なぜ?今になって…

これは数ある霊体験の中でも、本当に一番危険で死に直面した話。
本当に霊に殺されかけた。
ただ、今でもその相手を恨んだりいかったりはどうしてもできない。

昔務めていた会社に、山下(仮名)という男がいた。
凄腕の広告会社の営業マンだ。
営業以外にも制作関係のマネージメントもできるし、実に貴重な人材だ。
そんな男がなぜ零細企業にやってきたかといえば、
名前を言えばだれでも知っている企業にいたのだが。
その会社はすべて学生の部活動のノリで成長してきた企業。
ある年齢に達すると嫌でもいられなくなるシステムを敷いていた。
30台に差し掛かった彼は、当然のごとく退職を余儀なくされた。
たまたまうちの部長と懇意で,仲も良かった彼を喜んで引き抜いたわけだ。
そこで少し彼と私の因縁ができる。
当時、社長と極めて折り合いの悪かった私を退職させるなら、
彼を採用するという条件を、社長が部長に突き付けた。
しかし彼は、自分の代わりに誰か斬るというのならバカバカしい、
絶対に行かないと言い出した。
このエピソードが示す通り、とにかく彼は一本気で筋を通す人間だった。

当時の広告業界は正直言って、無茶苦茶いい加減な遊び人も多かった中で、
実に骨のある、性格も竹を割ったような快活な男で、
仕事に対する姿勢も極めて勤勉。
瞬く間にメインクライアントからの絶対的な信頼を集め、
彼のおかげで業績も急成長を遂げた。

ただそんな彼にも一つだけ、問題があった。無類の酒好きなのだ。
時間の観念が希薄な業界だけに、
晩飯を食いに出るのが夜10時なんて言うのもざらなのだが、
その席でも軽くワインボトルを3-4本は飲み干す。
それからまた平気で仕事に戻り、残った仕事を片付けるのは日常茶飯事。
正直なところ、酒の飲めない私やチーフデザイナーは少々迷惑でもあった。
ところが社長も部長も、仕事は完ぺきな彼に注意もできず、
飲んでは仕事、という日が繰り返されていった。
私たちも少し辟易しながらも、社長たちにもキッチリ筋を通し、
明快にものが言える彼を信頼していた。
担当していたクライアントが違うため、
日常業務ではあまり一緒に行動することはなかったが、
どちらかが極度に多忙な時には、納品などの業務をサポートしあう関係だった。

そんな日々が数年続いた中、
社長との対立が深まった私、制作部長、チーフデザイナーは全員退職、
独立の道を選んだが、彼は私たちを信頼し続けてくれており、
実際の制作業務は私たちに任せてくれる関係だった。
社長は嫌がったらしいが、あんな腕のあるやつらを使わないほうがおかしい、
と彼がまた社長に直言。
報酬も大幅に引き上げてくれた。

ただそんな日も長くは続かなかった。
引き金は、彼の唯一の欠点である酒であった。
彼には親友といえるカメラマンがいた。
こいつは自分の人脈を常にひけらかす少し嫌味な奴だったが、
腕も確かで、またいろんな手配力も持っていたため、
まあ当然のごとく、フリーの立場ながら山下の片腕のように、
社に入り浸っていた。

そしてある夏の夜、悲劇は起こった。
共通の友人宅で泥酔し、風呂に入ろうとした山下だったが、
泥酔していたため、風呂のスイッチを切り忘れていることに気が付かなかったらしい。
異様な熱気が漂ってきたのに違和感を感じた山下は、
泥酔しふらつく足で、俺が見てくるから、と、風呂場に向かった。
沸騰し、煮えたぎっている浴槽。
その奥にあるスイッチに手を伸ばした時、酔った体は地獄の窯に転落した。
全身重度のやけど、命に係わる重傷ということで、
連絡を受けた我々もみな病院に駆け付けたが、意外にも本人は元気だった。
やっちまったよ、と苦笑いする包帯だらけの彼だったが、
その様子に安心した私たちは、何かあったら連絡しろよ、といってその夜は引き上げた。

そんな彼も様態が急変したのは2日後の朝、
危篤状態に陥ったという連絡を受けてからわずか数時間。
彼は息を引き取った。享年37歳。
死因は全身やけどが発端となった急性腎不全。
彼のご両親は大変な高齢で、しかも一人息子。
呆然とするご両親に変わって、集まった仲間たちが通夜から葬式の手配、
関係各所への連絡、そして葬儀当日の雑務までを取り仕切った。
彼の人徳もあり、葬儀は驚くほど盛大なものになった。
それからも49日、1周忌、3周忌、納骨など、
節目節目には仲間全員が集まり、盛大な供養を行った。
にも拘らずだ。事件は起きた。

3回忌が終わった直後、私は新たな仕事の依頼を受けた。
めったに受けない旅行関係の仕事だった。
今でいうパワースポット巡り、というか、
若者に有名な寺社仏閣を紹介するという雑誌特別号の一部を私が担当することになった。
担当先は長野の善光寺。
その打ち合わせを終えた夜、私は愛車で家路についていた。
家まであと30分というところで異変は起きた。
寒い、なんてもんじゃない。全身が氷のように冷たい。
そして頭からクビ、胸、腹部…恐ろしい激痛が走る。
何かものすごい力で体中を締め付けられる。
いろいろな霊体験をしてきた私でも、これだけすさまじいのは初めてだった。
ほとんど最後の力を振り絞って女房に電話、失われつつある意識の中、
現在地を伝え、迎えに来てくれ、と告げたところからもう私は何も覚えていない。

たまたま自宅には、いつも話に出る霊能者の先生を紹介してくれた地元の夫婦が遊びに来ていたらしい。
彼らの乗ってきたワンボックスに飛び乗り、私のもとに直行。
同時に先生に電話を入れるん制は震える女房の声を聴いただけで、
私の状況を察知したらしい。
「もう完全に危ない、間に合うかギリギリじゃ。とにかく急げ、支度はしておく」といって電話を切った。
車の中で意識を失い、呼吸も浅い私を3人がかりでワンボックスの後部座敷に抱え入れ、普段は使わない高速を使い、先生宅へ。
いつもなら一人で出迎える先生だが、その日は奥さんや息子さんも一緒。
すぐ仏間に抱え込んだ。
ここからは動揺していた女房、一緒にいてくれた夫婦に聞いた。
とにかくすさまじいことになったらしい。

テレビのオカルト番組でやる悪魔払いなんて、嘘だと思っていたけど…
仏間に運び込まれた私の体が、ものすごい勢いで痙攣し始めたらしい。
先生が絶叫した。押さえろ!呪文を唱えながら先生が私に飛び掛かる。
しかしその先生が部屋の反対側まで吹っ飛ばされた。
とにかくみんな手を貸せ!あまりに危ない、と先生は絶叫、
部屋にいた全員総出でようやく押さえつけたが、
それでもまだ飛ばされそうになったという。
先生は懸命に呪文を唱え、手にした先祖伝来の数珠で私の体を無理やりにひっぱたき続ける。
「話は分かった、お前の望みは必ず彼がかなえてくれる。だからもう落ち着け」
先生の声が静けさを取り戻す。
とたん,ともしてあった仏壇のろうそくが消え、
部屋の電気も切れて真っ暗に。
その中に、長身の男の姿がうっすら見えたという。
顔はわからない。ただ泣き笑いのような声が聞こえてて来たらしい。
先生は引き出しから古いお守り袋を取り出すと、そこに入るよう男に促した。
しばらくの気配のうち、男は消えた。
「もう大丈夫だ、話の分からん相手じゃない」と先生が告げたのは、数時間後のこと。

全員、疲弊しきってへたり込んでいた…。
先生の奥さんが、疲れ切った体を引きずり、冷たいものを全員に出してくれた。
その時、ようやく私が意識を取り戻した。
先生がゆっくり私に向かって口を開いた。
「あれはなあ、お前を頼ってきた友人だ。全身を大やけどして死んだ人間に心当たりがあるじゃろ」という。
はっきりしない頭の中でも、なぜか山下のことをはっきり思い出した。
「確かに。でも清田二層式も供養もし、仲間たちもまたかれをだいじにかんがえているのに、どうして…」と私は納得できなかった。
「彼はなあ、優しすぎる。真面目過ぎるところがあるんじゃ。
自分は盛大に供養され、手厚くまつられている。
でも残った恒例の両親はどうだ?とんでもない親不孝をした自分だけが成仏していいのか、という思いで、ずっと自分を責め続けていたんじゃ」
でもなんで私を頼ってきたのか、親友たちじゃなくてなんで私を…。
「甘えも一人息子、親は高齢で病身。しかも身内との縁は薄い。
似たところが多いからじゃ」
確かにそうだ。
うちも山下の家も、親と肉親の折り合いが悪く、
山下の葬儀にも身内は誰一人参列していない。
そんなとき、お前が寺の取材をする、ということを救いを求めてさまよっていた彼が聞いた。
そうすると胸の思いは一つだけ。
寺で親に詫びたい、そのうえで成仏してよいか、仏に聞きたい。
「生前は信仰心のある男ではなかったようだが、死後さまよううちに、
とにかく救いを、という念が強烈に高まったようじゃ。苦しかったんだろう。この思いをとにかくお前に伝え、一緒に連れて行ってほしかった。それだけじゃ」
というと、先生はお守り袋を私に手渡した。
「ここに彼の魂が入っている。間違いなく、お前が寺へ連れて行ってやれ。
代わりに供養してもらってこい。それで彼は救われる」
あまりのことに私は泣き崩れた。
あの快活で糧を割ったような奴が、ここまで苦しんでいたのかと。

翌週、取材予定を一日無理して伸ばし、私は寺に向かい、
お守り袋を供養してもらった。
もういいんだ、安心して成仏しろよ、と心から念じながら。

長い話、どうも失礼しました。
なおこの話はご両親にも仲間にも話していない。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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