赤い人

 これは僕が22歳の夏に体験した話です。
 根っからの怪談好きではあるものの、幽霊という存在を一切信じていない僕がその考えに少し自信を持てなくなった出来事です。

 僕は薬学部の4回生でした。
 ちょうど前期試験を目の前に控えており、「単位を落としたら軽音部をやめて学業に専念しろ」という親の脅しに打ち勝つため、大学の図書館が閉まる21:00まで勉強をして帰る、という日が1週間ほど続いていました。
 家に着くのは22:30ごろ。
 この時期の親父は定年退職した後の再雇用で働いていたのですが、どうもそこでの営業が自分に合っていなかったらしく、いつも以上に疲れが目に見えていました。
 そんなこともあり帰宅するなりご飯食べてすぐ就寝。
 20:00にはベッドに入っていたとの事。
 僕は母の作った夕ご飯を食べて風呂に入って少しゴロゴロしながらテレビを見て、そうしてる間に兄貴が終電で帰ってくる。

 僕の兄も薬学部だったのですが、僕の通う大学より倍近い通学時間のかかる大学に通っており、一度大学受験に失敗し浪人しているという親に対する金銭的な後ろめたさからか一人暮らしはせず、比較的お金のかからない実家からの通学という手段を取っていました。
 ですがそれは過酷なものであり、9:00開始というコアタイム(研究を始めると決まっている時間)に間に合わせるためには、6時過ぎには家を出ないと間に合わない。
 いい研究結果を出すために毎日ギリギリまで研究室に引きこもり、終電で帰宅。
 そんなルーティンを繰り返す兄はだいぶ疲弊していたように思います。

 そんな兄がこの日帰ってきてすぐおかしな事を言いました。
「なんか、さっき脱衣所で赤いもん動いた気がする。なんか気持ち悪い。靴脱いでる時に視界の端にチラッと見えただけやから勘違いかもしれんけど、何か人っぽかった」
 母は「もー、気持ち悪いこといわんといてやぁ」と笑っていましたが、兄は疲れた表情ながらも真顔。
 少し嫌なものを見たような感じでした。
 僕は「でも実際人が入ってたら怖いな」と脱衣所に行き確認しましたが、もちろん何もいませんし、そもそも脱衣所に赤いものがない。
 この件は、この日その後一切触れられることなく、時間が過ぎて行きました。

 そんなことがあった事を忘れた頃、ある日曜に母と親父と僕の三人(兄は日曜でも研究室)で素麺を食べてる時に、突然父が「今階段から降りる時玄関に人が立ってる感じがした」と言いました。
 僕と母は「……これは、この前のアレか?」と。
 詳しく聞いてみると「赤い服着てたんかな? とにかく赤くて人っぽいものがおった気がした。玄関の靴脱ぐところで」
 母は少し嫌な顔をしながら「この前ユースケ(兄)もおんなじ事ゆーてたわ。脱衣所で赤い何かを見たって」
 三人とも「きもちわるいな……」と変な空気になっていました。
 それでも「疲れて何か見間違えたんやろ!」と気にしない様にしていました。

 その1週間後、亡くなった祖父の七回忌があり自宅に坊さんが来たのですが、その時にその話を聞いてた祖母がちょうどいい! と「ウチの息子と上の孫がなんや変なもんが見えたっていいよるんです」と伝えると、お坊さんが「あぁ、それもしかして赤い服着た女の人じゃないですかね?」と。
 僕は「なんでこの人説明してないのに色知ってるの怖い」と驚きました。
 その後坊さんはこう続けました。
「その女性はまだお爺さんがご存命だった頃からこの家にいてました。特にこの家系に関係あるだとか、そーゆー人ではないみたいです。害もないみたいですし、誰も見えてへんならあえて言う必要もないかと思いましてね」と。
 祖母は「気持ち悪いから祓って欲しい」と言っていましたが、坊さんに「残念やけど僕達はそーゆー専門じゃなくて。気休め程度の読経くらいしかできません」と。
 まぁ害が無いなら良いか……と言う事で落ち着きました。が、心霊の類を一切信用してない僕はこれらの事を処理しきれませんでした。
 生活リズムの全然違う親父と兄貴が同じ何かを見た。
 そして坊さんはその説明も詳しくしてないのに2人が見たものを具体的に「赤い服着た人」と言い当てた。そしてそれが今も家の中にいる。
 零感の僕には何も感じ取れないがたしかにいるのだと言う。
 生まれて初めて体験した気味の悪い貴重な体験でした。
 それを聞いてから家にいてもどこか少しソワソワと落ち着かなくなってしまいました。

 そしてこの話にはまだ続きがあります。
 少し時間が経過して、その年の冬、その「赤い服着た人」を見た兄貴と親父がほぼ同時期に体調を崩しました。
 兄貴がクローン病(口腔から肛門までの消化器全てに潰瘍や炎症を引き起こす病気)、親父は黄色靭帯骨化症(黄色靭帯という脊椎にある靭帯がカルシウムの沈着で骨になる病気)と診断を受けました。
 全く別の疾患であるものの両疾患とも「難病」と指定されており薬などである程度寛解するものの完治する方法は見つかっておりません。
 あの頃の無理が祟ったと言えばそれまでですが、アレを見た2人がほぼ同時期に難病に……偶然なのでしょうか。
 普段は怪談をラフに聴いてる僕も当事者となると「洒落にならない。冗談じゃない」と肝を冷やしました。
 それらの存在を信じるべきなのかと考えなおすきっかけにも。
 なお、診断から四年ほど経過した現在、2人は通院やら食事制限やら面倒くさいし金がかかって仕方がないとグチグチ文句を垂れていますが元気に生きております。

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