ゲシュタルト崩壊

ひょっとしたら私は殺人者だったのかもしれない…
そんな妄想に長らく取りつかれ、
事業の失敗も重なって重度のうつ病にかかかってしまった。

当時私は、劇団からは離れていたが、仲間との交流は続いており、
その関係で若い役者たちともよく飯を食いに行ったり、
芝居を見に行ったりしていた。
その中にひとり、目立つ子がいた。
なんでも地元の高校演劇では有名だった女の子で、
将来はプロの女優になるのかと思われていたほどの子だった。
ただそれを聞いて、私は直剣的にやばいな、と思った。
というのは高校演劇レベルで巧く見える女優はほとんどが自己陶酔型、
あるいは自己完結型なのだ。
こういう子が変に自信をつけて芝居を続けると、
にっちもさっちもいかなくなることが多い。
というのは、どの役を演じてもまず最初に「自分」が出てきてしまう。

例えば仮名でその子を松田京子とでもしておこうか。
何をやっても最初に出てくるのが松田京子の顔・姿、
そして一番問題なのは心である。
演じている役と自分が乖離してしまうのだ。
それでも素人から見れば、筋が通っているように見えるから始末が悪い。
玄人から見れば、またこのパターンかよ、っていうことで使い道がなくなるという悪循環。

そんな京子がひょっこりと私の事務所に顔を出した。
どちらといえば煙たがられていた私のところにひとりで現れること自体普通ではない。
案の定、やはり有力な演出家に、ぼろくそに言われ、
オーデションも全く通らなくなった、どうしたらいいんだろうという話だった。
私は言った。
「お前はまず自分を見つめなきゃいけない、自分は誰だ,自分は何だ、役者だろ?心も姿もその場によって変化できなくてどうする?
それができないのは、逆に自分のプライドが邪魔をして自分自身の本質を見失っているからだ」
といつも通り厳しい言葉を投げかけた。
悄然として帰った彼女は、ここからやるべきことを間違えた。
話によれば、ひっきりなしに鏡に向かって私は誰・と問いかけうようになったらしい。
だんだん稽古場や仲間との酒の席などにも顔を出さなくなり、
いまでいうひきこもりじょうたいになったようだ。

それからは速かった。
数週間で彼女は自分で命を絶った。鏡の前でカミソリで頸動脈を切ったらしい。
「私は誰」という血文字をて残して…。
ようは自分探しの方法を間違えた挙句、
ゲシュタルト崩壊を起こしたのでないかと思われる。
その引き金を引いたのが私だとしたら…。 

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