地蔵様の御顔

20年以上前の事。
私は実家近くの病院で、娘を出産した。
陣痛で苦しんでいる時には、もう2度とSEXなどするものかと思う程、激しい産みの痛みで苦しんだが、
生まれた娘は小さくて可愛くて、誰よりも愛おしい存在となった。

出産した翌日には、病院の窓から、二重に架かる大きな虹を見つけ、
娘の誕生を地球規模で祝福されている気持ちにもなった。
その1年後。
1歳になる娘を連れて実家に帰ったおり、天気が良かった為、
娘をベビーカーに乗せ、夫と共に近くの神社へ散歩に出掛けた。
それほど大きな神社ではないが、地元の人に親しまれ、参拝者もそれなりにある神社である。

数枚の小銭をチャリンチャリンと賽銭箱に入れ、鈴緒を振って、ニ礼ニ拍手一礼と、特に何かをお願いするわけでもなく御参りし終え、
境内をぶらぶら歩いていた。
鎮守の森による森林浴効果か、それとも神社という神聖な場所柄のせいか、
清々とした空気感が実に気持ちが良かった。
「ほら見て、なーちゃんそっくりだよ」
境内の片隅にある小さな祠の前で立ち止まった強面ガチムチ夫が、
娘をベビーカーから抱き上げ、猫なで声で話し掛けている。
鬱蒼と茂る大樹の側に、小さいが、よく手入れされた祠がひっそりと立っており、その中には地蔵様が3体収められていることは知っていた。
今まで何度も訪れている場所だったが、あまり気に留めて見たことはなかった。
「何が?」
私も身を屈め、祠の中を覗き込み、
「わあ、ホントだ。なーちゃんそっくり!」
と、思わず、夫と同じ事を言っていた。
なんと、祠の中の3体の地蔵様全員が、
娘の顔そっくりの笑顔で、こちらを見返していたのである。
小さくてやや下がり気味の目尻と可愛いお鼻、口角の上がったポッチャリとした唇が、機嫌が良い時の娘の顔そのものだったのだ。
娘も分かっているのか、手を叩いてキャッキャッと笑っている。
「なーちゃんは、お地蔵様顔だから、可愛いんだなぁ」
筋金入りの親馬鹿夫婦な私達は、可愛い地蔵様に手を合わせ、娘の幸せを願った。

それから更に10年程経った頃の正月、実家へ帰省した私は、夫娘と一緒に、その神社へ初詣に行った。
「そう言えば、赤ちゃんの時のなーちゃんにそっくりなお地蔵様が、あの祠に居るんだよ」
御参りを済ませると、私は以前の出来事を思い出し、娘に言った。
「えー、本当⁉見たい、見たい!」
娘は、はしゃぎながら駆けて行き、祠を覗き込んだ。
しかし首を右に左に傾けて、怪訝そうな表情をしている。
「わたし赤ちゃんの時、こんな顔してたの?」と聞く娘に、 「そうだよ」と、応えながら、横から祠を覗き込んだ私も、あれっと首を傾げた。
地蔵様の顔が、記憶とは全く違うものだったからだ。
私の記憶では、やや垂れ目の優しい顔の地蔵様が、にこにこと微笑んでいるような表情をしているはずだったのだが、
その時の地蔵様は、どちらかというと釣り目がちで、目を閉じ、唇を真一文字に結び、何かをじっと考えている様な厳しい表情をしていたのだ。
どちらかと言えば、少し頑固な親父のような顔立ちだ。
「あれぇ、地蔵様、替わった?」と、夫も言う。
しかしどう見ても、ここ数年で安置されたような、新しさは感じられない。
おみくじを引くついでに、巫女さんに地蔵様の事を訪ねてみたが、
「ずっと同じお地蔵様ですよ」との返答だった。

何とも釈然としない、不思議な経験である。
おわり

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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