これはかなり古い話になる。
私が幼いころ、小さな商社で営業を担当していた叔父に聞いた話。
まだ高速道路なんて洒落たものもなし、ちょっとした資材や部品でもお客に頼まれれば営業担当者がえっちらおっちら、山越え川越えでガタガタのトラックで配送しなければいけなかった。
秋の夜更け、ようやく一日の営業と配送が終わった叔父のもとに、
得意先から至急の部品配送の依頼が入った。
夜遅く、まだ当時街灯もろくにない山を越えて走るのはどうにも気が進まなかったが、得意先からの注文をむげに断ることもできず、叔父は疲れた体を引きずってトラックに乗り込んだ。
何とか無事に納品を終えた帰り道、事件は起こった。
再三のようだが、まだ道はまっくら。
人家もあまりない場所を頼りにならないヘッドライトで照らしながら懸命に走っていると「えっ」となった。
どうみても若い女が一人、山道をとぼとぼ歩いている。
兵隊帰りで気象の強かった叔父は、一瞬幽霊かとも思ったが、
それならそれで話のタネにしてやる…くらいの勢いで声をかけた。
「おい、こんな山の中をどうしたんだ。下の町まで乗ってくか?」
というと、その若い女は嬉しそうにうなづいた。
様子を見ると、かなりの距離を歩いたのか、足元はボロボロ。
まだ戦後復興の混乱期だけに何か事情があるのだろうと、叔父もあえてそのあたりは効かなかったという。
その間、女は疲れ切っているのか、うつろな表情で窓の外をじっと見ていたという。
そして山を越えて街に入ろうとするところで
「ありがとうございました。ここで結構です。お世話になりました」
と丁寧に礼を言い、車を降りて行ったという。
そこまではよかった。
ただしばらく走った時、ぼろトラックの助手席に小さなバッグのようなものが置き忘れてあるのに気づいた。中を引っ掻き回すわけにもいかないし、近くの顔見知りの交番に届けることにした。
交番には年配の巡査が一人いて、簡単に拾得物の扱いをして無事終了。
そんなことがあったのも忘れかけていたころ、叔父の会社にいつもの巡査だけでなく、刑事も数人やってきて叔父を出せ、という。
何かと思えば「お前、本当にあのカバン、女の忘れ物か」と詰問してくる。
カチンときた叔父は
「そうじゃなきゃわざわざ交番に届けるかい。うっちゃっとくわ」
と答えると、本当のことを言わんとためにならん、
とかわけのわからんことを刑事たちが怒鳴りだす。
いったいどうしたのか、落ち着いて話せというと、叔父が女を乗せたと証言した場所の近くで、若い女の死体が見つかった、という。
目が点になる叔父。
「俺が疑われてるのか」
と聞き返すと
「そうじゃない、話が合わんのだ」
と馴染みの巡査。
「お前さんがこれ持ってきたのは秋口だったな。でもな、この仏さんどうみてももっと前に死んでるんだ。もしお前さんのいう女なら、そんな短い時間で白骨にはならんだろう」
いくら鑑識技術がいい加減な当時でも、人間が寒い山中で白骨化するにはどのくらいかかるかくらいは見当がつく。
「ご丁寧にカバンの中を探してみたが、身元が分かるものもないし、お前さんが最後の接触者である可能性が高い」
というわけだ。
これには叔父も困り果てた。
「じゃなんだ、俺が載せてやったのは幽霊か」
と、改めてぞっとした。
その後もしつこく刑事は訪問したらしいが、証拠もなければ被害者の身元もわからないということで、結局は限りなく灰色に近い白、という扱いになったらしいが、叔父は今でも憤る。
「助けてやったのに人を殺人犯にしようとは、とんでもないやつだ」と。
さすがに豪胆な叔父が、これが人生で一番怖かった話だな、と晩年まで語っていた 。