龍を見たおはなし4 最終章「戸隠と高千穂と希望の光」

旅行最終日の9月13日 木曜日。
もう時間も時間なので、戸隠奥社参拝が今回最後の立ち寄り場所である。
実は2年前の「戸隠 蕎麦の旅」キャンプ・ツーリングのさい、皆で参拝を試みたのだが、折からのスピリチュアル・ブームということで凄い人だかりであった。
山頂の社殿付近までは辿り着いたのだが、参拝客の行列がハンパない。
「こりゃダメだ」ということで、社殿に近づくこともできず参拝しないで戸隠山を下りた。
今回は15時半という時間帯もあって、3名の年配のご夫人方が山から下りて来たほかは誰もいない。
戸隠奥社の参道には我々二人だけという絶好の参拝タイミングであった。
参道入り口の鳥居で一礼し、誰もいない神秘的な参道へと入って行く。
しばらく歩いていると、僕らの周囲に異変が起こった。
何と!参道の両脇に自生する植物たちが、僕らに向かって「おいで、おいで」と奥社へ誘うように手招きをするのだ。
中には大喜びするかのように踊りまくっている植物もいくつかある。
風による動きでも、低周波振動の動きでもなく、明らさまに人のような動き方をしている。
多くの植物たちの思わぬ歓迎に二人で大笑いした。
彼女は「スグに行くから、ちょっと待っててよ〜」と、苦笑しながら植物たちに声をかけている。
「ん、この感覚。いつかどこかで?」僕は思い出そうとしていた。
実は2年前に人ごみの参道を歩いていた時、参道脇の森の奥に木漏れ日によるスポットライトに浮かび上がる不思議な植物を見た。
50センチ半径のスポットライトに照らされたその植物は、僕に向かって「おいで、おいで」をしていたのだ。誰もそれに気づいてない。

僕はそれに引かれるようにブッシュを30メートルほど分け入って、間近でそれを観察していた。
服で風を遮ったり、毛虫が揺らしているのではないかとしばらく観察していたが、まったく原因がわからない。
あとで調べてみると、地下水や風の振動で発生した低周波により、それに共振した植物が揺れるということである。
ブッシュに何万も自生する植物のなかで、一本だけ共振するという確率を考えるとどうかと思ったが、それはそれで納得した。
が、今回は明らかに共振運動ではない。
もう僕はそれを歓迎の意として素直に受け入れることにする。
愛嬌のある植物たちに、笑いながら「ありがとう」とお礼を言った。
二人は植物たちの招きに激励されつつ社殿まで辿り着き、神前で結婚の報告をする。
昨日の諏訪大社に続き、人生初の戸隠神社 奥社参拝である。
「え〜と、御祭神は . . .天手力男命(アメノタヂカラオノミコト) . . .えっ?え〜〜〜っ!!」
こんな場所で、なぜに天手力男命??? あっ!僕は思い出した。
そう、先ほど参道で「いつかどこかで?」と、同じように感じた40年前の出来事。

僕は長崎生まれの長崎育ちで、小5の修学旅行は九州各地である。
そこで立ち寄った宮崎県と熊本県をまたぐ高千穂でそれは起きた。
神々が相談したと言われる天安河原(あまのやすがわら)を見学した帰り道。
(ここは東国原氏が県知事になる前に「宮崎に帰ってこい」と啓示を受けた場所だ)
当然、小5のガキにとってのそれは楽しくも何ともなく、僕は集団から1人離れブラブラと歩く。
天岩戸(あまのいわと)と渓谷を挟んで対面にある、今では通行止めになっている山道を戻っていた時である。
ちょうど天岩戸の正面に少しだけ開けたところがある。
そこにさしかかったとき、僕を取り囲むかのように何かが集まってきた。
目には見えないが大勢であった。
彼らは「めでたや、めでたや」と僕を囲んで宴会を始めた。
音は聞こえないが笛や太鼓の大宴会だ。 何やらおめでたいことがあったらしい。
この場所の太古の記憶なのだろうか? すると僕の中で体験したことのないことが起こった。
魂がゆっくりと振動を始めている。
うゎん、うゎん、うゎん . . .と次第に振動が大きくなってゆく。
そしてそれがピークに達したとき、嬉しくて嬉しくて涙がボロボロと滝のように溢れ出る。 時間がギュ〜ンと伸び、空間が変わる。
「めでた、めでた、うれし、うれし、やんや、やんや」と歓声がひときわ大きくなった。
いっそうの大歓声につつまれた僕は、嬉し涙で嗚咽(おえつ)しながら「ありがとう、ありがとう」と何度もお礼を言っていた。
(小5のガキですよ、こん時) なぜ嬉しいのか全くわからない。
なぜその言葉が自分から出たのか分からない。
とにかく僕は「八百萬(やおよろず)の神様って本当にいるんだなぁ」と思ったのであった。
今までに3度ある、「魂の振動」を初めて体験した思い出である。

そして、高千穂の宿に到着するやいなや(〜as soon as〜)、手のひら返しのように高千穂の伝説に俄然興味を持った僕は、片っ端から伝説に関するパンフを読みあさる。
〜天照大神が岩戸にお隠れになると世界は闇になった。
困ってしまった八百萬の神々は、一計を考え岩戸の前で宴会を催す。
外の騒ぎは何ごと?と天照大神が少し岩戸を開けた瞬間を見逃さず、天手力男命が岩戸をもぎ取りブン投げた。
岩戸は信濃まで飛んで行き、神々の連携プレーによって世界は再び明るくなった〜 なんつー馬鹿力。
しかし、どうかと思うネーミング。
もうちょい良い名前があったのではないか? 手の力の男とはあんまりだ。
僕の中では「名前がかわいそう」「頭は足らんが力は強い」というキャラ設定が出来上がり、八百萬の神々の中で「天手力男命」だけは唯一覚えていたお気に入りの神様であった。
そんな高千穂の神様の名前を、長野の山奥で目にすることとなった。
はっ!として調べると、天手力男命が高千穂からブン投げた岩戸が、この戸隠山に落ちてきたらしい。
岩戸が閉まり二度と暗黒世界にならぬよう「岩戸」を「隠す」という意味で、「戸隠」という地名が出来たのだった。 な〜るほどね〜。
しかし、光の中のプロポーズ時に起こった魂振動&嬉し涙と、高千穂での魂振動&嬉し涙。
高千穂の参道での大歓迎と、戸隠奥社 参道での大歓迎。
龍のことはともかく、バラバラだった点と点が、ここでひとつのラインとなって結ばれた。
戸隠奥社には一段下がったところに、もうひとつ社殿があった。
「あそこにも社殿があるよ。そこもお参りしとこうか」
奥社の社殿と下の社殿の間には絵馬殿があり、賽銭箱も設置してある。
「絵馬殿にも賽銭箱があるから、ついでにココも」 と、お賽銭を入れガラガラガラ〜〜、パン、パンとご報告をする。
頭を上げると、僕の目線の先1.5m、賽銭箱の奥に一枚の古い絵馬が立てかけてある。
絵の具は劣化してかすれているが、左側に大勢の神々、その神々と対面するかたちで右側に1人の神様が龍を伴っていた。
「ひっ、ひょえ〜〜〜〜っ!!!!え〜らいこっちゃ、え〜らいこっちゃ!!」
何と!そこに描かれていたのは、土曜日にベランダ前に現れたヘンチクリンな龍であった。
絵馬では、手足の付いた胴体に九つの首を持つ龍の姿であったが、僕が見たのは手足のない胴体の先に3本指の前足を持つ多くの龍の姿。
そのあたりの描写こそ違うが、明らかに同じ「熊手スタイル」の龍である。
もうひとつの社殿にお参りすると、そこには「九頭龍大神」と書かれてあった。
この山に岩戸が飛んできた縁で、元々ここを護っていた九頭龍大神が高千穂へ出向き、天手力男命をこの地へお迎えしたという経緯であった。
そして戸隠神社 奥社の御祭神は天手力男命となり、九頭龍大神は一段下がり控えているのである。

う、う〜む、いったい何なのだこれは。
日、月と2夜連続で現れた龍には諏訪大社へ引っぱられ、土曜日の妙な龍からはココへ引っぱられてきた。またも点と点がラインで結ばれた。
ガキの頃の不思議体験も含め、まるでパズルのピースが埋められてゆくようにパチン、パチンと繋がってゆく。
この10日で起こったもろもろの不思議な体験は、もう現実として認めざるをえない。 降参である。
こうなってしまっては、僕は全てを受け入れるしかない。 本当にえらいことである。
実は、龍を見る4ヶ月ほど前、ちょうど彼女と知り合ったころ。
あまりにも露骨なシンクロニシティが続いていたので、前出の横浜のKANさんに霊視してもらったことがある。
曰く「あなたは人間への生まれ変わりをする必要がないほど、転生輪廻を繰り返しています。ではなぜ今回も人間に生まれてきたかと言えば、現世において何か役目があるからです。そのため周囲にいる人たちはあなたから去り、代わりに魂の繋がりが強い人たちが集まって、そのお役を手伝うんです」と。
「いやいや、僕はそんな聖者なんかではないし、物欲、性欲などもろもろの欲があり、蚊や釣った魚以外にも間接的に殺生もするし、知らぬ間に他人を傷つけたりしているかもしれない」
「それとこれは話が違います。人間が生きるには欲や殺生も必要とするでしょう。行き違いで他人も傷つけるでしょう。しかしそれにより現世を学びます。欲のない人間って、はたして人間でしょうか?」 と聞かされた。
お役目?さっぱりわからない。そして今回の一件。意味不明。
しかし、僕がぶっ倒れたあの時、僕の中に何かが投げ入れられていた。
僕は自分自身へ結界を張っている。この結界はとても強靭で何者もそこへ入って来れないのだが、あの白龍はそれを突破して入ってきてしまった。
そして何かを置いていったのだ。 それは物質に例えるとタマネギのようなもの。
時間をおいてその皮が一枚剥がれ落ちるたびに、ビジョンや過去、未来の記憶、数字(西暦)、龍の意識のようなものが湧き上がる。
よく龍が玉を持つと言われるが、あれは水晶のような物質ではなく、このようなものではないだろうか? それから数ヶ月、僕の心は湧き上がる記憶やビジョンに打ち負かされる日々を送った。
「本当にそうなるのだろうか?」
「地球はどう変わるのか?」
「太陽系や銀河系はどうなのか?」
切れ切れの未だ体験せぬ記憶に心を引き裂かれ続ける中、僕は何かを見つけるため問い続けた。
「ひょっとすると今は暗黒時代なのではあるまいか?太古の伝説にあるような」
飢える者と富める者。戦争。真理と嘘の逆転。地に落ちゆく魂。
そんな中、本当に微かではあるが、僕はひとすじの光を見つける。
「プレイヤー」と「傍観者」 プレイヤーとは地球の意識に沿った方向へ向かっている人々である。
傍観者とはチケットを持ちながら、プレーに参加しない人たちである。
地球は今まさに進化のタイミングを迎え、この進化の過程に傍観者は必要とされない。
地球の物理的、精神的なシステムを機能させ、次のステップへと進化させるには多くのプレイヤーを必要とする。
今、この地球上に生まれついた魂は、全てプレイヤーとなるために舞い降りてきた。
プレイヤーチケットは易々と手に入るものではなく、我々はその難関を超え地球に生まれついたのである。
中には母の体に宿っただけで満足だという魂もあるだろうし、地球の大気をひと呼吸するだけで満足な魂もあっただろう。
僕自身も含め、今これを読んでいる方々は本当に恵まれている。
このタイミングで生まれついたのであるから。
蛇足だが、KANさんが言っていた。
「私が日本人であれば、日本をひいきする選民思想と思われるかもしれない。だけど私は14歳まで中国で生まれ育った中国人、妻は台湾人です。(二人とも日本国へ帰化している)私が中国にいた頃、どれだけ日本に憧れたか。神の国、龍の住む国、日本。でも日本に生まれつくことのできる魂はほんの一握りなのです。一定レベルをクリアしないと生まれることさえ出来ない、それだけ特別な国なのです。だから日本人として生まれてきたことを無駄にしないで欲しい」
さて、あなたは徹夜で並び、やっと手に入れたゲームをプレイすることなく傍観者で終わるのか? 白龍が伝えてくれた意思を読み解いて欲しい。
「お前たちが選び、お前たちがそれを選択した」 裏を返せば、傍観者ではなくプレイヤーを選択すれば良いのである。
現に未来は少しずつではあるが変化している。
これは世界中にプレイヤーが増え、地球上の総合意識が未来を変えているということでもある。
僕はこのあと2度に渡り、その希望がただの憶測ではないことを伝えられた。
ひとつは「保谷の霊能者」の口を借り、もうひとつは「沖縄のユタ」の口を借りて。
この二つの話でも、僕は号泣してしまった。
(涙もろいじじい化現象なのだろうか?)
今現在でも新たな知人の口やお筆先?によって、引き続き伝えられている。
(これも面白い) それらもぜひ聞いていただきたい話ではあるので、またの機会があれば投稿することとしよう。
簡略化したので分かりづらかったかもしれないが、貴重な時間を裂き、ここまで読んでくれたことを感謝する。
あなたがこれを読んだのは決して偶然ではない。必ず理由がある。
最後に、こういう機会を与えてくれたHHS図書館に感謝する。
そしてみんな永遠に幸せになりましたとさ。 と結びたいものである。
とっぴんぱらりの、ぷ。 おしまい

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