供養

都内某所にある葬儀式場。
そこは、半地下になった場所へ降りると、駐車場と40名くらいが座れる小振りな式場が複数並んでいる、そんなところです。
これは、その葬儀式場で起きた、少し心暖まるお話です。

今これを書いている私自身、もう長いこと葬儀の業界で働いてきましたが、この話は私が経験したことではありません。
フリーで色々な葬儀社の手伝いに行く女性人材スタッフが、ある葬儀社に勤める方から聞いた話で、私は彼女から聞いたに過ぎません。
ただ、とても心に残る話だったので、差し支えのない程度に紹介したいと思います。
ある日、その葬儀社の職員さんは1件の葬儀を担当することになりました。

お通夜も無事に終わり、遺族や弔問客はみな、お清めと呼ばれる食事の席へ移動した後で、式場には誰もいない、そんな時間帯でした。
それでもお通夜の日には、何かの事情でかなり遅参する弔問客もいるので、彼は式場に残っていたそうです。
片付けや、明日使う備品の準備なども終わり、後は食事の席についている住職がお帰りになれば喪主様に挨拶をして自分も会社に戻るばかりでした。

そこで彼は仏様の納められたお棺が安置されている式場で1人、静かに立ったまま、住職が来るのを待っていました。
しばらくすると、遺族の振る舞いを受けた住職が1人で式場に入ってきました。
どうやらお清めの部屋で親族からの見送りを受け、帰るところだったようです。
これは、どのお坊さんも大抵はそうするのですが、帰る前にもう一度故人の前に来て、手を合わせて行かれます。
今回のご住職もその例に漏れず、帰る前に線香を手向けに来たようでした。

住職は線香を立て、机の上の小さな鈴を鳴らすと手を合わせ、口の中で静かに題目を唱えました。
近くにいた彼は、住職のお参りが終るとひとつ丁寧に頭を下げ、住職の荷物を車まで運ぼうと近づきました。

その時、不意に住職が言いました。
「隣の式場には、まだどなたかいらっしゃいますか?」と。
最初に書いた通りこの会館は、たくさんの式場が壁一枚を隔てて並んでいます。

隣には隣の遺族がおり、担当葬儀社がついているので、彼にはその様子はまったくわかりませんでした。ですので、
「わかりませんが、ちょっと見てきましょうか?」
と、彼が言うと住職は、
「お願いします」と言う。
自分が呼ばれたわけでもないお隣の葬儀に興味を持つなど、一体何なのだろう?と訝りながらも、彼はすぐに隣の式場を見に行きました。

真っ暗、と言うわけではありませんでしたが、式場は明かりを絞り、一番奥にポツンと棺が安置されていました。
遺族も葬儀社の姿もなく、本当に故人だけがただポツンと置かれていたそうです。
「どうでしたか?」
隣の様子を見て戻った彼に、待っていた住職が静かに聞きます。
「はい、もうどなたもいらっしゃいませんでした」
彼が答えると、住職は少し間を明けてから、呟くように言いました。
「お隣は、無宗教式ではありませんでしたか?」
言われた彼はハッとしました。確かに、小さな祭壇はあったものの、お坊さんが使うような木魚や、金丸などの道具は見当たりませんでした。
「はい、確かに無宗教のようでした」
彼が答えると住職は無言で何度か首を縦に振ると、じっと彼を見て言いました。

「実は、こちらの仏様に読経を始めてからすぐ、壁の向こうから自分にもお経を上げてほしい、お経を上げてほしい、とお隣の仏様が訴えて来ていて、それがお通夜が終わるまでずーっと続いていたのです。もうどなたもいないのであれば、少しだけ、お経を読ませていただきますかね」

そう言うと住職は、本来であれば考えられないことではありますが、隣の式場に入り込み、縁もゆかりもない仏様の前に進み出ると、立ったままお経を読みはじめたのでした。

この話、私は聞いていて少しゾッとしたのですが、
話してくれた彼女は大きな目をキラキラさせながら、
いい話だと思いません!?」
と、力説していました。

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