眠りと恐怖の境界

これは私の母にまつわる話です。
私の母はとにかく睡眠が深く、例え近くで花火大会が催されようが起きません。
目覚まし時計もほぼ意味がないみたいで、
何時も精確な体内時計で起きる兵でもあります。

さて、私が高校生だった頃、
蒸し暑い夏の日、夜中に喉が渇いた私は、部屋を出て台所へと向かいました。
途中、母の部屋を通り掛った時、
襖が人一人分ほど開いていた母の部屋に、明かりが点いたのです。
ふと部屋を覗くと、母が寝巻き姿で立っていて、明かりの紐を手に持っていました。

ああ、母も蒸し暑くて起きたんだなと思い、私は台所で冷たい麦茶を二杯入れると、戻る途中、母の部屋に寄りました。
するとさっきまで点いていた明かりは消え、部屋は真っ黒になっており、微かに見えるふくらんだ布団の中からは、母の「スゥースゥー……」という寝息が聞こえてきました。

なんだ、また寝ちゃったのかと思い、私は暗闇の中、何とか持っていた麦茶をお盆ごと枕元に起き、そのまま部屋を出ました。
部屋に戻り電気を消そうとした時でした。
「パチッ」
と、小さな音が開けっ放しの扉のほうから聞こえ、そちらに目をやると、
母の部屋から明かりが漏れ出ているのが確認できました。

あ、また起きたんだ。
一度寝たら中々起きない母にしては珍しいな、などと思いながら、
私は部屋の明かりを消して、ベッドに横になりました。
するとまた、
「パチッ」
部屋の外に目をやると、母の部屋の明かりが消えていました。

また?

何してるんだろうと少し頭を捻ったものの、眠たかった私は
それを無視して目を瞑ったのですが、
「パチッ」
またもや明かりのスイッチ音が聴こえたのです。

しかも今度は直ぐに、
「パチッ」
と消す音が……。

目を開け扉の方を向くと、
「パチッ」
「パチッ」
「パチッ」
「パチッ」
「パチッ」
「パチッ」
「パチッ」
「パチッ」

何度も何度も母の部屋から漏れ出る明かりが点いたり消えたり、
その度に乾いた音が交互に鳴り響きます。
流石におかしく思った私は、電気でも壊れたの?と、
少し大きな声で呼びかけながら、母の部屋へと向かいました。

部屋の前に着いた瞬間、
「パチッ」
明かりが点きました。
さっきと同じで、部屋の中央には紐を手にした母が立っていました。
そして直ぐに、
「パチッ」
明かりが消えます。

その時でした……
足元から何か、ゾワゾワとした物が這い上がってくるような感じがしたのです。
それは、私の体にまとわりつくようにして、首元まで登ってきました。
数秒たち、それが激しい悪寒なのだという事に気がつきました。
寝起きとは思えないほど目を見開き、私は暗闇の母の部屋を凝視していました。

ゴクリ、と鳴らした喉の音が、静まり返った部屋の中に響きます。
最初に部屋を覗いた時に気がつくべきでした。
今しがた、明かりが点いていた母の部屋の中央に敷かれた、布団の中で眠っていた人物に。

母は、起きてなどいなかった。
じゃあ、部屋の真ん中で立っていた人物は……誰?
あれは寝巻きだったか?そもそも顔は?
頭の中で、母の顔が歪に曲がって識別できなくなりました。

次の瞬間、
「スゥースゥー」
母の寝息が聴こえてきました。

暗闇に慣れてきた私の目に、中央に立つ何者かの人影が、ふっと目に止まったのです。
瞬間、私はその場で反転し、泣き叫びながら部屋を飛び出していました。

直後に、
「パチッ」
と音が鳴り、部屋の明かりが背後から射していましたが、私は振り返る事なく、父の部屋へ逃げ込み、眠っていた父を乱暴に揺さぶり起こしていました。

以上が、私の母にまつわる話です。
一応あの時母に確認はしたのですが、朝まで一度も起きていないと一蹴されました。
ちなみに部屋の明かりは、父親が確認に行った時は点けっぱなしになっていたとの事です。

おそらく私が寝ぼけていたんでしょうね。

そうだろう、そうに違いないと思い、
あれから数年たったある日、同じように真夜中、母の部屋から、
「パチッ」
「パチッ」
「パチッ」
「パチッ」
と鳴った時がありましたが、震える眼をギュッと閉じ、
布団の中に潜り込んだのを、今でも鮮明に覚えています。

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