今から40数年前の話である。
私が通っていた小学校は当時まだ木造校舎が1棟だけ残っており低学年はそちらの校舎に居ました。
周りは普通に住宅街で近くには神社などもあり小高い位置にあった学校でいまも現存しています。
その木造校舎の裏手は「北」に位置していましたが、そこには普段使用しない木製の門がありました。
緊急時の避難用と云われていましたが、目的はそれだけではなく、所謂、身内などに不幸があった時にその門を使用して早退をしていた歴史があったとの話を亡くなった母親から聞きました。
私が入学したころには、その風習?的なものは無くなっていましたが、先生たちからは「あの門は絶対に使用しないように!」と指導が出ていました。
みんなの中で「あの門から外に出ると親とか親戚が死ぬらしいぞ」等と噂が出始め、その小学校では初の「学校の怪談」となっていきました。
4年生の夏休みに当時の遊び仲間が「北門から出てみようぜ」と言い出し皆は「親とか死んでも知らんぞ」と言っていましたが「あんな話は嘘だて!おれが出てみたるで。
何もなかったら夏休み最後の日にジュースか菓子な」と言い彼はその「北門」の下の隙間から外へと。
夏休みもいつの間にか終盤になり彼が「ほれみろ!何もないがや。お前たち約束守れよ!」と息巻いていましたが夏休み終了の三日前彼は突然亡くなってしまいました。
当時の医学では原因は不明とのことでした。
当時は自宅での葬儀が普通の時代でしたのでクラスや仲間たちとお葬式に行ったのですがお母さんは茫然自失状態でした。
私たちは小遣いを出し合い彼の元へ約束のジュースとお菓子を持参し手向けましたが、それ以降そのジュースは飲めない物となってしまいた。
それ以降北門の周りには柵が設けられ近づけない状態となりましたが学校内では「北門」の話をすること事体がタブーとったのは云うまでもありません。歴史ある小学校には必ずや「裏の歴史」もあるのではないでしょうか。 合掌