化かされる

私がまだ子供の頃。
父はその頃、夏季限定の副業で 大阪から山を越えて隣の県の農家さんまで、 毎日野菜を買い付けに行っていた。

ある日のこと。 県境の山中の道で、女の人に遭遇した。
歩いて来れるような場所ではなく、ふもとまで乗せてあげることにした。

ふもと近くの食堂でご飯を食べるのが日課だった父は その女性にも「来るか?」と聞いたところ、 女性は黙って着いてきた。
何が食べたいか聞いても女性は答えず、 しょうがないから父は自分が食べるものを2つ注文し 女性に「食べなさい」と言った。
ヘンな女だなと気味悪く思い、チラチラ様子をみると その女性はボサボサの長い髪を掻き分けながら、
箸をスコップを持つように握って 犬食いと呼ばれる食べ方でクチャクチャと食べだした。
イヤな寒気を覚えた父は、 トイレに行くからと告げて 急いで勘定を済ませ車に飛び乗って逃げて来たとの話だった。
「あれは人間やない」 狐か狸に化かされたのだと父は言っていた。
滅多なことで動じない父が、 あんなに動揺していたのは珍しいことだった。

ここからは私の話。
時は変わって、 今から7~8年ほど前のこと。
当時の私は、遅いシフトの時は終電に間に合わないことから 片道1時間の距離を自転車で通勤していた。
ある時、何がどうなったか説明がつかないのだが、 どうしても会社に辿り着けないという事態が発生した。
会社への行程の残り僅かのところで 堂々巡りを繰り返してしまう。
大阪市内中心部、 通りの名も筋の名も、その順番も良くわかっていて 知って知り抜いている場所であるにもかかわらず、 目的地である西区に入れない。
例えば、浪速区から西区へ入る直前に なぜか吸い寄せられるようにハンドルを切って曲がってしまい、 結果、西区に入れず中央区に出てしまう。
そして、中央区から西区へ入ろうとすると また直前で何故か曲がるつもりのない場所で曲がってしまい、 浪速区へ戻ってしまう。 この繰り返し。

また、とても不思議なことに、 周りの風景が黄ばんだセピア色のように見えた。
西区は10年以上住んでいた街で、 隣の北区、中央区、浪速区などと共に 常に自転車で走り慣れていて、どの道も知っている道で。
迷子になったとかではなく、 まるで西区に入るのを弾かれてるような、 行く手を見えない力で阻まれているような、非日常的な感覚だった。
その日は普段よりかなり早めに家を出たのに、 これでは出勤時間に間に合わないと思い職場に連絡を入れ、 再度気を取り直して走り出すが、やはりダメで。
結局、西区の目の前で2時間近く堂々巡りをする羽目に。
私は自分の足では何故か勤務地へ行けない、 おかしな現象に捕らわれていることを自覚した。
ならば、自転車を乗り捨ててタクシーに乗れば行けるんじゃないか?と 自転車を停めた。
すぐにでもタクシーを拾うつもりが、何故かタバコに手が伸びた。
遅刻でそんな余裕は無いのだが、まあいいか、と ベンチに腰掛けゆっくり深呼吸しながらタバコを吸った。
タバコを吸い終わり、タクシーを拾うためベンチから立ち上がると、 黄色っぽく見えていた周りの風景が すっかり元に戻っているのに気付いた。
そして何故か、 「もう大丈夫、行ける」と 確信めいた気持ちになった。
ゆっくりと自転車を漕ぎ始めた。
すると、なんのことはない。 すんなり西区に入れた。
10分もかからずに職場へ着けた。

今日はなんて日なんだ。と、散々な思いをしたが、 この出来事を 「目に見えない何かに化かされた」のだと思っている。
そして、その堂々巡りから抜け出せた理由は謎のままだったが つい先日、
「キツネに化かされた時は、慌てずに煙草を吸うと良い」 ネットでそんな書き込みを複数見付け、全てが府に落ちた。
山の中ではなく、街中で化かされることもあるんだという、 不思議な経験。

そして、タバコもいい仕事するじゃんという話。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

閉じる