灰になるまで

私は有料老人ホームで介護士をしています。

出来て5年程の施設で、まだ建物は新しく、明るい雰囲気の内装です。
各居室には、トイレ、洗面所、
ちょっとした料理が作れるキッチンも付いていて、
かなりプライバシーが守られる様な造りになっています。
ほとんどが一人用の個室ですが、
夫婦二人で入居できる広めに作られた部屋もあります。  

ところが、この夫婦部屋の1つである202号室は、
何故か入居者がなかなか決まらず、いつも空室になっていました。
夫婦と言えども他人。
長年連れ添った者同士とは言え、やはり1人の方が気楽で良いと、
1人用の個室に別々に入居するご夫婦の利用者が多いせいもありますが、
どんなに仲睦まじい夫婦でも、何故か202号室に入居すると、
激しい夫婦喧嘩になり、隣室からも「煩い!」との苦情も出て、
直ぐに退去し、別の部屋へ移動となってしまうのです。
ところが不思議なことに、202号室を退去された後のご夫婦は、
また元の穏やかな関係に戻るのでした。  

これは、その202号室で起きた出来事です。  

新人に仕事を教える為に、先輩介護士であるスズキは、
若い男性介護士のタナカと、2人で夜勤をやる事になりました。  
勤務時間は夕方の16時から翌朝の9時まででしたが、
そのうち2時間は休憩です。仮眠室はありますが、
ベッドは1つしかありません。
男2人で同じベッドで寝るなんて、スズキは密かに楽しみにしていたのに、
内向的で大人しいタナカが、この時だけはキッパリと嫌だと拒みました。
仕方がないので、仮眠室はスズキが使い、
タナカは空き部屋になっている202号室で休憩を取る事にし、
2人は別々に仮眠を取りました。  

新人介護士のタナカが、おかしな行動を取るようになったのは、
その夜勤が切っ掛けでした。
なんとタナカは、その202号室に入り浸るようになったのです。  
夜勤の休憩時間は勿論のこと、日勤の昼休みは食事も取らずに、
「ちょっと、休ませて下さい」などと言って、202号室へ入って行くのです。  
更に、その行為は徐々にエスカレートしていき、
勤務が終わった後や、休日までも、
こっそり施設に来ては202号室で過ごすようになったのです。
「ちょっと、おかしいよな。中で何やってんだろ」
同僚介護士達は、当然タナカの奇行に疑問を持ちましたが、
室内を荒らしたり汚したりしている様子もなかった為、
仕事の忙しさもあってか、深く考えずに、見て見ぬふりをしていました。
ただスズキだけは、タナカが少しづつ痩せてきているように感じ、
気に掛けてはいました。  

そしてスズキが夜勤の日の事です。
なんとタナカが、午後11時に出勤して来たのです。
「なんなの?」と、聞くスズキ。
「明日、早番なので……」
「そうだけどさ、ちょっと早すぎない?8時間も前だぞ」
「はあ……、そうですか。僕、時間まで、休んでますんで……」  
そう言うとタナカは、例の202号室に入っていったのです。
当然、訝しく思ったスズキですが、丁度ナースコールも鳴ったことから、
タナカのことは放っておき、仕事に戻ってしまいました。  

その後、スズキは休憩を0時から2時に取り、
休憩明けの2時半頃、1人で各居室の巡回を行いました。  
珍しく全ての入居者がベッドで大人しく寝ており、
思ったより早く巡回を終えたスズキは、
ふと202号室のドアの前で足を止めました。
何やら中から、物音が漏れ聞こえているような気がしたからです。
「あれ、タナカ起きてるのか?」  
もしかしてタナカが寝付けずに起きているようなら、
ちょっと話し相手にでもなってもらおうかと思い、
スズキは202号室のドアを、僅かに開けて中を覗きました。  

中央に置かれた2つあるベッドのうちの1つに、
タナカは仰向けで寝ていました。
室内は、常夜灯と、カーテンの無い窓から差し込む街の灯りで、
薄ぼんやりとしてはいるものの、かなりハッキリと見ることが出来ました。
「なんだ、やっぱり寝てるか」と、スズキは思いましたが、
何だか違和感を感じます。
横になっているタナカの体の上で、何かが動いているようなのです。
その何かの動きに連動して、ベッドが揺れ、
先程ドアの前で聞いた、物音を立てているのでした。  
スズキは目を凝らして、じっとタナカの上で動く何かを見ました。
室内の暗さに目が慣れたせいでしょうか、
最初は殆ど見えなかったそれの姿が、徐々に見えてきました。  

なんとそれは、白髪混じりの長い髪を振り乱した、半透明の老婆でした。
そしてそれは、タナカの上に馬乗りになって、激しく体を揺らしているのです。
「ヒャッ」  
スズキには、老婆がタナカの首を締めているように見え、
その悍ましい光景に、思わず声が出そうになりましたが、
自分の手で自分の口を塞ぎ、漏れる声を抑えて、
202号室のドアを閉めると、ガクガクと震える足で事務所へと掛け戻り、
直ぐに施設長へと電話をしました。
あまりの恐ろしさで、自分だけでは対処出来ないと思っての行動でした。
もしかしたら、信じてもらえないかもしれない、
そんな事も頭を過りましたが、頼れそうな人が、他には思い付きませんでした。

寝惚け声で電話に出た施設長でしたが、
スズキの説明と訴え、202号室という部屋番号を言うと、
「直ぐに行く、待ってろ」と言って電話切り、直ぐに駆けつけてくれました。
施設長は202号室のドアを、躊躇なく勢いよく開けると、
「タナカー、起きろ!寝るなら仮眠室へ行け!」と大声で怒鳴り、
寝ていたタナカを叩き起こすと、室内から追い出し、
自分も通路に出ると、ドアを閉めて鍵を掛けました。
「今から、この部屋は、立ち入り禁止だ!」  
寝込みを襲われたせいか、タナカは事態が呑み込めない様子で、
ボーッとしていましたが、
「タナカ、しっかりしろ!」と、施設長にバチーンと強く背中を叩かれ、
やっと正気を取り戻したようでした。

「女が、来てくれって、言うから…」  
タナカは202号室に入り浸るようになった理由を、そう語りました。
「女って…」  
スズキは、それ以上の言葉を飲み込みました。
あんな老婆を「女」と称するタナカの感覚が、
どう考えてもおかしいと思ったのですが、好みは人それぞれです。
タナカは歳上の女性が好きなのかもしれないし、
それをとやかく言う権利は、誰にもありません。
「お前、死ぬぞ」  
施設長がタナカに言いました。
「お前が見た女は、生きた人間じゃない。幽霊だ」
「えっ……」  
タナカは、施設長に言われて、一瞬驚いたような声を上げましたが、
顔は、なんとも言えない、複雑そうな表情をしていました。
多分タナカも、「女」が、
普通の人ではないことに気づいていたのかもしれません。
「あの部屋では、男性利用者が2人死んでるんだ。
それも短期間に同じ死因でだ。大雑把に言えば、2人共心臓麻痺だったんだが、
詳しく言えば、2人共に腹上死。
それも同じ女性利用者と一緒に寝ていた時に死んでるんだよ」  

施設長の話によると、202号室には、
施設が出来て直ぐに、80代の夫婦が入居したそうです。
お2人共に認知症を患っておりましたが、
どちらかというと奥様の方が病状が進行しており、
旦那様は優しく奥様を見守っているといったご様子でした。
夫婦は非常に仲が良くは、良好な関係に思われました。
ところが奥様は認知症の症状が進むにつれ、
人間の根源的欲望が抑えられなくなって仕舞ったそうです。
それはつまり、性欲でした。  
旦那様は非常に優しい人で、奥様の要求を断ることが出来ず、
老体に鞭打ち、行為を行っていました。
時には、介護士の夜勤巡回時に、その様な行為を目撃してしまう事もあり、
「202号室の巡回は十分に気をつけること」という、
申し送りがなされたほどです。  
とはいえ、ご夫婦の営みを、赤の他人が止める事などできません。
施設長はじめ介護士達は、ただ見て見ぬふりをしていました。  
そして悲劇は起きました。  

夜勤巡回時の介護士が、
ベッド上の奥様に重なるようにして息絶えている旦那様を発見したのです。
奥様は、旦那様のご遺体の重みで身動き出来ず、
うめき声を上げていたそうです。  
間もなく奥様は202号室を出て、1人部屋へと移動となりました。
ところがそれから間もなく、再び事件は起きました。  
夜間巡回中の介護士が、誰も居ないはずの202号室から、
物音が聞こえてくることに気付きました。
少し前に、夫婦で入居していた旦那様の方が、腹上死していた部屋です。  
流石に気味が悪いと思った介護士は、もう一人別の階で夜勤をしている同僚を呼び、2人で202号室の前に行き、せーのでドアを開けました。  
そこには、ベッドの上に仰向けで横たわる男性利用者と、
その男性に馬乗りになっている、女性利用者の姿がありました。
女性は、先日、旦那様を腹上死で亡くされた奥様。
男性は、その奥様の隣の部屋を利用している70代の単身者でした。
2人共に一糸纏わぬ姿で、衣類や紙パンツが、床の上に散乱していました。
奥様は男性に馬乗りになったまま、両手で男性の肩を掴んで、
「ほれ、がんばれ。ほれ、がんばれ」と繰り返していました。

介護士が部屋の中に入って行っても、気付かないのか、見えないのか、
全く意に介さずといった様子で、横たわる男性を揺さぶっており、
その振動でベッドがギシギシと鳴っていたのでした。  
そして男性はというと、口と目をカッと見開いたまま、絶命していたのです。
男性の死因は虚血性心疾患でした。  
短期間に2人の男性が同じ部屋で、
それも同じ女性と就寝中に急死したという事で、警察の調査もありましたが、
奥様は認知症で、短期記憶が保てず、5分前の事さえ忘れてしまいます。
当然、警察は奥様からは何も聞き出せず、
医師による病死の診断も出ているとのことで、事件性は無しと判断されました。
「本人は、全て忘れて仕舞うからいいけど、
ばつの悪い思いをしたのは、家族だよ。
母親が父親ばかりか、赤の他人までもベッドに引き込み、
あろうことか、腹上死させちゃったんだから」  

それから間もなく、奥様は家族により、別の施設に移されたとのことでした。
「その後は、どんなに仲の良い夫婦を202号室に入居させても、
必ず夫婦喧嘩になって出て行く。
その夫婦喧嘩の原因を聞くと、決まって妻の方が、
夫が浮気した、と言うんだよ。
もしかしたらそれって、スズキの見た、幽霊と関係があるんじゃないかって、
俺は思うんだよね」
と、施設長。
「兎に角、あの部屋は、男が使うと危険なんだよ。
これからは暫く、202号室は使用禁止!」  

その後、施設長の知り合いという霊能者が密かにやってきて、
202号室でお祓いをしたようだとの噂を聞きました。
そして今は、80代の双子姉妹が、202号室を利用しており、
特に問題なく過ごされています。

「でも変だと思わないか?」と、スズキは言いました。
「202号室で死んだのは、爺さん2人なんだよ。
だけど俺が見たのは、婆さんの幽霊だったんだよな」  
スズキは首を傾げます。  

2人の男性を腹上死させた奥様の、その後の消息は分かりませんが、
まだお元気なのではないかと思います。    

認知症の方は、記憶は残らないが、感情は残ると言われています。
もしかして奥様の思念だけが、202号室に留まっていたのでしょうか?

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