厄介な客

私はコンビニを経営しているので、「厄介な客」が一定数いるのは理解しているが、
中でもトップクラスに入る、高圧的で何かと文句を言う60代ぐらいの「Oさん」という土木関係の仕事している方がいた。

毎朝Oさんが入店すると、どうしてもスタッフに緊張が走る。
私が店にいる時は、なるべく私が対応するようにしていたので、その日もバイトの女の子と目配せをした。
その子は2.3日前に、揚げ物の注文の最、
「奥から2番目を指示したのに正く対応しなかった」事でOさんから怒鳴りつけられたそうだ。
まあピンポイントの注文もやめてもらいたいのだが。
誰が見ても温厚、柔和といった言葉から一番かけ離れている人物だった。

Oさんが新聞を持ってレジにやってくる。
私は少し緊張しながらも「お早うございます」と声をかけた。
「コーヒー」
Oさんは怠そうに注文し、レジを済ませ店を出て行く。
「ありがとうございました」
私はそう言いながら、Oさんの後ろ姿にぎょっとした。
Oさんの足もとから濃いグレーの煙の様な物が立ち上っているのだ。
ああまたか、と私は思った。
幼い頃から疲れていたり、どこか体調が悪い時、そんな変な物をたまに見る事があったのだ。
(最近、忙しいからなぁ)と私はため息をつきながら思った。
それの正体は何なのか、私には分らなかったが何か不吉な物には違いなかった。
なんとなくだが悪意をそれから感じるのだ。

「今日は平穏でしたね」
バイトの女の子が小声で話しかけてきた。
「そうだね、何かいいことでもあったんだよ」
そう私は答えた。
Oさんは良くも悪くも「常連」さんだ。
毎朝店にやって来てくれるが、私が見かける度にその煙の様な物は濃くなり、
足もとの固まりから2本の触手のような枝が少しずつ上半身に這い上って来ている。
見たくもないものを見るのもだが、日増しにOさんの様子がおかしくなってゆくのを見るのも、ひどく辛い。
注文したコーヒーの量がいつもより少ない、
買ったタバコの中が水浸しだった、とか変なクレームを言うようになった。

そして、Oさんの肩口まで来た長い長い枝にはさらに細い枝が5本ずつ生え始め、初めてそれが手だと気がついた。
足もとの固まりからは、多分「下半身」が生えてきている。
Oさんは黒い人の姿をした何かをズルズルと引きずっているのだ。
私はどうしようかと悩んだ、あまり良い関係ではないが、このままだと変なクレームを言われては店の営業にも関わる。
どうすべきかと考えあぐねていた時に、店にまた小さな事件が起きた。

「店長!ちょっと来て下さい」
バイトの女の子が自動ドアの外から叫んでいる。
駐車場の植え込みに「捨て猫」がいると言う。
私は慌てて飛び出した。
植え込みの近くに段ボールに入って3匹の子猫がいた。
赤トラ・白黒・三毛の3匹で、生まれたから2ヶ月ぐらいだろうか。
見た目もきれいだし、健康そうで明らかに野良猫の子供ではない。
「まったく、ここまで育てて捨てるとはね・・・」
子猫たちはぐっすり寝ている。仕方なく入り口の近くに置いて、業務に戻った。
スタッフやお客さん達は「かわいい、かわいい」とスマホで写真を撮っている。

そんな最中、昼間にめずらしくOさんがやってきた。
すると寝ていたはずの子猫達がOさんに向かって、いきなり鳴き始めた。
段ボールに前足ををかけ、上に上がろうとしている。
子猫達は何かを必死に訴えているが、Oさんはそんな子猫達を無表情で一瞥し、お弁当やらを買い去って行った。
背中の細く長い指はすでにOさんの首に絡みつき、なかった頭が盛り上がっていた。

私は、自分が焦り始めているのを感じていた。
この人間の形をした物は、もうすぐOさんを取り殺そうとしているのではないか。
しかしだからといって私に何が出来るだろう。
暗い気持ちでOさんの姿を見送りながら他の客をさばき、一息ついて子猫のことを考えた。
「まいったな、里親を探すグループに連絡するか、市役所に連絡するかだが・・・さてどうしたもんかな・・・」
レジの前であれこれ思案していると、
「あれ、Oさんじゃないですか」
バイトの子が外を見ながら声をかけてきた。
見ると確かにOさんが駐車場の隅に立っている。
「どうしたんでしょうね」
お客さんの相手の間に見ると、Oさんは今度は真反対にいた。
何かこちらをじっと見ているようだった。
私はある変化に気がついた。
Oさんに引きずられている奴が、もだえ苦しんでいるように見えるが、まあ当然Oさんは気にしていない。
そして、とうとう何か吹っ切れた様子で、真っ直ぐ小走りで走ってくる。

「あんた、この猫どうすんだ!」
自動ドアが開くと同時に、例の子猫入り段ボールを抱えたOさんが怒鳴る。
「えっ」
バイトの女の子が隣で絶句し、お客さん達が何事かと一斉にOさんを見た。
「そうですね。市役所に連絡して引き取ってもらいましょうか」
そう冷たく言い放った自分の声に、私は自分自身で驚いていた。
「なんだと?じゃあ、この子達を殺すのか!」
殺すって、私のせいじゃないが、
「まあ、そうゆう事になりますね」 そう私は答えていた。
店は静まりかえり、ミャァミャアと鳴く子猫の声が響く。
いつの間にか三毛猫がOさんの胸元によじ登り、一際大きい声で必死に鳴いている。
Oさんははっと我に返り周囲の視線に気がついたらしく、みるみる顔が赤くなっていった。
「わ、分った。じゃあ、お、俺が引き取る!」
彼はそう叫んだ瞬間、段ボールを抱えドカドカと去って行った。
「何ですか、あれ・・・」
アルバイトの女の子もお客さんも呆然としていたが、私は思わず笑いが漏れてしまった。
「Oさんが猫好きとはね、引き取ってもらって良かった」
何かが変わった瞬間だった。それも良い方に、そんな予感がした。
なぜなら、彼の後ろの奴は霧散するように薄く、消えかかっていたからだ。

2.3日、Oさんは来なかった。
あの後、Oさんはどうしただろうか。
ちょっと心配になってきた頃彼は現れた。
いつもの品をカウンターに並べ、額にしわを寄せている。
「お早うございます。この間はすみませんでした」
「別に・・・」
「引き取って頂いて感謝しております。子猫達、元気ですか?」
Oさんは、一層への字口になりながらこう言った。
「感謝、してるのは・・・」
もごもごと小さい声で何かを言っていたが、大体察しは付いた。
Oさんの目元が、笑っていたからだ。
去って行く彼の後ろには、もう何も見えなかった。

暫くしてバイトの女の子からOさんの話を聞いた。
何でも、あの三毛の子猫の柄が「昔飼っていた猫に本当にそっくりだった」そうだ。
その話を聞いて、ああそうだったんだなと、納得出来たような気がした。

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