龍を見たおはなし2 宿命と転機と光の空間

2012年9月4日 火曜日 とても大変なことになった。
フローリングの床に突っ伏したままの僕はハッ、ハッと短く浅い呼吸を繰り返していた。
横隔膜(おうかくまく)が上手く機能していない、まさに虫の息。
さらに、自分の身体が胃や腸にあるもの全てを拒絶している。
食中毒になるようなものは一切口にしてないが、僕は1時間ほどトイレの便座に寄りかかり、上から下から消化器官に残っているものを体外へと吐き出した。
急激な脱水と気持悪さにたまらず水を飲むが、水でさえ身体が受け付けない。
口に含ませただけでも気持が悪い。すぐにトイレへ直行だ。
僕は基本的に一日に一回の食事だから、前回の食事は30時間以上も前だったので、 数時間ゲーピーやってるとやがて何も出なくなった。
ベジタリアンではないが日に一回の貴重な食事だから、なるべく自炊するようにしている。
シンプルな膳だがそれなりに気を使っていて、毒っぽいものは普段口にしない。
相変わらず呼吸は浅いままだった。
「ま、ひと晩寝れば治るだろ」 と、ベッドに横になるが、苦しすぎて眠れない。
身体は限界に近いほど眠りを欲しているが、まんじりともできない。
歩いてトイレへ行けないので、床をゴロゴロと体をロールして移動する。
あまりの苦しさに七転八倒していたら、とうとう夕方になってしまった。
「ついに呼ばなきゃか?人生初の911」 切羽詰まって電話を手にしたとき、パっと1人の女性が脳裏に浮かんだ。

彼女とは3ヶ月半ほど前に、ひょんなきっかけで初めて知り合ったのだが、 それまでに会って話をしたのは、ほんの4〜5回程度しかなかった。
初対面のとき「あっ、現れた!」と、ただならぬ縁を感じた僕は、その夜ビジョンを見た。

筋骨隆々でたくましい褐色の肌を持つ男が、高台で風を受けながら遠くの大地を眺めている。
彼は僕で、どうやらアメリカ先住民の戦士、もしくはシャーマン、おそらくその両方であろう。 年齢は40歳ぐらい。部族のリーダー的な役割を努めている。
僕は俯瞰(ふかん)で彼を見下ろしたり、時に彼の目線になったりして観察した。
その傍らには10歳ほどの男の子が、じっと彼を見上げている。
この子は彼の子供、あるいは歳の離れた弟なのかもしれない。
彼を心底慕ってくれており、子供ながらも彼のようにありたいという強い意志と尊敬の念を感じた。 そう、この子こそ彼女であった。
彼女と2回目にお会いした時、僕はいきなり仕事の話を切り出す。
「パリのモンマルトルでギャラリエをオープンしたいと考えている。 会社登記も全て1人でやらなければならないが、僕はなかなかパリへ飛ぶ時間が作れない。
パリジャンの友達も多少は手伝ってくれるだろうが、パリの生活では英語もほとんど使えない。
一度行ったら、しばらく日本には帰って来れないだろう。 どう、1人で大変だけどやる気ある?」
「やらせていただきます」
彼女は即答した。
そんな突然の雲をもつかむ話、投げる方も投げる方だが、受ける方も受ける方だ。
だが、出会ったばかりとはいえ、それほどまでに互いの信頼は厚かったということである。
それに以前、彼女は新宿と渋谷で会社を経営していたという経歴もあった。
そして、と僕は続けた。
「上から目線と思われるかもしれないが、あなたは僕と特別な縁を感じているだろう。 それは僕も同じで、きっと僕らは一生の付き合いになると思う。
知り合ったばかりの今だからこそ言っておかねばならないが、 どうしても僕はあなたを恋愛対象の異性として見ることができない。
なぜなら、あなたは過去に私の家族であったから。それでも良いですか?」
「はい。やっとお会いできたのですから」 と、彼女は言ってくれた。

そんな経緯のある彼女に、僕は911より先に電話をかけたのだ。
力の限り平常を装いつつ。
「あ、もしもし。時間あるときモンマルトルの件で話があるのだけれど」
「今からじゃダメですか?」
「そりゃ助かる。ついでに何か食べるものがあれば嬉しいなぁ」
やっとの思いで電話をかけた僕は、またトイレ前のフローリングへ突っ伏した。 お腹はからっぽなうえ50時間近く何も食べていないので、腹が減っている。
眠いのに寝れず、腹が減っているのに食べられない、水も飲めず歩くことさえできない。
15分ほど経過して、彼女は早稲田からタクシーを飛ばしてきてくれた。
「きゃ〜!いったいどうしたの?」
僕はトイレ前のフローリングへ突っ伏したまま「具合が悪い」と伝えた。
彼女の肩に支えられながら、ベッドへと運ばれた。
しかしジっとしていると苦しいので、またフローリングでゴロゴロと体をロールする。 その方が気がまぎれて少しは楽なのだ。
「しょうがない」と言って彼女はタオルケットを床に敷き、マクラで僕の頭を固定する。

板橋には「ゴッドハンド」と呼ばれる先生が居る。
彼は仙骨という部位を正常な位置へ戻しつつ、体中に走るリンパ線を手で刺激することにより自己免疫力を上げ、病から体を守るということをやっていた。
並行して、正しい順序で食事を取ることにより、薬に頼らない本来の強い体へ戻すという術を施す。
既得権益により途中で潰されてしまったが、オバマ婦人が米国の学童向けに「健全な給食」構想を始めようとした時、力になって欲しいとホワイトハウス経由で頼まれた事もある人物である。
オバマケアの一環だろうが、先生は「ノー・メディスンのドクター」と呼ばれた。
別件では、英国王室からもナイトの称号を与えると言われたが、面倒なので断ったという猛者だ。
彼女は、その先生の愛弟子でもあった。
僕はそれとなく気づいていたが、彼女はそれを生まれながらに持つ秀逸なヒーラーである。
彼女の手が僕の身体を優しく撫でるたびごと、苦しみが消滅してゆく。
まるでティンカーベルが持っている杖で撫でられているかのように、光のピクシーダストが僕を包み苦しみから解き放してくれている。
彼女の献身的な看病は、泊まり込みで丸3日間にも及ぶ。
そして、ついに金曜日の夜、僕は苦しみから完全に脱した。 感謝の言葉も思いつかない。

知らぬ間に僕は彼女を抱きしめていた。 と、そのとき、僕のヘソ下あたりからノドにかけての一帯から光が飛び出してきた。
それは「光」であるのだけれど、その表現だけではあまりにも陳腐だろう。
皆さんも、ロングシャッターで撮られた清流の写真を目にしたことがあると思う。
透明な水飴のように「とろん」とした質感にも見えるが、出てきたそれは物質ではない。
そのまばゆい光が、まるで滝が流れ落ちるがごとくの勢いで、ドドドドド〜〜〜っと僕の身体から飛び出してゆく。
光は流れ落ちるのではなく体と水平にほとばしり、空間を光の世界へと変えた。

その美しさは未だかつて体験したことのない美しさゆえ、上手く表現できないのだが、
キラキラとダイヤモンドダストをふんだんにちりばめたような光の滝であった。
部屋は眩しくない美しい光で一杯に満たされる。
そしてそれは「愛」そのものであり「龍」の本質でもあった。
その最中、僕の魂は小さな振動を始めた。
振動は徐々に増幅され、やがてそれがピークに達すると僕の目から涙が溢れ出す。
人間は魂が振動すると、嬉しすぎて滝のような涙が溢れ出て止まらないのだ。
僕は思い出した。 この時、この瞬間、このタイミングを永いあいだ待っていたことを。
生まれる前にお互い決めていた固い固い約束を。
「生涯、僕と一緒になって欲しい」
「お待ちしておりました。ずっと何百年もの永いあいだ」
こうして二人は夫婦となった。
頭の中で、歯車と歯車がガチャンと音をたて噛合い、グググ〜っとゆっくり確実に回り出す。 僕の本当の人生は、今やっと始まったのだ。

いつしか空は朝焼けになっている。 僕らはベランダでタバコをふかしつつ、明け行く空を無言で見つめていた。
その空には、地面からボッコリ突き出す巨大な赤茶けた岩山と、麓(ふもと)には森。
雄大な河が滔々(とうとう)と流れ、大河と森のあいだには小さな集落が見えている。
朝焼けのスペクトルが偶然に映し出した幻影かもしれないが、まぎれもない動画であった。
どこだろうココ。
僕は見たことのない景色を30分以上無言で観ていた。
「俺ね、観たことのない景色を空に観てるんだ」
「私も同じものを観ているわ。なぜこんな写真のような景色が空に現れるのか分からないけれど、あなたと知り合ってから毎日が不思議なことばかり。 だからこんな景色が空に現れたとしても別に不思議じゃないの」
しばらくののち、彼女は早稲田の自宅へと戻っていった。ありがとう盟友。

このひと月後に二人で偶然その場所へ行くことになるのだが、それはセドナのカセドラルロックであった。
LAで車をピックアップし、ラスベガスで数日遊んだのち40号線を東南へひた走る。
グランドキャニオンを素通りして、フラッグスタッフで南へ下るとセドナがあった。
40号は何度か走ったことがあるが、僕はセドナという土地の存在自体も知らなかった。
宿に到着したのは日没後で、受付の二人の白人女性がにこやかに対応してくれる。
日本人のチェックインに彼女たちは歓喜し、日本のShintoについて僕に語り始めた。
神道について全く詳しくない僕はチンプンカンプンであったが、神道は素晴らしいということだった。
興奮して語る彼女たちの話に、日本人の僕は、ヘェ〜とか、ナルほど〜とか相づちを打つしかない。
「明日、朝起きたら周りの景色にビックリするわよ」そう言ってウインクされた。
そうか、セドナってそういう場所なのか。
カセドラルに登る途中、50年前ドイツからここへ移民してきたというクリンストンと名乗る老人が現れ、僕らを山頂にある「とっておきの秘密の場所」まで案内してくれた。
「いいかい、この難所は僕の登り方をよく見るんだ。ここに手をおいて、ここに足をかける」
ブルーグレーの瞳にシルバーの白髪。彼は毎日ここを登っているのだそうだ。
夜にはピューマやコヨーテが出るそうだが、その強力なボルテックスで僕らは思い思い瞑想にふける。

あの空に観た豊かな大河は、今ではセドナを突っ切る道路になっている。
集落のあった場所は空き地やブッシュになっているが、周辺には白人達の住居が点在していた。
さて、また脱線してしまったが、少し寝たら久々に出社しよう。
一難去って病明けの身ではあったが、この日にもう一体の龍が控えていることなど、 知る由もなかったカズくん50歳の初秋でありましたとさ。 つづく

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