どこでも劇場や劇団といった場所は、必ずと言っていいほど因縁話がある。
まあこれもその一つだけど、あんまり怖くない。
どちらというとほっこりする話。
昔、小さな劇団でスタッフをやっていたんだけど、
ある年に異常事態が起こった。
どういうわけか研究生に今まで例を見ない人数が応募してきたのである。
女子高生からOLまで女性ばかり20人近く…。
何せ劇団員より研究生のほうが多い、という事態だから大騒動。
何とか必死になって1年間の研修期間を終えて、卒業公演を行うに至った。
通常は劇団の稽古場で行うのだが、何せ大人数。
仕方なく地元の古い劇場を借りて、講演を行うという話になった。
ところがである、やっぱりこの小屋古いだけに因縁話が多い。
その一つが、いつも優しい霊子ちゃんのお話。
なんでも昔、ある劇団の研究生だった女子大生が、楽しみにしていた卒業公演を前に、心臓発作で急死したらしい。
それ以来、彼女がこの小屋で公演が行われるたびに、じっと舞台を見ているというのうのだ。
しかもいつも、寂しげな笑顔で。
実際、私も彼女には何度か出会ったが、まったく怖くない。
遠慮がちに、少し微笑みながら恥ずかしそうに舞台裏や楽屋に立っているのである。私たち見える部類の人間は、彼女に霊子ちゃんと名前を付けて、またいるんだね、とか話しかけていたほどだ。
ところがこの卒業公演で、事件は起きた。
主犯というか、当事者は私と同期の鈍感姉ちゃん。
舞台美術からメイク・大道具小道具・舞台監督まで何でもこなすスーパー姉ちゃん。ただ性格に難あり。
短気・粗忽・おっちょこちょい、しかも大酒のみの鬱病持ちだ。
実は私とそっくりなんだからどうしようもないが。
さて新人公演当日、舞台裏は大混乱。
なにせ素人同然の若い女の子が大量に舞台に立つのだから、メイクも着替えももうめちゃくちゃ。
私も男なのにもかかわらず着付けを手伝う羽目に。
それでもどうにか開演30分前には全員、スタンバイOK。
姉ちゃんと二人、楽屋で一息ついていたら、もう一人残ってる!
かわいらしい顔つきなんだが、もちろんノーメイク、髪形も古臭いし、何よりも顔色が悪い。
遠慮がちに楽屋の隅で私たちを見ている。
鈍感姉ちゃん、普段は見えないくせにこの時はなぜか気が付いた。
私はもちろん霊子ちゃんだということが分かっていたからほっといた。
そしたら姉ちゃん、持ち前の焦り癖を発揮
「何やってんだもう…」
とか怒鳴りながら、霊子ちゃんの手をひっつかんで化粧前へ。
私が止めようとするのも聞かず、いきなりメイクをはじめてしまった。
その間僅か10分くらい。
華やかな研究生たちの中でもちょいと目立つ美人が出来上がった。
すると姉ちゃん「早くいけ!」と怒鳴りつけて霊子ちゃんの腕を引っ張り、舞台袖へ連行してしまったのだ。
戻ってきてから「宅網!」とか文句を言いまくったがそこで気が付いた。
「おい、あんな子研究所にいたか」
というから、お前な、俺の言うことを聞いとけよ。
あれが有名な霊子ちゃんだよ。
というと、たちまちにして顔面蒼白。
「やっちまった…」と長嘆息。
それでも無事に舞台も終了し、終演後、お客様から数件の問い合わせが。
「あのいつもにこにこして、一言もセリフがなくてじっと端に立ってた子、だれ?」と。
どうやら粗忽姉ちゃんの勢いに押され、霊子ちゃん初舞台を踏んでしまったようだ。出演者の中にも知らない子を見た、という人間が出てきてあとは大騒ぎ。
その時、私と姉ちゃんの耳もとでか細い声がした
「ありがとうございました」と。
どうやら心残りが消えて、昇天したようだった。
後日、舞台写真を見たが霊子ちゃんは遠慮したようで、写ってはいなかった。