私にはどうやら霊感というものがある。
昔からずっと他の人には見えないモノを見てきた。
それらは、時に酷く凄惨な状態で、時に普通の人間と変わりなく、確かに存在している。
頭が半分砕け散った状態で、交差点の真ん中で俯き続けているあの子も、
住宅街の一軒の玄関前で立ち続ける彼も、
特定の男性の背後に鬼の形相で張り付き続ける彼女も。
初めてそれに気づいた時は、どうしようもなく恐ろしかった。
だが気づいてしまった以上はどうすることも出来ず、見えないふりをし続けることしか出来なかった。
彼らが見えても、私には何も出来ない。
彼らに触れることはおろか、話しかけることさえも出来ない。
きっと彼らは他者からの認知によってのみ、そこに存在する事が出来るのだろう。
だが見えなければ、存在しないのと同じだ。
否定してしまえば、存在は抹消される。
彼らを、酷く哀れだと思う。
誰からも認知されず、誰にも理解されず、ただ、そこに存在するだけ。
彼らの目的は一つだ。
誰もが、生前の強い思いを成し遂げようとしている。
交差点の子供は俯きながら母親を呼び続け、
玄関前の男は家族の安否を願い続け、
背後に張り付く女は、その人物の死を願っている。
彼らは私と同じだ。
学校のクラスの中は、まるで私だけが居ないようだった。
同級生はもちろん、教師まで私の存在が無いことのように振る舞っていた。
それは社会人になっても変わらない。
私は存在せず、私が居なくても全ては成立してしまう。
いつしか私は、私以外が存在しないかのように、周りを否定していた。
幽霊も人間も同じだ。存在を認めなければ、そこにいないのと同じ。
そして彼らと同じように、私にも成し遂げたい悲願がある。
死んだ人間を観測することは私にしか出来ない。
例え他の誰かに見えたとしても、観測は存在の証明にはならないのだ。
そう、彼らは見えているだけ。
もしかしたら、私が自分で作り出した幻影に過ぎないのかもしれない。
本当に存在するのかすら疑わしい。
どうしようもなく恐ろしかったはずの彼らは、
しかしその存在を否定してしまえばなんてことはない。
私に、そんな彼らを救うことなど出来ない。
だから私は、私から彼らを否定することを選ぼうと思う。
そうすることで、どうしても否定できなかったことへの決着がつく。
唯一、完全に存在の証明が出来てしまうもの。
それは、周りの存在への疑問を抱いている”自分自身”という存在。
私という存在が無くなれば、悲願が果たせず苦しむ彼らも、
ずっと闇の中にいる私も、救われる気がするのだ。
最後に耳にした音は、強く風を切る音と、鈍く湿った大きな重い音。
これで私は、彼らという存在、そして私という存在を完全に否定出来る。