残留思念

これは数年前、京都のあるホテルでのお話。

精神心理学の少しユニークな研究発表会があり、
その主催者とも親交があった私は、二泊三日の予定で参加した。
実はこの研究会、本来のスケジュールはもっと長く、
本番前に心理学者・スピリチュアル研究家の先生方が、
数日間、カウンセリング教室を開催していた。
といっても占いやオカルティックなものではなく、
あくまでも精神医療・精神科学を基礎としたもので、
冷やかしや興味半分で参加できるものでなかった。
それだけに一層、相談者は深刻な悩みを抱える人が多く、
思った以上に時間も勢力も必要とされ、
終わった時には先生方も疲れ切っていたようだ。

ホテル到着後、さっそく旧知の主催者に挨拶に出向いたところ、
「隅野さん、ちょっと今夜は体験かもしれないんで覚悟しておいてください」
と物騒なことを言い出した。
「何それ、どうしたの」と問うと
「いやね、これほど重たい話ばっかり持ち込まれるとは思ってなかったし、
大学教授やベテランの精神科医を多数集めていましたからね、
大乗だと思っていたのですが…」と口を濁す。
そこに顔を出した旧知の精神病理学者曰く
「いや大体の相談者は、時間をかけて話をすれば解結するんだがね。
ときどきいるのさ。厄介なのが、話を聞かないとか、
反発する奴はまだいいんだ。
逆に自分というものを全く持っていなくて、
精神的問題を全部こちらに押し付けてしまうのがいる。
こうなるともうどうしてもダメだ。
いつまでたっても現実を直視しないから、絶対に問題は解決しない」
となるとどうなるのか
「こんな表現はあまりしたくないんだが、
残留思念みたいものをそこら中に残していくんだよ。
僕は霊感という類は信じないが、
君のように空気のようなものに敏感な人もいるのは確かだ。
襲われないように、ちょっと心してかかったほうがいいな」
と、怖ろしいアドバイスを受けた。

そしてそれは本当だった。
ホテルにチェックインしたとたん、
何とも空気が重く湿っているうえに、妙によどみがある。
名前は出せないが、まあ高級ホテルにはいる部類だ。
普通なら考えられない。部屋に入るとそれは一層ひどくなった。
そこら中から湧き上がるなんとなくどす黒い霧。
夕刻であり、疲れていたこともあって
ルームサービスで夕食も済まそうと思ったがそれどころじゃない。
慌てて部屋を出て、近場のレストランで夕食を済ませ、
それでも気分はすぐれず、
手近なバーであまり好きではないアルコールをひっかけ、ホテルに戻った。
そうしたら夜中、寝苦しい空気に必死で耐え、
ベッドに入ったが、そこからが戦争だ。

時刻は夜中2時ころか。
ものすごい勢いで私の体が圧迫され始めた。
しかも体は金縛り状。
眼だけで天井を追っていると、
ぐぐぐぐ、と音を立てて天井が下がってくる5センチ10センチ…
すると途中から妙な声が聞こえてきた。
「先生が全部治してくれるんでしょ。だから私はここにずっといるの」
若い女の甲高い声だ。姿は全くない。
15センチ20センチ…けらけら甲高い笑い声も聞こえてきた。
ああこれは危ないな、と覚悟した時、
ものすごい勢いでドアがノックされた。
そのとたん、女の気配は消え、天井も元へと戻っていた。
よく約動けるようになった体を引きずって、ドアに向かった。

廊下に立っていたのは主催者だった。
「大丈夫でしたか?」と真っ青になっている。
大丈夫どころじゃなかったぜ、死ぬところだった、
とため息交じりで答えると、
「申し訳ない、とんでもない手違いで。
実はこの部屋、昨日まで問題のある女子大生が使ってたんですよ。
さっきの全粒思念のやつね。
まったく自力で問題に向き合う気のない子が」
「そんなことだと思ったよ、霊でもないし生霊でもないんだよ。
あれは始末が悪い、まだまだどこかに出続けるぜ」
というと、いくらこっちが真剣でも、
深く研究しても、人の心の奥底はM変えられないですかね、
と彼は大きなため息をついた 。

朗読: 朗読やちか
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