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母の腕

これは、私が小学生の頃に体験した出来事です。
当時、小学校に上がったばかりの私はとても引っ込み思案で、なかなか自分の思ったことを口に出来ない性格でした。

私の2つ上には兄がおりまして、やんちゃすぎて母に怒られている姿をよく目にしていました。
妹は私の6つ下でしたから、当時は1歳くらいでしょうか。
3人兄弟の真ん中である私は、怒られている兄を見て学習し、小さい妹の面倒を見て、必然的に我慢をすることが多かったのかもしれません。

そういった性格は、学校生活にも現れていました。
小学生ではありがちなことと思いますが、トイレに行く機会を逃してしまうことが、しばしばありました。

一年生ですので、授業の準備がスムーズに出来ずもたもたしてしまい、そのまま授業開始のチャイムが鳴ります。

授業中に先生に、トイレに行きたいです!
とは、恥ずかしさが勝ち、どうしても言えませんでした。
我慢はやはり体に悪影響を及ぼし、腎盂腎炎(じんうじんえん)という、病気になってしまいました。

私は、一週間ほどの入院を余儀なくされたのです。
病院での生活というのは、昼間は退屈で夜は怖いものです。
当時の入院した病院では、7歳以上の入院は小児病棟ではなく、一般病棟に入院することが多かったようで、私も一般病棟の大部屋で過ごすことになりました。

古い病院ですので雰囲気があり、非常口を知らせる緑の照明は点滅し、点滴を吊るす点滴棒はキュルキュルと滑りの悪そうな音を鳴らし、明かりの少ない廊下は、異次元へ繋がるのではないかと錯覚するほどでした。

病院の消灯時間は早く、眠くもないのに暗い部屋のベッドで寝なければならず、わずかな物音や自分の呼吸音さえも眠りを妨げる一因となりました。

私は見えないものに恐怖し、怖くて怖くて、毎夜 泣きながらベッドに入って震えており、少し眠っても眠りが浅く、ちょくちょく起きてしまいます。

見回りにやってきた看護師さんが、眠れぬ私を見て、
寝付くまでそばにいてくれました。
そうしてもらうことで、やっと眠れる、という日々が続きました。

入院して何日目かの夜に、眠っていた私は、ふと目を覚ましました。
私を包み込む腕がありました。

向こうを向き眠っているようだったので、顔は見えませんでしたが、柔らかな肌は、女性のものでした。

「あぁ、お母さん、来てくれたんだ」

母は、もちろん毎日 昼間にお見舞いには来てくれていましたが、付き添い入院ではなかったので、夕飯の時間頃には帰ってしまっていました。

あまりに私が泣くので、見かねた看護師さんが、
母に付き添い入院を勧めてくれたのでしょう。
久しぶりの母の腕に、私はとても幸せな気持ちになりました。

普段から我慢をしていましたし、妹が産まれてからは特に、母と二人で話す時間はめっきり減ってしまっていました。
母を独占して一緒に居られたことで安心した私は、
深い深い眠りにつくことができました。

朝になり、看護師さんに「昨日はよく寝れたんだね」と、にっこりと言われながら起こされました。
ちょっぴり恥ずかしくなりましたが、嬉しかったんです。
その母の姿が見えません。
朝の支度でもしているのだろうと、あまり気にしてはいなかったのですが、病院の朝食が運ばれ、食べ終わっても戻ってきません。
おかしいな? と思っていると、面会時間になってから母がやってきました。

「具合はどう?」
と聞かれ、私は疑問に思っていたことを尋ねてみました。

「お母さん、どこいってたの?」
「え?今来たんだけど…どうしたの?」
と、返されてしまい、私の頭の中は、クエスチョンマークでいっぱいでした。

昨夜、母が抱き締めてくれたのは、夢だったのでしょうか?
詳しく母に聞きたかったのですが、退院後の通学の話や、薬の飲み方や、家での様子を話し出したので、聞くタイミングを逃してしまいました。

このときは、軽くパニックになりましたが、母恋しさに見た夢だったんだな…と 無理矢理自分を納得させ、入院生活もあとわずかでしたので、深く考えませんでした。

退院して、落ち着いた頃、妹を抱っこし、授乳している母をボーッと見ていたとき、ふと気付いたことがあります。

あのとき、私を包み込んでいた女性は、向こうを向いていたのです。

私を抱き締めていたのに、向こうを向いていたんです。

両腕で抱き締めたまま、顔が一切見えないように、完全に向こうを向くことができるのでしょうか?
髪の毛で顔が見えなかったわけではなく、
母と同じくらいの、長めのショートカットです。

更には、母は授乳中の身です。
夜、頻繁に起きてしまう妹を置いて、私に付き添い入院をすることができるのでしょうか?

このことに気づいてしまって、背筋がゾッと凍りつきました。

私は、一体 誰に 何に 抱き締められていたのでしょうか?

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