これは私の父から聞いた話です。
数十年前、父は市役所につとめており、まだまだ新人だった父は何かと面倒な仕事を押し付けられていたそうです。
ある嵐の日、父の町に大雨だか竜巻だかの警報が出されました。
こういう場合、警報が解除されるまで市役所に職員が残り、夜中でもなにかあった場合に対処できるようにしなければならず、嫌だなとは思いながらも新人の父が夜通し市役所にのこることになりました。
夜中の古い市役所に自分一人、そんな不安感で父は酷く神経質になったそうです。
特にその日は嵐なので家鳴りが酷くその度にビクリと肩をすくませ、警報が解除されるのを今か今かと待っていたらしいです。
そうやって気象庁のホームページと睨めっこすること数時間、時刻は既に午前3時を過ぎていました。
父がパソコンの光からくる疲れと眠気を飛ばすため大きく伸びをすると、不意に後ろから気配を感じました。
反射的に振り返ろうとする体を静止し考えます。
市役所の職員は自分以外は全員帰宅した。この時間、この天気で誰かが出社してきたとは考えにくい。
これは、本当に振り返って大丈夫なやつなのか?
父はそう思い振り返りませんでした。気配はまだ後ろにあります。
早い社員なら6時頃には出社してくるかもしれませんが、それにしたってあと3時間、この得体の知れない気配を放っておくのは何だかとても不味い気がしてきて、意を決して父はゆっくりと体を後ろへと向けました。
父の居る部屋にはデスクと電源のついてないパソコンが広がるばかり。
その奥には壁と窓、窓の奥には冷たい廊下が広がっています。
そのどれもが暗闇におおわれており不気味ではありましたが気配の元になるようなものはありません。
しかし、父は、これは直感的なものでなんの根拠もなかったのですが、廊下に間違いなく何かいるな、とそう感じたそうです。
しばらく窓の奥に広がる廊下を凝視したのですが、やはり何も無く、寝てないせいで疲れているのだと考え、父はデスクに向き直りました。
瞬間、後ろから何かの気配とともに強烈な視線を感じとりました。
いや、疲れのせいなんかじゃない、明らかに何かいる。
父はそう思い振り返ります。しかし何もいません。
首を捻りデスクに向き直ります。
するとまたも強烈な視線を感じ振り返ります。何もいません。
こんなことを10数回も繰り返し父もだんだんと腹が立って来ました。
「霊だかなんだか知らないが俺をおちょくりやがって。絶対にその姿を確かめてやる」
そう思った父は次に振り返るときに軽くフェイントを入れました。
すると、窓の奥で長い髪の毛が、窓と窓の間、1センチもないようなプラスチックの枠の部分にスっと消えていきました。
その時父は恐怖よりも、ほら見ろやっぱりいたじゃないか、というなんとも言えない満足感を抱いたそうです。
そうして妙な満足感のまま再びデスクに向き直したところで気が付きました。
父の正面、デスクの向こう側には外に繋がる窓ガラス、その窓ガラスはちょうど反対側、廊下側の景色が反射させています。
そこにいたのです、廊下側の窓の奥、髪の長い女がじっと父を見ています。
口元はこれ以上ないほど笑みを浮かべているのですがその目は全く笑っておらず異常な程見開かれたその瞳にたしかに父を捉えていました。
父はそいつの全貌を見て怖くなり、泣きながらデスクにつっぷして、夜が明けるのを待ったそうです。