【謎肉】

これはもう今から30数年前の話です。

当時東京のO田区にある小さな工場で
低賃金ながらせっせと働いていたのですが、
そこは田園調布にも近いというのに寂れた町で、
古臭い住宅街が並ぶ土地でした。
ろくな商店もないので、食べるところに困るということもあって、
工場では安い仕出し弁当をとっておりましたが、
毎日毎日仕出し弁当ばかりだと、やっぱり飽きるんですよね。
毎日違うメニューなはずなのに、なんだかどれを食べても同じ味に感じてくるのが不思議です。
なのでたまにですが、工場の付近を散歩がてら、
数少ない飲食のラーメン店や蕎麦屋なんかに行くわけです。
しかしそれにも飽きてきて、いつもとは違う方へと歩いてみることにしました。

坂道を上り、草ぼうぼうの崖のような場所の横を通り、
見知らぬ住宅地へと出たあたりで一軒のお店を発見したのです。
一応、看板が出ているので定食屋だとわかるのですが、
建物全体がその辺のただの住宅と変わらず、
うっかり見落として通り過ぎそうになるような店構えでした。
意を決してその店に入ってみることにしたのですが、ちょっと後悔しました。
中はカウンターと座敷のある古いタイプの定食屋で、
どれもこれもすすけて古臭く、照明も暗い。
暗いというか、照明をつけているのかどうかも怪しいような暗さ。
玄関のガラス戸を通して入ってくる光だけみたいな暗さで、
一瞬「ここやってるの?」と疑問に思いました。
というのも、他に客もおらず、お店の人さえおらず、がらーんとしていたからです。

その様子を一瞥し「やっぱ引き返そう」と思って一歩下がったその時に、
奥からお婆さんが出てきて「いらっしゃい~」と挨拶してきました。
どうやらこの店の「女将」らしい。
見つかってしまったものはしょうがありません。
カウンターに座ることにしました。
メニューを見てみると別にどうということはない、
ラーメンや蕎麦などほかでも食べられるものが並びます。 丼ものもありました。
これは良い。
カツ丼、親子丼、開化丼と、一応「豚・鶏・牛」と揃っています。
中でもボクはカツ丼が大好きで、
この町では他にカツ丼をだしてくれる店がなかったので、迷うことなくカツ丼を注文しました。
「揚げるから、ちょっと時間かかるよ」と言われたものの、
もう口の中がカツ丼になっていたのでOKしました。
するとお婆さん、店の奥の方へ向かって「爺さん~お肉ちょうだい」
と言って、包丁を持ったまま奥の部屋へとトボトボ頼りなく歩いていきました。
「あぁ、お爺さんが奥で仕込みとかやってて、二人できりもりしてる店なんだな」
と思い、時間つぶしにその辺にあった漫画雑誌を手に取り読みふけっておりました。

漫画に気を取られていたせいか、お婆さんが厨房に戻ってきているのにも気づかず、
いつの間にか店内に調理する音と匂いが広がっていました。
「あべし」等と変な断末魔をあげて悪役がやられていく漫画を読み終えたところで、カツ丼が出来上がってきました。
見たところ特に変わった風でもなく・・・
いや、なんとなくカツが薄くてコゲ茶色っぽくて、なんとも貧相なカツ丼に見える。
店内が暗いせい?気を取り直して食べることにしました。

「いただきます」
僕はカツを一切れクチに運びました。
「うっ・・・うんん?」
その時の僕は多分しかめっ面をしていたと思います。
今食べた丼の中身を凝視しつつ、齧ったカツの断面を観察しました。
というのも、なんだか今まで食べたことのない味がしたからです。
なんと言ったら良いのでしょう。豚肉の味には思えなかったのです。
少し苦みがあるような、臭みがあるような・・・
肉も薄く、色もやけに黒っぽい色に感じました。
「なんかクジラ肉っぽい気もするけど、気のせいだよな」
少し気になったものの、マズイというほどではなく、
当時流行っていたグルメ漫画でもとんかつは5ミリ厚が一番うまいとされていたので、
それを念頭に食べ進めることにしました。
「う~ん、なんだか普通のカツの味じゃないんだけど・・・だんだん美味しく感じてきた」
僕はいつのまにかそれをどんどん食べ進んでいました。
食べ終わって、お金を払って、急いで工場に戻りました。

帰ってからも、そのカツの味が忘れられず、
結局翌日もかつ丼を食べにその店へ行きました。
さすがに毎日というわけにも行きませんでしたが、あの味が忘れられず、
日を置かず何度か通いました。
そのたび、客は誰もおらず、薄暗い部屋で、
相変わらずお爺さんは店の奥から出てこず、
美味いんだがまずいんだかわからない謎のカツ丼を食べておりました。
なぜこんなに足しげく通ったかと言うと、味が忘れられないのもありますが、
実は工場移転の話が出ていたのです。
たとえ工業の町O田区であっても、
規模が大きくなれば住宅街の中で稼働するのにも限界があります。
ですので、もうすぐここから引っ越すことが決まっていたのです。
同じO田区内と言っても駅一つ違いますから、
もうお昼時にここへ戻ってくることはないだろうと思っていたのです。

「たぶん今日であの店に行けるのも最後だろう」
引っ越し直前のある日、やはりあのお婆さんのお店へ行くことにしました。
すると店の様子が変です。
警察のパトカーが止まっており、警官や野次馬が行き交っています。
立ち入り禁止のロープも張られています。
僕も野次馬に紛れてその様子を驚きながら見ていると、
横にいた近所のおばさんらしき人がこう言ってきました。
「ちょっと、殺人だってよ~。怖いわね~。店主のお爺さん殺されたって」
「えっ!!」
僕は驚いてその主婦らしきおばさんの顔を見ました。
「あ、あの、お婆さんは無事で??」
と問いただした僕におぱさんはこう答えた
「お婆さん?ここは店主のお爺さん独りでやってたお店よ」
「えっ??でも確か・・・」
おばさんがつづける
「死後だいぶたってるらしいわよ。どうりでここ最近お店も閉めてつぶれたのかと思ってたのよ」
僕の頭の中が混乱しはじめていた。
「えっ?えっ?じゃあ僕はいったい誰にかつ丼を作ってもらってたんだ?」
おばさんがさらに続ける~
「包丁で切り刻まれてたんだって!怖いわ~早く犯人捕まえてほしいわ!」
僕はめまいがして、その日は食欲も失せ工場へ戻りました。

その後、僕の働く工場はすぐに引っ越ししたため、
この件とはこれ以上関わることはありませんでした。
・・・現在、ネットの地図検索サービスで当時のその場所を見ることができますが、
そこは駐車場となっており、周りも当時の面影はなく、
モダンな住宅街に変わっています。
それにしても不思議なのは、あれから30数年がたった今でも、
あの時食べたカツ丼と同じ味の肉にはまだめぐり合っていないということです。

あの肉は本当に豚肉だったのでしょうか?
謎のおばあさんと謎の肉・・・。
「あぁ、死ぬまでにもう一度だけ、あの謎の肉を食べたいなぁ・・・」

朗読: 【怪談朗読】みちくさ-michikusa-
朗読: 怪談朗読と午前二時

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