先生のスマートフォン

これは高校生の頃、習っていたピアノ教室で体験した出来事。

私が通っていたピアノ教室は先生の自宅で開かれていて、私は居間の隅に置いてあるグランドピアノを弾かせてもらっていた。

居間の隣には先生の娘さんの部屋があって、私のレッスン中に学校から帰ってきた娘さんと鉢合わせすることも何度かあった。

いつも通り、夜7時頃に教室を訪れ、ピアノを弾いていると、
「✕✕✕✕」
若い女の声が聞こえた。

何と言ったのかは分からないけれど、多分4文字くらい。
囁くような、それでいてはっきりとした、
こちらを馬鹿にするような笑い混じりの声だったのを覚えている。

私は、娘さんが自分の部屋で電話か何か始めたのだと思い、無視してピアノを弾き続けた。けれど、すぐに先生が私の手を掴んで止めてきた。
先生は、 「今、何か喋った?」 と聞いた。
私はすぐに 「いいえ。今の声、娘さんじゃないんですか?」 と返した。

先生曰く、娘さんはまだ家に帰ってきておらず、
今この家には私と先生の2人しかいない、とのこと。

よく考えてみれば、娘さんの部屋から発せられたものであるなら、囁き声があんなにはっきり聞こえるはずがない。
その声は、私と先生のいた場所からすぐ傍から聞こえたように感じたから、ますますおかしい。 私達は途端に怖くなった。

先生は椅子から立ち上がって部屋の中をパトロールしだした。
それによってこの状況がどう変わるのかは分からなかったが、かといって私も何をすればいいのか分からず、ひたすらピアノ椅子に座ったままじっとしていた。

2分くらい経っただろうか、先生が部屋を見回るのをやめピアノの方に戻ってきた時、 「えっ」 と言って固まった。

視線の先にあったのは、ピアノの上に置きっぱなしにしてあった先生のスマートフォン。謎の声が聞こえてから、先生は1度もこれに触れていない。
そのスマホが、勝手に電話をかけていた。

先生は驚いた表情のまま、画面を見せてくれた。
そこには 「森みくちゃん 発信中」 の文字が。
目が点になった。
「受信中」ではなく「発信中」ということは、間違いなく電話をかけているのは先生のスマホのはずだ。
でも、先生は全く触ってないのを、私は確かに見ていた。

スマホが電話をかけていたこの森美玖さん(仮名)という人物は、私と同じく、このピアノ教室の生徒であり、そしてこの日は、私の次にピアノのレッスンを受ける予定だった。

森さんが電話に出ることはなく、そのまま発信中の画面が切れ、私と先生は慌てて発信履歴を確認した。
履歴には、何も残っていない。

途端に森さんのことが心配になった。

森さんのレッスンの時間までまだ余裕があり、パニック状態のまま、私と先生はこの現象の原因を探り出した。
おかしい、おかしいと唸りながらスマホを見ていると、ふと違和感に気がついた。

さっき、発信中の画面に出てきた
「森みくちゃん」というアドレス名のことだ。
苗字の「森」は漢字、名前の「みく」は平仮名。
そしてちゃん付け。

ちゃん付けは先生が普段生徒を呼ぶ時によくやるからまだ理解できるけれど、苗字と名前で漢字と平仮名を使い分けてるのは変な感じがした。
確か森さんの下の名前、本来は普通に漢字表記だった気がする。

先生にお願いしてスマホに入れてあるアドレス帳を見せてもらって、このアドレス名を探した。
すると、見つけたのは「森美玖」という名前のアドレス。
苗字も名前も漢字表記。
「森みくちゃん」なんて名前、アドレス帳のどこにもなかった。

以上が、私が体験した怖い話。
あまり怖くない話かもしれないけれど、当時はこの現象の意味の分からなさもあり、とても恐ろしかったのを覚えている。

ここまで明確に恐怖を感じたのは後にも先にもこれ1回で、その後不可解な経験をしたことは全くない。

ちなみに、この出来事があった後、電話をかけられた相手である森さんは普通にレッスンに来て、その後も特に何かがあったわけではない。

ただ、この日教室に着いた瞬間、
彼女は開口一番に 「突然先生が電話をかけてきたから、何かあったのかと思って走ってきました……」 と言っていた。

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