昔々

ひいおばあちゃんから昔聞いた話。
93歳まで生きたひいおばあちゃんがいた。
今からもう20年以上前に亡くなっているのだが、元号が代わる記念にでもと思い、私が小さかった頃、ひいおばあちゃんから聞いた話を一つしようかと思う。

ひいおばあちゃん(以下HO)は明治生まれだった。
ちょんまげの人も何人か見たことがあった「今思えばあれがお侍やったんかの。」 とHOは語る。
祖母から聞く貴重な話といえば、戦前戦後の体験談になるがHOから聞く話は、そこからさらに昔の、歴史の教科書には載らない、決して歴史が動かないであろう当時の庶民の暮らしを聞けるのが楽しかった。
現代に暮らす私からすれば異文化と言っても過言ではないほど今とは異なった暮らしぶりだったようだ。
HOから聞いた中でも、最も衝撃的だったのが『公開処刑』が当たり前だったということ。
その文化が残る国も未だにあるようだが、疑わしきは白という法の元、生活をしてきた我々にとっては遠く考えも及ばない。

幼き頃、HOも3度ほど実際に公開処刑を見たことがあるそうだ。
方法は銃殺などではない。 片足に縄、縄の先には馬。
もう片足にも縄、縄の先には馬。 いわゆる股裂きの刑である。
それは本当に突然行われたそうだ。
縄の繋がった馬が、反対を向き走り出す。
人間のものとは思えない叫び声をあげるとHOは語った。
罪人といえど、見る者は皆いたたまれない気持ちになる。
平和、日本に暮らす我々はそう思うのが当然なのだが… 当時の人々は違った。
悪者が退治されることに。 日頃の生活の憂さ晴らしをするように。
人々はそれを、まるで祭り事のように歓喜し、公開処刑となるやいなや、人だかりができたそうだ。

ある日、その人だかりに父に連れられ向かったHOは人だかりの離れた所で、その残忍な光景を眺めていた。
目隠しをされ股を裂かれる男性。
だが、いつもと違ったのは男性が悲鳴を挙げなかったこと。
ザザザザー ゴロゴロッ 引き裂かれた勢いのまま遠く離れ見物していたHOの所まで、男は飛ばされてきた。
片足は根本からちぎれ、もう一方の足は足首さら先が無く、上半身と平行に折れ曲がっていたそうだ。
HOの目の前で横たわる男。
男はなんとか動く手で、目隠しを外し、HOにむかい問いかけた。
「おじょうちゃん、おいちゃんどうなっとる?」
異様な光景に凍りつくHOを抱き抱え父が言う。
「お前もう死んどんじゃ。話かけんとさっさと死ね。死ね」
怒鳴りつけるようにHOの父がいうと 「そうか、死んどんか」 といい男は息を引き取ったそうだ。

私が生まれ育ち、昭和から平成、そして令和をむかえる。
平和な次第に生まれてこれて本当によかったと思う。

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