廃神社で見たモノ

 1年前のある夜、古びた神社に足を踏み入れた青年がいた。
 彼は大学生で、学校が夏休みに入ったため、両親とともに父方の実家に帰省していたのだ。
 神社はその村のはずれ、鬱蒼とした森の奥にあり、長い間人々に忘れられていた場所だった。
 青年は冒険心からこの場所を訪れたのだが、深夜の静寂に包まれた境内に不気味さを感じ始めた。
 やがて、青年の背後からかすかな足音が聞こえてきた。
 振り返ると、白い着物を纏った女性の幽霊が立っていた。彼女の顔は蒼白で、目は悲しみに満ちていた。
 幽霊は青年に向かって手を伸ばし、何かを囁いた。しかし、その声は風に紛れて聞き取れなかった。
 青年は恐怖に駆られ、神社から逃げ出そうとしたが、足が動かない。
 幽霊の手が青年の肩に触れた瞬間、彼の視界は真っ暗になり、気を失った。

 目を覚ますと、青年は神社の外に倒れていた。
 夢だったのかと思ったが、肩には冷たい手の跡が残っていた。
 いま思い返すと、あの聞き取れなかった声は「助けて」という哀切な言葉だったのかもしれないと、彼はなんとなく感じた。
 そのことも含めて、昨夜遭遇した出来事を祖父に話してみる。
 変な場所に行くんじゃない、などと怒られると思っていたが違った。
「本当か、おまえ、あそこで女の人を見たのか? その人、どんな見た目だった?」
 そう、血相を変えて尋ねてくるのだ。
 驚きながらも青年は、黒髪が肩まで伸びていたとか、背は低かったとか、鼻筋がクッキリしていたとか、頬のあたりに黒子があったとかなど、覚えているかぎりの情報を答える。
 すると、祖父は悲痛なため息をついた。
「そうか……。Aちゃん、まだ、あそこに囚われたままなのか……」
 涙目になって、Aという女性の名前を口にする祖父。
「え、どういうこと? Aって誰?」
 そう問いただすと、祖父は潤んだ瞳でじっと青年を見つめ、こう語ってくれた。

 ずっと昔。祖父が、まだ若かった頃の話だ。
 祖父は、村に住む幼馴染みのAという女性と仲が良かった。
 ほとんど惚れ合っていたと言ってもよく、「嫁に来い」などと冗談交じりに言ったこともあったそうだ。
 きっと、このまま彼女と結婚するのだろう。 そう思っていた矢先、悲劇が起こる。
 その村では10年に1度、あの森の奥の神社に祀られている、「ツガエさま」という神様だか化け物だか分からない存在に、18歳の女性を生け贄として捧げる風習があった。
 社の中に女性を入れ、毒草を煎じた液体を飲ませる。
 そして亡くなった遺体を、境内のどこかに埋めるのだ。
 そうすることで、その女性の魂は10年間、次の生け贄が捧げられるまで、ツガエさまのもとで身の回りの世話をするなど、その存在に奉仕をさせられるのだという。
 もう、本当にAちゃんに結婚を申し込もうか。
 祖父が決心しかかっていたとき、不幸なことに、その年が生け贄を捧げる年に被ってしまった。
 しかも、Aはちょうど18歳になったところだった。
 生け贄は、村の偉い人たちがクジを引いて決める。
 祖父はAを失いたくない一心で、「どうかAだけは見逃してくれ」と、クジを引くお偉方に泣きすがった。
 しかし、娘を生け贄にしたくないのはどの家も同じ。
 Aだけを贔屓することはできないと突っぱねられ、公平に選定が行われた。
 そして、Aが選ばれてしまったのだ。
 祖父は、いっそ村から逃げようとAを説得しようとした。
 しかしAは、 「そんなことをしたら、私の代わりに誰かが犠牲になる。村のしきたりだし、決まってしまったことだから、受け入れるしかないわ」
 そう言って、悲しむ祖父に笑いかけ、生け贄として身を捧げた。
 Aが捧げられてから数年後、村に転機が訪れる。
 当時、日本は近代化が進んでいて、その波が村にも及んだ。
 生け贄などという野蛮な風習は中止するようにと警察から厳しい命令があり、それからツガエさまへの生け贄は捧げられなくなってしまったのだ。
 あと少し日本の近代化が早ければ、Aは亡くならずに済んだのに。
 そう、祖父は恨んだという。
「あれから、新しい生け贄が捧げられていない。つまり、Aちゃんは未だに誰にも代わってもらえず、ツガエさまのところに囚われてるんだ」
 頭を抱える祖父に、青年が問う。
「なに、そのツガエさまって?」
「さあ、ワシらが子どもの頃には、もう当たり前の風習だったからなぁ。なんでも、江戸時代に村が飢饉で苦しんでいたとき、ツガエさまが村長の夢枕に立って、神社の建立と生け贄を命じたとか。言われた通りにしたら、その年は豊作になったということで、ずっとその風習が続いたらしい。まあ、警察に言われて生け贄を止めた後も、たいしたことは起こらなかったけどな。ああ、若い連中が皆都会に出て、村が衰退したってのはあるが」
「そ、そっか……」
 それまで神様だとかオカルトだとかに懐疑的だった青年は、そのような風習が実在したことや、自分がAという女性の幽霊を見たかもしれないという可能性に、背筋がゾクリとする。
 もし祖父の推測が本当だとすれば、あの幽霊が助けを求めていたのではないかと自分が感じたことにも合点がいく。
「どうにか、成仏してもらいたいなぁ……。不憫にな、Aちゃん……」
 その場で膝から崩れ落ち、両手を合わせて涙ぐむ祖父。
 青年は優しく、その肩に手を置いた。

 これが、青年が私に語ってくれた話である。
 不敵な笑みを浮かべる彼と私の間は、無機質なアクリル板によって遮られている。
 この青年は、殺人と死体遺棄の罪で逮捕されていた。
 殺されたのは、18歳の女子高生。遺体遺棄現場は、彼が言った廃神社の境内だった。
 オカルト雑誌の編集者である私は、この事件に興味を抱き、ダメ元で獄中の彼に取材を申し込んでみた。すると、面会しても良いとの回答が返ってきたのだ。
「それで、どうして殺人を犯したのですか?」
 私が訊くと、青年は一瞬ポカンとした顔をしてから、また不敵な微笑に戻った。
「だって、可哀想でしょう、Aさんって人。祖父も悲しんでたし、成仏させてあげたいなあって思って」 「それで、新しく生け贄を捧げたと?」
「そうだよ」
 冷や汗で背中を濡らす私とは対照的に、青年は何食わぬ顔で頷く。
 メモを取る指が震えた。
 幽霊を哀れんで、殺人を犯す。そんなことが、本当に起こりえるのだろうか。
 胸を覆い尽くすその疑問を、青年への質問に変換しようと考え込んでいたが、それを待たずに青年は言った。 
「ああ、でもさ。俺、けっこうな懲役喰らっちゃったよね。次の生け贄、用意できそうにないな。ねえ、何か良い方法ない?」
 私は絶句した。
 おそらく、彼が見たのはAという女性の幽霊ではないのではないか。
 その姿形を借りて現れたのは、もっと別の恐ろしい存在。
 そう、「ツガエさま」なのではないか。
 その悪しき存在は新たな生け贄が捧げられないことに不満を抱き、たまたま廃神社を訪れた青年を操ったのではないか。
 いや、もしかしたら、その神社を訪れようと思ったことさえ……。
 私は、青年から見聞きしたことを記事にするのは止めようと思う。
 もし記事にして公開すれば、読んだ誰かが興味本位で、その廃神社を訪れるかもしれない。
 そしてその人間がまた、新たな生け贄の調達をさせられてしてしまうかもしれないと思ったからだ。

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