龍を見たおはなし5 番外編「保谷の霊能者と2500年前の記憶 」の巻

この話は自分にとって大切な話なのでチト長い。
時間の無い人や興味の無い人はスルーするように。

2012年9月の強烈な2体の龍の体験から、はやひと月が経過し10月も半ばにさしかかった。

一体僕は何をやるべきなのだろうか?

足がかりを探すため、まずは諏訪の龍が来た方角と、吠えた方角を調べる。
GooglEarth上に線を引いていくと小笠原諸島に辿り着いた。

何もない。
龍が来た方角は関係ないのだろうか?

しかし、当時そこには何も無かったが、1年後「西ノ島」が活発化し短期間で面積を10倍にした。

地球の火山活動を注視せよということなのか?

いずれにせよ、当時は思い当たることもなかったので次へ進んだ。
今度は吠えた方向へ線を引くと、東京、千葉を突っ切り一直線で福島第一原子力発電所とクロスした。
それらを足がかりに、生態系、水、食料、地殻、気流、海流、金融、国家、縄文文化その他、多くのことを調べまくる。

長くなるのでこの話はこのくらいにしておく。
龍の体験があってからは、相変わらず僕の中からビジョンや啓示のようなものが吹き出してくる。 何しろ地球のことを調べれば調べるほど、それらは現れるビジョンや啓示の裏付けになるようなものばかりであった。

並行して龍のこともずっと調べ続けた。

そしてやっと信憑性のある体験談が引っかかる。
青森の「奇跡のりんご」で有名な木村秋則氏が、自らの体験談を綴った
「すべては宇宙の采配」という本だった。

さっそく池袋じゅんく堂へ妻とチャリを飛ばし、店内で一気読み。
(もちろん買いました)

そして、本当に愕然とした。
その本の中での龍の話は少しだったが、氏が他の存在から伝えられた内容に、僕は地の底に落ちてゆくようなショックを受ける。
なぜなら伝えられ方や伝えた存在は違えども、それらは僕のものと同じだったからである。

「そうなるということなのか? 本当に?」

もう僕は立ち直れないほどに落ち込んだ。
そんな矢先、前出の千葉のらあめん店経営 A氏が僕の職場に現れる。
彼は僕と目が合った途端、
「あっ!山口さんがいた!!先月、龍を見たって言ってましたよね?」
と叫ぶ。
「え?どうしたの?」
「いやね、前に話したことがあると思うんスけど、保谷のマキさん(霊能者)から出がけに電話があって、 『あなた、龍のこと何か知ってるでしょ』」
と言われたという。

「いや自分、龍なんか見たことないし、知らないっすよ」
と返したが、
「そうかなぁ?近ごろ龍の様子がおかしいのよ。あなた本当に何か知ってない?」
「いえ、本当に知らないっす」

ということであった。
そのあとウチに来たのであった。
そして、僕の顔を見て「あっ!」っと思い出したらしい。

「電話してあげれば喜ぶと思いますよ」
と、マキさんの連絡先を教えてくれた。

それから僕はマキさんへの連絡を何日も躊躇(ちゅうちょ)した。
少しでも情報が増えることは歓迎だったのだが、あまり守護霊や過去生の方向へ心のベクトルを向けたくない。
ベクトルは待った無しの未来へ向けるべきである。

だけど木村秋則氏の本で打ちのめされていた僕には新たな進展が必要で、何かヒントが導き出せればという気持で連絡を取った。

「あのぅ、A氏の紹介でご連絡させていただきました」
「鑑定の依頼ですね。年内だと12月28日しか空きがなく、それでも宜しければ大丈夫なんですけど?」
「あ、え〜と、は、はい。ではそれでお願いします」

どうやら通常の霊視依頼だと思ったようだ。
ま、龍のことは会ってから話せばいいやと思い、その体で予約を取ることにした。

さて暮れもさし迫った鑑定当日。
鑑定料は払うが霊視してもらう意思はなかったので、龍や不思議な出来事の話しをするつもりで妻と二人でお邪魔することにした。
呼び鈴を押し、「いらっしゃい」とドアが空いた瞬間。

「はぁ〜〜〜、やっと現れてくれた!私ねぇ、この10日ばかり寝かせてもらえなかったんですよ〜。その愚痴は中でじっくり聞いてもらいますから、覚悟してくださいね。さ、どうぞお入りください」と。

初対面でのいきなりのマシンガントーク炸裂で何が何だかサッパリだったが、何やらそうとう大変だったらしい。

マキさんは、とりあえず私たちを部屋まで案内してくれた。
後で本人から聞いたが、依頼人の顔を見た瞬間
「あ、私、あなたのことは霊視出来ません。申し訳ございません」
とお断りすることもあるようだ。

沖縄のユタもそういうことがあるらしく、依頼の電話が鳴った瞬間に視る視ないを決めることがあると聞く。

「あのね、例えると私はラジオみたいなもので、ある帯域に周波数を合わせることができるの。一種の翻訳機みたいなものね。
だから、存在から伝えられる内容とかは、自分で理解できないということもあるのだけれど、今回もそう。何しろ情報も多いし、現れた方々の名前も長いので覚えてない。それでも宜しければ聞いてもらえますか?」
ということであった。

事は10日前から起こったらしい。
夜な夜な外国の僧侶みたいな人たちが枕元に立ち、入れ替わり立ち代わりビジョンを観せたり話をしてきたのだという。
「彼にこれらを伝えて欲しい」と。

「いったい誰にそのことを伝えればいいの?」

何しろそれを伝えるべき相手が目前にいないのだ。
彼女にとっても初めての出来事で困惑したらしいのだが、いずれにしても何日か十分に寝かせてもらえなかったそうだ。

さて、ここからは彼女から伝えられた話。
彼らは一人ずつ氏名を名乗ったあと、自分たちの集団のことを「ゴーダン」と名乗った。
入れ替わりで何人も登場するし、個々の名前はとても長いので覚えられなかったそうだ。
曰く、師よりの使いとして伝えに現れたらしく、
師とはガウタマ・シッダールタである。

「我らはゴーダンである。
シッダールタに師事する者で、師の使いとして彼へ伝えるためここへ降りた。
彼もまた、我らと同じゴーダンであり、師と同族の釈迦族でもあった。
彼は修行を積み、自分の生き様を人に見せる事によって人々を導こうとしたが、その奇跡にばかり目を奪われ中には迷う者も大勢いた。
彼が出家したのは師が晩年を迎えたころであり、彼にとって十分な年月を共に過ごし、十分な教えを乞う前に師は世を去ってしまった。
それゆえ、彼は今なお人を迷わせたことの悔いを残している。
その悔いなどないのだと彼に伝えよ。
そしてまさに今、師との約束の時は訪れた。
今こそ自分自身が何者かを思い出し、その使命を思い出して人々を導け」

大まかに言えばそういう内容だった。
その時のやり取りについては、マキさんの2013年元旦のブログにも少しだけ記載されている。
https://ameblo.jp/readingmaki/entry-11440217260.html 


「詳しくは私には理解できないのだけれど、どうです?わかりましたか?」

一通りの話が済むと、マキさんが聞いてきた。
僕は「はい」と答えた。
もちろん僕はその全てを理解してはいなかったが、この4ヶ月の間、自分が次に進むべき道は見出している。

お釈迦様とその弟子達の話は全く予想外であり心当たりもないが、これから僕が始めようとしていたことと、彼らがマキさんを通じて示してくれたことには類似性と一貫性があったし、僕の肩を押してくれるありがたい助言でもあった。

木村秋則氏の「すべては宇宙の采配」では、人類の未来についてスパっと切り捨てた書き方をされていた。
僕のビジョンも同様な内容だったので、本当に辛い日々を送っていたのだが、本を何度も読み返すうち何かが違うことに気がついた。

「いや、僕には微かながら一条の光が見える。木村さんはそのことについて書きそびれている。僕はそれを補うような本を書かなければいけない。自分なりのやり方で、自分に出来ることの範疇で、世界中の皆んなに少しでも希望を与える本を書こう」

そう思い立っていたのだった。
くしくも、そう決断した後になって、木村さんの「見えないものを見る力」という希望のある本があるのを見つけたのだが、既にその時には僕の決意は定まっていた。

自分なりのアプローチで誰もがカバーしていない部分をカバーすること。
そのために本の出版が必要になった。

何という完璧なシナリオであろう。

以前、僕が自費出版した本は、この本の前準備であったのだ。
前の本が成功していなければ、海外で本を出版しようなど考えもしなかったはずだ。本はまずイギリスで出版しようと考えている。

なぜ日本ではないかというと、地球の未来を変える脱皮には多くのプレイヤーが必要となる。
多くの日本人は日本人が持ち合わせている精神性に気づいていないが、日本人のそれは世界でも稀なものである。

「なぜむやみに暴動が起きないのか?」
「なぜ落としたサイフが戻って来るのか?」

海外の人々はそれらの精神がどこから来るのか理解していないし、自分たちにも同じ精神が宿っていて実践できることを知らない。

ならば、それを彼らが分かりやすいように説明し、覚醒させてあげれば良い。
少なからず、英語圏やスパニッシュ圏で理解されるだけでも大きな力になる。
もしそうなれば、やがて日本にもその精神性が海外から逆輸入という形でフィードバックされ、日本人の中に宿った眠れる獅子を呼び覚ますのだ。

そう、僕がセドナで白人女性達から神道のことを聞いたように。
僕は製本や出版にも通じているので、本の装丁やボリューム、厚みや重さなどが頭の中で出来上がる。

本は国によっても規格が違うし、効率の良いパッケージングを考えなければならない。 頭の中で具体的な本の完成形のビジョンが出来上がったそのとき、僕はハッとした。

以前、10月にKANさんが自宅に訪れたとき、居合わせた妻を紹介し
「せっかくだから少し視てもらえば?」
とKANさんに妻の霊視をお願いしたことがあった。

曰く
「あなたが英語のタイトルのついた本を読んでいる姿が視えます。このくらいのサイズの本で厚さはこのくらい。それが強烈に視えます。何か心当たりはありますか?」
「う〜ん、英語の本など読んだこともないし、全く心当たりがないんですが。。。」
と彼女は答えていた。

そう、それはまさしく僕がこれから出版しようとしている本であり、未来のそれが既にKANさんには視えていたのだ。
例えば、口には出さないけれど「本でも書こうかな?」なんて僕が思ってたりしてた場合、その思念が妻やKANさんに伝わるかもしれないが、当時は僕でさえ本を出版しようなどと考えてもいなかった頃だった。

面白い、面白すぎる。

過去・現在・未来へと繋がる時間軸と記憶の謎。
そして、いったい誰がこのシナリオを書いているのだろうかと思う。
さて、マキさんとの話が終わり、彼女は僕らにお茶とケーキを振舞ってくれた。

そうだ、龍の話を聞いてみよう。
「僕ね9月に龍を見たんですよ」と切り出した。

「あら、そう。龍はあなたに何か伝えたいことがあって来たのね。え?倒れちゃったの?そりゃそうよ、だって龍と人間では持っている波動が全く違うんですもの。それがあなたの身体に入ってきたのだから、それは大変だったでしょうよ。ははは。 あ、そうそう、あなたね、お釈迦様にそうとう叱られたらしいわよ。あなたも高名なお弟子さんだったらしいから、調べればわかると思いますよ」

そして帰りしな、マキさんは妻を抱きしめながら
「この人のことを、どうか、どうかよろしくお願いしますね」と、
子供を託すように僕を彼女に託し、僕らはマキさんへ感謝を述べ帰路についた。

帰宅して、なんとなくの期待もあり「釈迦に叱られた弟子」について調べてみることにする。 検索すると、叱られたお弟子さんは沢山見つかったが、それらの中には全くピーンと来るものがない。

「ま、そんなものだろう」
と探すのはヤメにしていたのだが、またしても答えはスグにやって来た。

僕はプロフェッショナル用途のワークステーション等をカスタムするチューナーでもある。
その顧客の中で佐藤くんという若者がいて、今後のチューニングの件で話したいという。
それで自宅へ来てもらったのだが、そのとき
「そいえば、不思議な事があったんだよ」
と、龍の話と釈迦の弟子の話をしたところ、
「僕、そのお弟子さん知ってますよ」と言う。

翌日、佐藤くんは釈迦の弟子について書かれた一冊の本を持ってきてくれた。
本の中程に付箋が貼ってあり「この人、山口さんですよ」と。

なぜ佐藤くんが僕と断定したのかは定かではないが、何と!読んでビックリ、それは僕であった。

簡単に触れられた内容だけで、なぜその人が自分だと感じたのかは不明だが、確かにその人は自分である。
その人の名前がピンドーラ・バーラドヴァーということがわかったので、それを元にさらに検索して調べてみる。

何しろ2500年も前の人のことなので言い伝えも様々であったが、その中でとある事件を記したものがあり、それを読んだ瞬間、僕の中に遠い記憶と感情が洪水のように蘇ってきたのだ。

僕は泣いた。
泣きに泣いた。

古い伝記であるので言い伝えは様々であり、僕の記憶とは若干の違いはあるものの、大まかに言えば次の通りである。

『ピンドーラはバラモン教の国で育ち、王とも近い関係であった。
彼は宮中でも人気があった。

そんな折、その国に立ち寄った尊師シッダールタの説法を目にする機会があり、彼は感銘し、そして出家して弟子の1人に加わった。

彼は未熟であったが良く修行を積み重ね、いつしか「私の弟子の中で神通力第一、獅子のごとき説法を説く獅子吼第一」と称されるまでに至った。

そして事件が起こる。
目連(マハーモッガラーナ)とピンドーラ(僕)が連れ立って托鉢をしているとき、とある村で騒動があった。
兄弟子である目連は僕と同じバラモンの出であり、二人はよく一緒に連れ立っていた。 その騒動には数名の兄弟子達もいたので何事か聞くと、村の長者が栴檀で托鉢用の鉢を作り竹竿の先に吊るし、「神通力で取った者に差し上げる」と意地悪をしているのだという。

もちろん兄弟子達や集まってきた他の修行者達には取る事が出来ない。
目連と僕は共に神通力第一と称される弟子だったので、長者から馬鹿にされ憤慨していた兄弟子達は、僕らにそれを取り、長者を見返して欲しいと嘆願した。

僕は目連へ「兄がお取りください」と言った。
しかし人前で神通を使わない謙虚な心を持つ兄は辞退する。
我らの尊師シッダールタはやむを得ず人前で神通力を示すことがあったが、それは邪道であり無用であると日頃から語っていたのだ。

兄が辞退したことで皆の視線は僕に集まった。
伝記では「空中に浮いたピンドーラは長者の家を7周回って鉢を取った」と記されているが、僕の記憶では「まず長者の家の塀に登り竹やぶの一本の竹へ飛び移ったのち、枝を伝って取った」。
竹の枝はとても細いため人の体重は物理的に支えられないが、僕は自分の体重を減らして竹の枝伝いに鉢を取ったのだった。
その方が曲芸にも見えるし、人々の目から神通力を誤摩化せるかとも思った。

神通力(いわゆるサイコキネシス等)は誰しもが本来持ち合わせている力である。だから、それを普段から常用していると、皆も自分と同じように多少なりとも使っているのだろうという錯覚におちいる。

実際に誰しも多少なりとも使ってはいるが、どこかにその線引きがあって、それを超えると能力者と呼ばれるのである。

あっさりと鉢を取った僕に観衆はとても驚いていた。
「彼らゴーダンは本物である」と。
兄弟子達も面目躍如という面持ちで、観衆らと共に僕を誉め称え、
「少しマズかったかな?」と思う反面、気分の良くなった僕の鼻は伸びる。

さて、宿舎に帰らねばならないが、噂が噂を呼び多くの民衆がゾロゾロと宿舎までついてきてしまった。

「外の騒ぎは何事か?」と尊師が聞き、弟子の1人が事の経緯を説明する。
「ピンドーラを呼びなさい」
と、僕は尊師の面前にひざまづいた。

「民衆の前でむやみに神通力を示せば、人はそのことばかりに着目し肝心の教義が伝わらないであろう。以後、神通力を使う事を禁ず。そして。。。以後、我らと寝食を共にする事を禁ず」

破門というわけではないが、これは本当に辛かった。
全ては自分自身が招いたことであり弁明の余地もないが、
皆から離れることは身を裂かれるほどに辛かった。

僕は涙に暮れながら兄弟子達へ別れを告げ、
失意のなか生まれ故郷へと帰って行った。
故郷へ帰ってからは人々の病を治すことに生涯を使う。

そんな折、兄弟子が僕の元へ使いとしてやって来た。
「もう尊師が危うい。お前を呼んでいる」と。

「ああ、尊師は僕の事を忘れてはいなかったのだ」
と涙で歓喜し、急ぎ尊師のもとへと参じた。

本当に、本当に嬉しかった。

死の床へと僕は呼ばれ言葉を聞いた。
「ピンドーラよ聞きなさい。私はお前に命ず。
まず、弥勒(みろく)の世が訪れるまでお前は数人の弟子を選び涅槃(ねはん)に入るのを待ちなさい。そして、神通力を使ったり仏門に入ることもならぬ」
と。』


これらが2500年前のあらましである。
そして僕は、約束の日が訪れるまで涅槃(ねはん)に入らず、現世で待つことを誓った数人の同門を選び、尊師や他の兄弟子達は涅槃へと入った。
涅槃に入らず現世にとどまる誓いをたてた者達は、十六羅漢(じゅうろくらかん)と呼ばれている。

仏教に全く興味の無い今の僕には、まず仏教用語がサッパリわからないのでさっそく調べてみた。

● 弥勒(みろく)の世=未来永劫まで続く、苦行、苦難のない完全平和な世界

● 涅槃(ねはん)=生まれ変わりをしなくても良い世界
(アセンションという言葉と同義かもしれない)

つまり、「弥勒の世が来るまで涅槃に入ってはならぬ」とは、
世界平和が訪れるまで輪廻転生(りんねてんせい)をしていなさいということである。

「神通力を使ったり仏門に入ることもならぬ」というのは、荒行をして神通力を得たり、豪華絢爛な偶像崇拝で人は真理を学べるのか?ということである。

ここでKANさんから言われた話が繋がる。
「本来、あなたは輪廻転生をしなくても良い人で、何か役目を授かっている」
という話。

そして尊師から兄弟子、兄弟子からマキさんへと伝えられた
「今が約束の成就する時である」という話。

つまり、これから絶対的な平和な世が訪れるから、お前は準備しておきなさいよということである。
何と、尊師や兄弟子たちは2500年もの永いあいだ僕のことを忘れてはおらず、わざわざ現世に降りてきて伝えてくれたのだ。
尊師が未来へ仕掛けたカラクリの仕組みが、今まさに動き出している。

ありがたく、懐かしく、愛おしく、その深い慈悲と愛に触れて、僕はわんわん泣いた。本当にわんわん泣いた。

そして、自分の生涯を人の為に尽くすことを心に誓った。
龍の話の時に少し触れたかもしれないが、僕は自分の中に力が宿っていることを幼少の頃から知っていて、それを自分自身で封じていることも知っていた。

なぜ知っていたかというと、稀にそれが開くことが何度かあったのだ。

小学校の隣りの山にお稲荷さんがあって、そこの脇道を登ると山に入って行ける。山に入ってどんどこ進み、道から外れて少しブッシュを進むと渋柿の大木があった。
渋柿は朱色の段階では渋くて喰えたものではないが、
赤色に近いほど完熟したものは甘くて美味しい。
子供にとっては良いオヤツである。

で、ある日、行ってみると真っ赤に熟した食べごろの柿が枝先にぶら下がっている。さっそく柿の木に登って取ろうとしたが枝先にあるものだから全く届かない。
「ならば隣りの木に登って取ればよい」と思いついた。

やっとのおもいで隣りの木に登ってからわかったのだが、広葉樹の大木は密生しない。隣りの木の枝も、柿の実が取れそうなポジションにある枝は小指ほどの太さしかなく、物理的に人の体重を支えられない。

そのとき僕の食い意地はその力を解放した。
「だったら体重を無くせば良い」
僕は自分の体重を空気のように軽くし、細い枝を伝ってその真っ赤な柿の実をゲッチューしたのだった。

その昔、ピンドーラがやったことと同じことをやったのだ。

この話は「完璧にヤバいヤツ」と思われるので人に話したことはないが、もう何と思われようとかまわない。
ちなみに、ピンドーラは「ぴんずるさん」という名で日本に伝わっている。
「ぴんずるさん」が置かれたお寺に行ったことのある人は気づいているかもしれないが、釈迦像や如来はお堂の中に安置されているが、「ぴんずるさん」は1人お堂の外で人にベタベタ触られてボロボロになっている。

これは前出の「宿舎から出た」話が元になっていて、「ぴんずるさん」は涅槃(ねはん)に入らず現世にとどまった十六羅漢(じゅうろくらかん)の筆頭であるので、釈迦像から離れて1人だけ外に置かれている。

人に触られるのは、触った場所の病気が治るという信仰があるためで、ピンドーラが生涯を村人の病気の治癒に専念したことに由来する。
あ、僕をベタベタ触っても妊娠ぐらいはするかもしれないが、ご利益は全くありませんのであしからず。てへ。

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