猫と古井戸

田舎暮らしで一時期古い借家に住んでいたことがあった
彼が小学生の頃の話だ
小さな庭の一角に潰された古井戸があって
その近くの窓や廊下に誰かの手形がついていることがあった

明らかに大人の手の大きさで、朝起きたら窓や廊下にペタペタついていたり
おかしな気配を感じたり、風もないのに窓をガタガタ揺らされたりもしたらしい

らしい、と言うのは母の談だからで、幸運にも彼にはそういう思い出はない
手形を見ても怖がらなかったらしい
子供も怖がるなら引越しも視野に入れたのかもしれないが
嫌がるのは母だけで父も頭を悩ませていたようだ

そこでというかなんというか、猫を飼うことになった
動物は霊の気配に敏感だからとかが理由
でもそれ以降の猫かわいがりっぷりを見ると
父は元々猫を飼いたかったのだと思う
母も彼もトトと名付けたその猫をかわいがった

家の中にいる時はよく井戸のある方角にいた
壁の隅を見つめるように顔を近づけて座っていて
ああ、この子が守ってくれているんだ
と母は頼もしく思っていたらしい

ある夜、母が目を覚ますと
トトはやはり壁際に陣取っていた
こんな夜中まで悪いものから家族を守ってくれているんだ
ねぎらってあげようと近づくにつれ
異変に気づく

壁から生えた手が
ゆっくりと
トトの頭を撫でていた
トトはゴロゴロとご機嫌にノドを鳴らしていたらしい

話を聞いた時、彼はキモチ悪いな!って思ったけど
母本人はそうでもなかったみたいで
その日から手のことは怖くなくなったみたいだった

むしろ
「ごはんをあげている自分よりなつかれるのはおかしい」
とか嫉妬や対抗心のような発言もしていた
「猫を飼えば解決するというおれの判断は正しかった」
と父はドヤ顔をした
彼は思った
「なんだこいつら」

引っ越ししてのち、彼は自立して家を出たが

トトはまだ実家で暮らしている

   <了>

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