礼儀正しいお迎え

私の夫が体験した話です。

夫は扁桃腺が腫れやすい体質です。
ある年の冬に、扁桃腺の炎症をひどくこじらせてしまい、
このままでは気道を塞いでしまう、命に関わる、という診断で入院しました。

本人は風邪で入院するなんて、と不本意だったようですが、
結局、退院まで10日程かかりました。
地元の総合病院の大部屋に入りました。
総合病院、とはいっても、外壁はくすみ、
病室も天井の低い圧迫感を感じる部屋でした。

同室の方々は、普段ベッドの周りをぴっちりカーテンで覆っているため、
お顔など最後まで分かりませんでした。

ただ、夫のベッドの並び、壁に背を向けて左隣の方だけは把握していました。
あまり状態が良くなさそうな、とても痩せたおじいさんでした。

自力でカーテンの開閉など出来ず、お世話をされている身内らしき方の都合で、
大抵病室の出入り口側のカーテンは開いたままだったのです。

私が見舞いに行く時、その方は眠っているか、
介助を受けながら体を拭いてもらったり、水分をとっていたりで、
ベッドから降りているところは見たことがありませんでした。

腫れが引いて、声を出すのにそこまで負担がかからなくなってきた頃、
見舞いに行った私に、夫が隣のおじいさんどうしてる⁇と聞いてきました。

その時は、カーテンがピッタリと閉じていたので、
見えないけど眠ってるんじゃないかな、と答えました。

夫はその時は点滴を受けていた為、
終わったころに談話室へ行こう、と起き上がりました。
談話室で夫が言うことには、昨夜、定番すぎますが午前2時ごろ、
なんとなく目が覚めたのだそうです。

衣擦れの音か、空気の動きなのか、
左隣のおじいさんのベッドのほうで、人の気配がしたのだそうです。
こんな夜中に身内の人も大変だな、と夫は思いました。
おじいさんは、もうこの二、三日、ろくに食事もとれない様子だったのです。

その、身内らしき人は、そぉっとそぉっと、お茶をトポトポ注いで、
凄く気を使った感じにスプーンでかき混ぜる音が微かにかちゃかちゃとし、
これまた、そーっと、カリッ…カリッ…っと、
おせんべいのような歯ごたえのあるものを食べている音を立てていたそうです。

イヤイヤお疲れ様です、遠慮なくバリバリやってくれて構いませんよーって、
夫は思ったのですが、変だな、とすぐ思い当たりました。

面会時間は勿論とっくに終わっていますし、
おじいさんは弱っているとはいえ、普段は意識もあり、危篤とかではありません。

それに、その病室では、泊まり込みの付き添いはできない事になっています。
おじいさん、コッソリそんな消化の悪そうなものを食べて大丈夫?
とも考えたそうですが、それも、不可能なはずです。

おじいさんはベッドから出歩けない程弱っており、
とても固形物を口にできる状態にありません。

自分では調達できないし、見舞い客用にお菓子など用意もしていないのです。
身の回りを慌ただしく世話をして帰っていく身内の人以外、
訪れる人はありませんでしたから。

相変わらず、隣の人の気配は、音を立てることにとても気を使いながら、
ポリッ…カリッ…かちゃかちゃ…とやっています。
それに、おじいさんはカーテン越しに寝息を立てているのです。

嫌な感じはしないんだけどさ、やっぱり怖いからさー、
無理矢理寝たんだけど、おじいさん大丈夫だったかなと思って。
と、夫は言っていました。

次の日起きてみたら、おじいさんのベッドは片付けられていた、とか、
バタバタ看護師さんが駆けつけてきて…などは一切なく、
検温から始まるいつもの病院の朝だったそうです。

その2日後、夫は退院したので
おじいさんがどうなったのかは分からずじまいです。

夫は、すごく音を立てないように気を使っていたのは、
よく伝わってきたんだよねー、と、言っていました。

私は、それお迎えってやつなんでは…と思いましたが、
夫は、色々仮説を立てて決して認めません。
得体の知れない怖さを感じているらしく、
あまりこのことについて、話したがりません。

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