もう30年近く前の話です。
短大時代の友人が、ある牧場で結婚式を挙げました。
式場が併設されているのではなく、完全な手作り結婚式。
お料理も、牧場ならではのボルシチなどの大鍋料理が出ました。
ドレスも足首までのコットン素材に短いベール。新郎は紋付袴。
それはそれは、ほのぼのとした式でした。
ただ残念なことに、土砂降りの雨模様で、屋外でしたが屋根のある広いバーベキュースペースで行われました。
約50〜60人位の規模でした。
遠方からのゲストや希望者には、牧場内にある丸太作りのゲストハウスが用意され、そこへ宿泊できました。
十分な飲み物やおつまみ、食べ物をご両親が用意してくださり、新郎新婦もゲストハウスに泊まることになり、披露宴の後は二次会のようになりました。
私は、長い間鈍行に揺られての参加だった為、みんなよりは少し早めに部屋へ引き上げました。
二次会の大部屋を囲むように、女子男子に分かれた部屋が配置されていました。
部屋は引き戸で、開けてすぐもう大広間です。
うとうとしていたのですが、犬がギャンギャン鳴いている声で目が覚めました。
牧場の犬かなあ、とボンヤリ身を起こすと、鳴き声は大部屋から聞こえてきます。
ただの鳴き声とは違っていました。
声は割れて聞き苦しく、喉が裂けそうな勢いなのです。
体の痛みや感覚を完全に無視して、力の限り叫んでいるような声でした。
そのあまりに異様な声に恐恐としながら大広間に向かった引き戸を開けると、大広間の壁際に沿ってみんなが丸くなって膝を抱えており、その中心で新郎新婦と仰向けになった若い男の人がいました。
その男の人は、背中を床につけ、まるでブレイクダンスをしているかのように、床と背中の接点を中心に膝から下をバタバタさせて、ぐるぐる回っていました。
そして、口から泡や涎を飛ばしながら叫んでいました。
それを新郎新婦はなんとか抑えようとしていたのです。
咄嗟にてんかんの発作かと思いましたが、まず困ったように膝を抱えて座っている友人にどうしたのか尋ねました。
曰く、彼は体質的に取り憑かれやすい人で、今回もどうやらそれらしい、との事。
私は彼とは面識がなかったし、突拍子も無い話に思えて少し笑ってしまったのですが、凄く怖い顔で窘められました。
実際、物凄い勢いで叫び続けているので、何かしらのショック症状が心配になる程でした。
ぐるぐる回っているのをやめる気配も、また、疲れる様子も無いのです。
今、担当の住職を呼んだから、と友人からは聞かされ、「担当の住職がいるの!?」と、また笑いそうになってしまいましたが、事態は本当に深刻な状態のようでした。
耳が慣れてくると、割れて聞き苦しい犬の鳴き声に酷似した叫び声は、ただ叫んでいるのではなく、何か、言葉を発しているのが分かってきました。
その内容まではとても聞き取れず、時々「オマエ」とか「……ってんだよ!」とか、切れ切れに判別できる程度です。とにかく、物凄く怒り狂っています。
ぐるぐる回る勢いも衰えず、自分の体を庇う気配もなく、ただただ力任せです。
あれでは、背中がずる剥けになってしまうし喉が潰れる、と、こちらが痛みを想像して、気分が悪くなりました。
私が起き出してから20分くらい経過した頃に、担当のご住職が到着しました。
多分、深夜0時は回っていました。
ご住職は、まだ40代前半くらいの年齢に見えました。
「オマエを知ってるぞ!! オレは、オマエを知ってる!! オマエがやってきた事、全部知ってるからな!! 」
ご住職と対峙した途端、彼はぐるぐる回るのをやめ、寝転んだまま首だけを捻って、目をひん剥いて叫びました。
ブルブル震える手で指差して、住職を見据えてさらに何事かを叫んでいるのですが、とても聞き取れません。
どうも、「やってきた事」とやらを羅列しているようでした。
ご住職は彼の側に屈み込み、ウンウンと聞いていました。
しばらく酷いがなり声で捲し立てているのを傾聴していましたが、やがて住職が彼の背中にそっと手を当てて支えてゆっくりと起こし、背中を円を描くようにさすっていました。
力の限り叫んでいた彼は、やがて呂律が回らなくなり、声にも力がなくなってきました。
目も虚ろに、焦点が合わないかのように、上体がフラフラと揺れてきました。
その途端カッとご住職の様子が変わり「寺に連れて行きます!」と、声を張って言いました。
壁際で息を飲んで成り行きを見守っていた私達でしたが、彼と面識があるらしい何人かがサッと立ち上がり、彼の両脇を支えて立たせて連れ出して行きました。
新郎新婦もそれに付き添って出て行きました。
多分、事が起こってから連れていかれるまで、3時間程経っていたかと思います。
その後の顛末は、知りません。
気まずい雰囲気が立ち込めていたので、皆部屋に戻り、次の日それぞれが家に帰りました。
私の、唯一の、霊体験らしきものです。