顔の消えた女教授

私が浪人時代の話である。
もう半世紀近く前だ。

私はある関東の芸術系の大学への進学を決めていたものの、母親が慢性腎炎を悪化させ、人工透析をすることになり、父親と祖父と私が残されることになった。

そうした事情もあり、進学も取りやめて地元の大学へどうしても進んでほしいという家族の希望で、ほんとうに嫌々ながら浪人生活。

しかも望みもしない分野の大学を受験せざるを得ず、
精神的に疲弊しきっていた。

入院中の母親のところへ荷物を届けたり、いろいろな手続きをするのも暇な浪人生の私の仕事になった。

当時は運転免許も持っていなかったため、
まだ細々と走っていた市バスに乗って病院まで通う。
これがまた降りてからが急坂で、本当にしんどかったのを今でも思い出す。

病院へ着けば母が、私が芸術系を目指しているのをずっとよく思っていなかったせいもあり、私の入院がいいきっかけで、人生間違えなくて済んだとか言い出すので、心底腹が立つばかりだった。

ただ一つ、病院通いでよかったことは、母親と同室の患者さん…
もう60を超えていただろうが、ある女子大学の教授を務めているという極めて知的で温和な女性と親しくなれたことだった。

専攻は日本の古典文学ということで、本が大好きだった私は病室に顔を出すといつも、彼女と1時間以上は話し込んでいた。
しかも彼女は民俗学的なことにも詳しく、昔話や伝承など興味深い話をたくさん聞かせてくれた。

そして二月程経過したころ、病室に顔を出すと教授が明るい顔で、
実はね、明日退院できることになったのよ、と告げた。

治療と静養のかいあって、入院の原因となった肝臓疾患も落ち着いたとのこと。

「いつも話し相手になってくれてありがとうね。退院したら大学へ遊びにいらっしゃい。ああ女子大だから入りにくいかもね」

などと冗談を言い、
「あなたといろんな話をしていたおかげで、ボケなくてすんだわ。研究テーマもまた思いついたし、ありがとう」
とまで言ってくれたのは嬉しかった。

その時である、背中に感じたことのない悪寒が走った。
それと同時に、何とも言えない酸っぱい香りが病室に蔓延した気がした。

しかし母も教授もそうしt気配は感じていないようだ。
私はとにかくその場から早く立ち去りたかった。
ゆっくり教授とも話をしたかったが、それどころではない。

用事があるから、とあいさつも早々に立去ろうとしたとき…見えてしまった。

どちらといえばふくよかな教授の顔が、
一瞬にして骸骨に変化するのを…

しかし退院を控え、喜んでいる人間を前にそんなことは口にできない。
私はものも言わずに病室を飛び出した後、トイレに飛び込み激しく嘔吐した。

その晩は家に帰っても一睡もできず、ただ茫然としていたのを思い出す。
そして早朝、電話が鳴った。
母からだった。

「夜中、戦士がなくなったのよ」
…大体想像はついていた。

なんでも急性心不全とかで、巡回に来た看護婦が気付いた時にはすでに息を引き取っていたそうである。
なぜか家族の中で私だけが霊感もちで、いやな思いは数限りなくしてきたが、あまりにも一瞬にして骸骨に変わった姿は今でも深く刻み込まれている。

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