないが、敬う心がないな。」
 当時の担任曰く、「外面はいいけど、ねぇ。」
 共通の知り合い曰く、「いい奴ではあるんだがな。」
 と、まぁ、これは、私が覚えている限りの当時、よく聞いた言葉でした。

 この話は、最も身近な人間、家族の中の兄の話です。 で、どれだけフリーダムな人間か、ちょっと説明しておきます。
 この兄は、いわゆる祖母の「長男教」の影響を受け、長男なんだから、何をしてもいいし、他の家族に人権なんかないから、好きにしていい。
 むしろ、弟とは、自分の目的を遂行する為にいるといった感じの教育を受けてました。
 その為、アニメの録画の為の、4日間の徹夜や、借金の身代り、不利な条件での交渉事の矢面には次男である私が立っていました。
 そのせいか、私の方にはいい意味でも悪い意味でも人の縁というものが沢山作られました。まぁ、悪い意味でのほうが多かったんですがね。
「なぁ、にいちゃん、やめようよ。怖いよ!」
 当時、小学生低学年の私は、二つ歳の離れた兄に連れられ、近所では有名な神社の境内、のその奥にいました。
 常識的な人からすれば、其処が、いわゆる神様のおわす場所だといえば、どれだけの場所に私がいたか、解ってもらえると思います。
「うるせぇ!そこに生えてる草を持ってこい。そうしないと、後で酷いからな!」 と、当時の兄は嬉々とした表情で言っていました。
 この兄は、どういえばいいのか…。
 生き物を集めるのが趣味で、昆虫、植物、魚、爬虫類、その他、何でも珍しい生き物がいたら、捕まえずにはいられない性分で、随分と、周りに迷惑をかけていました。
 で、なぜ、集めるのが、と書いたのには、理由があり、獲得した獲物には全く興味を示さず、だが、独占欲はすさまじくという状態だったので、捕獲されたまま、世話も何もしてもらえず、、息絶える生き物たちが多数、いました。
 私は、そんな生き物たちが不憫で、隙を見ては生息地に返せるものは返していましたが、流石に、禁足地と言われる土地や、海外には行くことが出来ず、死にゆく小さな生き物たちに謝る事しかできませんでした。
 今思えば、この経験が、私の霊感が目覚める原因であり、生き物を飼うという事が好きではなくなった一因だったと思います。
「おい、クソ坊主!凝りもせず、また来たのか!」と、近所に住んている神主さんに怒鳴られる私。
 それはそうだと思うのです。神社の、神様がおわす、立ち入り禁止区域で、しかも、禁忌の最上級の無為な殺生を働いているわけですから、怒らない方が異常です。
 そうやって、頭にゲンコツや、お払いという名の説教をしこたま受けさせられ、両親を呼ばれ、再度きつい折檻と共に頭を下げている私と両親を尻目に、その主原因は祖母に守られ、確保した獲物を片手に鼻歌交じりに自宅で遊んでいるのが日常でした。
 そんな中でも、月参りのお坊さんに悩みを打ち明け、「僕、仏様とか神様に怒られるの?」と涙交じりに相談したところ。
「真に謝罪の気持ちがあるのなら、亡骸でもいい。その地に戻し、弔ってあげなさい。事情はなんであれ、心からのお悔やみと、謝罪があれば、許してくれるかもしれない。神様も、仏さまも、ちゃんと天から見てらっしゃるから。」と言われました。
 当然、その元凶の兄も、そのお坊さんに色々と言われますが、「はーい、反省してまーす。お化け出たら、又相談しまーっす」と命に対しての真摯な思いは全くありませんでした。
 それどころか、その相談をした私に対し、「お前、面倒なこと言うな!お前が捕まえてきたんだし、お前が全部悪いんだからな!」と言われました。 そして、その時はきました。

 私は、強制的に付き合わされたのですが、兄と、その友達が遠征計画を立てていて、それに私も組み込まれていました。
  小学生とはいえ、スポーツ自転車で、約半日ひっきりなしに移動してようやく移動できる距離です。
 当時の私は、同然、付いていけないと主張しましたし、兄に甘い両親も流石にダメだといいました。
 が、祖母がそれを遮り、当日、私の参加も決定されてしまいました、今思えば、何の権利があって、それを言い放ったのかはわかりません。
 これを書いている時には、すでに他界し、この世にいませんですが、今、この場で生きていたら、顔面に拳で一撃処か、往復で食らわせてもおつりがくると思います。
 まぁ、この決定がなければ、先の結果なんか、解らなかったと思いますが。
「お前は、荷物置いて、あっちの林の中に行ってこい」と、いつものようにいわゆる禁足地へと送り出されました。
 しめ縄の向こうに広がる手つかずの自然の中に、珍しい植物が生えているのは良く聞く話です。
 ですが、その日は、私もいい加減、嫌になっていたので最後の最後まで逆らいました。
 そりゃそうです。兄よりも怖い神様や仏様に怒られるような事をしているわけですから、逆らうのはある意味、当然ですし、恐怖が先に立つのは仕方がない事だと覚えています。
 しかも、当時を思い出すと、背中のざわざわした、霊や、その類がいるのが本能的にわかっていたからだと思います。
 現在の私も、霊の類がいるといわれる所に行くと、背中がどうにもざわざわとした感覚に襲われます。
 正直、これがたたりなのか、それとも、そういう所に出入りし過ぎたため、身についた感覚なのか、よく解っていませんが…。
  …ただ、この時の私には、その兄が、どれだけ傍若無人かが、読めていなかった。
 というより、そこまでひどい事をするとは思っていなかった、というのが本音の所です。
 兄の滅茶苦茶な要望をできるだけこなしつつ、くたくたになった私に、兄が、非道な事を仕掛けました。
「あ、お前のカバン、もっていくからな。悔しかったら追いついてみろ。まぁ、お前なんか死んでも誰も悲しまないから、ここで死んでくれてもいいからなぁ。」
 いつの間にか、私の荷物が全て入ったリュックサックを持ち、自転車に乗り込んだ兄とその友達たちが笑いながら、私を見ていました。
 その中には、私が乗ってきた自転車の鍵も、地図も、お金も全部入っており、文字通り、その当時の私にとっては生命線ともいえる物を全部取り上げられました。
 そして、さらに、 「お前の自転車、鍵を追加しておいたからな。それをそこに置いて帰ったら、母さんたち、めっちゃ怒るぞ~。持って帰れよぉぉ!」 と、小学校低学年には折る事も、切る事もできない太さの木にワイヤーチェーンで括りつけられた自転車を見せつけ、私を置いて帰っていきました。
 大人になった自分から見たら、そんな事、理不尽な事だと言い切れるのですが、当時の私は、親に怒られたくない一心で、あの手この手で何とかしようとしていました。
 …そんなことをしていれば、当然といえば当然ですが、時間が過ぎ、夜になるのは仕方がない事だと今でも思います。
  …泣きながら、でも、子供の知識と、親に怒られるという思いから、完全にパニックになっていた私には、あの時、見えた小さな光は…、今思えば、何かの導きだったのかもしれません。
 真っ暗な夜の闇の中、その小さな光に導かれ、歩いていくと…。こういうと、不幸だと思われますが、轢かれました。それも、パトカーに。
 …向こうからしたら、突然、木々の陰から小さな子供が飛び出してきたわけですから、よくもまぁ、死亡事故にならなかったなと、今更思うわけですが。そして、気がついたら、救急車に乗せられていました。
 搬送された病院で、治療を受け、一日の経過観察入院を申し付けられました。
 駆けつけた別の警察官に色んな事を聞かれましたが、住所と電話番号を伝え、どうしてこうなったのかを話しているうちに、両親が駆け込んできました。幼い私は、叱られると思い、「ゴメンナサイ、ごめんなさい」と繰り返していましたが、意外にも両親とも、優しく、そして、慰めてくれました。
 そして、自転車の回収も済み、私の転院手続きも済み、経過観察ののち、自宅に帰りましたが、その時、家の雰囲気が違っているのに気がつきました。
 兄は、なぜか両腕にギプスをつけており、私を憎しみの目で睨んでいました。
 今にして思えば、両親が反対した場所に連れていき、そして、置き去りにした事がまるわかりな訳ですから…。
 いかに祖母が言いつくろおうが、一歩間違えば、殺していたことを許せるはずがありません。
 で、兄の両手のギプスなのですが、話を聞くと、どうも、帰りの道で車に轢かれたそうです。
 それも、兄が自転車のハンドルを急に切ったため、少し後ろを走行していた車に自転車の前輪が接触。
 跳ね飛ばされて、ガードレールに両手をぶつけ、骨折したとのことでした。
 両親とも、この日の事はよく覚えており、同じ日に別の所で自動車事故を起こせば、パニックにもなろうというものです。
 当時、携帯電話などもなく、兄の容態を確認しに行った両親が帰ってきたら、今度は私の方も事故で担ぎ込まれたとなれば、仕方がない事でもありますが。
 ですが、兄は反省しませんでした。
 私がこの件以降、トラウマとなり、一切、付いてこなくなった事と、両親の、特に母親の締め付けが厳しくなったこともあり、一人で行動することが多くなりました。
 この件以降、月参りに来た御師様に相談したところ、「あいつには、今まで殺した生類の恨みつらみがたたっておる。将来、因果応報が返ってくるから、もう、ほおっておきなさい。」と言われたり、禁足地を荒らされ、怒っていた神主様も、「立場上、怒らなきゃいけないが、次男、お前は、失った命に対して、礼節をわきまえ、その命に対し、深い悲しみと心からの謝罪をした。だが、兄は、それをしなかった。…あれは、もう、私の手には負えない。いつか、酷い目の合うと思うぞ。因果応報、だな。」と言われました。
 当時の、兄は、その忠告に対しても、「そんな物、ないし、あったらあったで、きやがれ、ばかやろ」といい放ち、祖母も、「この子以上に尊いものはない。それに祟るのなら、どんな神も仏も、信心なんかもつ必要なし」と言い放ち、兄の棒弱無人を放置しておいたそうです。
  …この結果が、目に見えるまで、長い年月がかかりましたが、今の私は、思います。
「真綿で閉められるような、気がつかないうちに祟られて、それも認められない奴の末路って、悲惨なもんだなぁ」って、そして、こういうと賛否別れると思うのですが、「健康って、何物にも代えられない、大切なものなんだなぁ」という事です。
 この続きは、数十年後の話、応報編へと、続かせてもらいます。

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