天狗

 自宅から20キロほど離れた母方の叔母の家に遊びに行った時の話。

 叔母の家は子供がなく、私と兄が幼少の頃よく遊びに行った。
 行った。というよりはっきりと言ってしまえば親の都合で行かされていたのだった。
 叔父は気さくな人で、年齢とは反比例したハイカラな人だった。
 多趣味で悪ふざけの好きな叔父がお酒を飲むと決まって話す話があった。
「ここの裏山には昔から天狗が出るんや。ほやで悪いことしたら連れてかれてまうんや」
 今にして思えば、早く寝ないと鬼が来るぞ! 的な子供を抑止するための作り話だったのだろう。
 しかし、当時の私には効果てきめん。 天狗の姿を想像し震えたものだ。

 ある年の夏休み、1日だけ叔母宅に泊まりに行った。
 行きたくもないのに、騙されるようにして出向させられ、子供ながらにしたくもない接待をした覚えがある。
 その日の夜は焼肉屋に連れて行ってくれた。
 酒が入り、何度も聞いた叔父のあの話が始まる。
「あそこの山の天狗が○○ちゃん○○ちゃんって呼んでるの聞こえるわ」
 なー! と店員も巻き込み、怖がる私を見て喜んでいた。
 帰宅し、トイレを済ませ布団に入る。 夏の晴れた夜空を見上げながら眠りにつく。
 それからしばらくして目が覚めてしまう。
 焼肉屋で飲んだ炭酸ジュースが今になって膀胱を刺激してきたのだ。
 叔母宅は、完全なる和の邸宅で平屋造り。
 長い渡り廊下を歩きトイレに向かわなければならない。一緒に寝ていた祖母を起こしトイレへ。
 無事、用を足し客間である寝室に戻るも、目が冴えてしまい眠れない。
 ファミコンしたいなー、なんて考えながら月を見上げボーッと過ごす。
 すると、外で物音がする。
 ミシミシ シャリシャリ
 陶器が擦れるあの独特の音。
 どうやら隣の家の瓦から音が鳴っているようだ。
 心臓が張り裂けそうになりながら瓦屋根に目をやる。
 何もいない。
 ミシミシ シャリシャリ
 瓦が歪む重量感が伝わる音。 猫が歩いた軽い音ではない。
 恐ろしくて目が潰れて無くなってしまうほどまぶたを閉じる。
 瓦の擦れる音が止む。
 まぶたを閉じているが強い視線を感じる。
 屋根の上からジッと見つめてくる何か。
 夕方聞いた天狗が脳内再生される… 怖い怖い怖い ………。

 考えている間に朝になっていた。
 昨夜のあれはなんだったんだろう?
 話すとまた叔父にからかわれるのが嫌でこの事は誰にも話さなかった。
 眉唾ものの話だが、叔母宅の裏の山には本当に天狗の伝承があると大人になってから知った。
 あの夜の足音の正体は分からないが、脳内にイメージした天狗の姿は、ボロボロの半ズボン姿に全身をススか墨で黒く塗りたくった、髭面の小柄な男が屋根の上からしゃがみ込みこちらを伺う姿だった。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

閉じる