大学一年生の夏、実家に帰省した頃の話だ。
東京の一人暮らしでいつもバイト三昧の日々を過ごしていた俺は、
何もしなくてもご飯は出るし、洗濯物だってたまらない。
こんな生活がいつまでも続けば、
「やっべ、もう2時じゃん……」
忙しない蝉の声に目を覚ますと、俺はベッドから起き上がり、
冷蔵庫で適当に食べる物と飲み物を繕うと、
リビングからは、
誰々が不倫しただの引退だのと、実にくだらない会話が、
「あれ……誰もいないのか?つうかつけっぱなしかよ」
てっきり妹か母親がいるのかと思っていたが、
「たっく……まあいいや」
冷蔵庫から持ってきたサンドイッチを口に運び、
別に興味もない芸能ニュースに目をやりながら、
「おはよ、」
不意に部屋の入り口から声がした。
「あっ?何、お前いたの?」
妹だ。高校2年、夏休み真っ只中、
「また昼過ぎまで寝てたの?寝すぎじゃない?」
「うっせえな、お前は俺の母ちゃんか」
「何その言い方?可愛い妹が、
「誰もかまってなんて頼んでねえよ。お前こそ、
冗談めかしてそう言うと、妹が、
「危ないな~」
「ねえ兄貴、コックリさんしよ?」
「はぁ??」
何を言い出すのかと思えば、
ていうか何でコックリさん?しかもこんな昼真っから?
「この前友達と学校でやったんだけどさ、
「いや、普通家で、しかも兄妹でやんないだろ?」
「ええ~いいじゃんやろうよやろうよ~!」
俺の肩を掴んでブンブンと振り回す妹、やめろ伸びる、
「分かった分かった、やるから離せって、一回だけだからな?」
「いえ~いやったね!」
相変わらず軽い奴だ。
「準備してくる~!」
俺が深くため息をつくと、
それにしてもよりによってコックリさんとは。
実は大学で心理学を選考している俺は、
授業中、雑談交じりに教授が話してくれたことだ。
そもそもコックリさんとは、テーブルターニングという、
数人でテーブルの上に手を乗せ、
それが日本に渡り、名を変えやり方を変え、
そんなコックリさんだが、
筋肉疲労説とは、硬貨に指を添える体勢を取り続ける際に、
じゃあ潜在意識説とは何か、
テレビ番組で行われた実験だが、
十円玉が正解を指し示したが、
簡単な英語での質問や過去のアメリカ大統領の名前など、
また、
ほとんどは自己暗示なのだが、
つまりコックリさんとは、科学で裏づけされた、
「お待たせ~」
妹が階段をドタドタと駆け下り、リビングへと戻ってきた。
コックリさんが何たるかを説明してやりたいところだが、
「よし、できた!」
紙に真剣な表情で向き合っていた妹が一声上げた。
持っていたマジックをテーブルに置き、
紙には数字と五十音のひらがな、はい、いいえ、
まあよく見るオーソドックスなタイプのコックリさんだ。
「さてと、じゃあやりますか」
俺はそう言ってから十円玉を財布から取り出し、紙の上に置いた。
すると妹はそれに飛びつき、
「はいはーい!私、私から質問する!」
と、妹はおおはしゃぎ。俺は半分呆れつつもはいはい、と返事し、
同じようにして妹も十円玉に人差し指を添える。
「コックリさんコックリさん、お兄ちゃんの好きな人は誰ですか?
「おいおい!」
なんて妹だ、油断も隙もない。
俺は人差し指に全身全霊の力を込めて、
「動かないねぇ」
当たり前だ。妹の不満そうな声に内心つぶやいている時だった。
テゥルルルルル……
突然鳴り響いた音に、俺は部屋の隅に目をやった、電話だ。
「ちょっとタイムな」
俺は十円玉から指先を離すと、ソファーから立ち上がった。
「あーお兄ちゃん、
妹が俺を指差しながら言ってきた。
「はいはい、呪われた呪われた」
片手をヒラヒラさせながら妹に返事を返すと、
「もしもし、」
受話器を耳に当て返事をする、が、その時だった。
「あ、お兄ちゃん?私だけど、今友達の家にいるんだけどさ、」
「えっ……」
俺は一言だけ返すと、一瞬で頭が真っ白になった。
私だけど……?私って、何で、何でだ??
「ちょっとぉ、
そう、この声は忘れもしない、妹だ、妹の声だ。
いや、待て、何で受話器から妹の声が聞こえるんだ?
混乱する俺を余所に、受話器から妹の声が響く。
「まあいいや、それよりさ、ごめんね、
テレビ?いや、テレビなんてどうでもいい、何だ、
妹がおかまいなしに話を続ける。
「あ、それよりちょっとお願いがあるんだけど、実はさ、
が、そこまで聞こえていた妹の声が、
一瞬で凍りつく室内。
夏だというのに俺の全身には冷たい汗が滲んでいた。
心臓がバクバクと激しい音を立てている。歯の根が合わない、
「お兄ちゃん……」
先ほどとは違う妹の声が後ろから響く。いや、
くぐもったような、ひしゃげた女の声。
妹の声とは似ても似つかない。誰だ、今、
確かめたい、この目で、しかし体がいう事をきかない。
恐怖のせいか、
が、次の瞬間、
「お兄ちゃん、こっち向いてよ~」
耳元でハッキリと聞こえた。
俺は反射的に声の方に振り向いた。
そこには、長い黒髪の女の顔があった。
両の目は閉じていて、隙間から赤い血が滴り落ちている。
口は大きく裂けたように開かれ、
そのおぞましい口が、ゴボゴボと音を立てながらゆっくりと開き、
「呪われるって言ったでしょう~?ヒヒヒッ……!」
そこで俺の意識は絶えた。沈み行く意識の中、
あれから三年。
社会人となった俺は、あれ以来一度も家に帰っていない。
忙しいを口実に、俺は実家に帰るのを意識的に避けていた。
もうすぐまたあの夏がやってくる。
今年のお盆も、やはり実家に顔をだす勇気はない。
どう断ろうかと頭の中で整理していると、
スマホの画面には見慣れた名前が表示されている。
妹の名前だ。
俺はゴクリ、と喉を鳴らすと、
「も、もしもし……?」
「あ、お兄ちゃん?久しぶり~どうそっちは?元気にやってる?」
妹の声だ。明るく元気な声。大丈夫、これは妹の声だ、
「あ、ああ、元気だよ。ごめんな、なかなか顔だせなくて。で、
なんとか取り繕うと、俺は慌てて返事を返した。
「ううん、元気ならいいんだ、それよりさ、」
「ん?」
いつもと変わらぬ声に、俺は少し安心し、
「また、コックリさんしようね、ヒヒッ……!」
スマホが俺の手を滑り落ちるように床に落ちた。
スピーカーからは、あの夏の日に聞いた、おぞましい笑い声が、