誰にも話せていない、私に起こる奇妙な出来事を、聞いて頂ければ幸いです。
私は沖縄のある島で生まれ、小さな頃から、神秘的な存在や不思議な体験を、身近に感じながら育ちました。
初めて私の身に起こったのは、小学3年生の時と記憶しております。
その日、祖母の家から我が家まで、黄昏時を歩いていました。
前を歩く弟を少し困らせてやろうと、細い横道に入り、隠れる場所を探してみました。
なんてことはないあぜ道を、ずんずん進んでいくと、そこにガマ(洞窟)が口を開いておりました。
中に入るとひんやりと涼しく、水の流れる音が暗闇から微かに聞こえ、心地よく感じました。
ガマを後にし、更に進むと、祖母の家が見えてきました。
「これは良い近道を見つけた」と思ったのですが、
後日、同じ道を進んで行っても、ガマにも祖母の家にも辿り着きません。
弟に「ガマに呼ばれたんじゃない」と言われ、この時はその言葉に納得しました。
これが、記憶する中で一番古い、奇妙な出来事です。
小学5年生の時、私は友達の家で頭に怪我を負ってしまい、目に入る血をぬぐいながら、我が家を目指し走っていました。
細い砂利道を必死で走ってゆき、砂利道を抜けると、さとうきび畑……ではなく、そこは家とは真逆の方向にある、親戚のおじちゃんの家でした。
必死でおじちゃんを呼び、自転車で送ってもらい、母に叱られベソをかく私を、おじちゃんは優しく手当てしてくれました。
おじちゃんは、その一ヶ月後に亡くなってしまいました。
私達兄弟を赤ん坊の頃から可愛がってくれていた、おじちゃん。
最後に面倒見てくれたんだねと、今でも両親と話しています。
小学6年生の頃、市内で開催されるお祭りで、私は迷子になってしまいました。
人混みをかき分けながら両親を探していると、市内から5キロ程離れている、海辺で開催されている全く別のお祭りに、自分が居ることに気付きました。
困り果てて泣いていると、2人の若い女性に声をかけられ、市内へ送ってもらい、無事に家族と合流することができました。
この2人の女性、教師をしている私の母親の元教え子だったのです。
小さな島なので、偶然と言えば偶然なのですが、当時の母は、「あんたが迷子になったお陰」と再会を喜んでおりました。
中学3年生の時、部活中の怪我で入院し、リハビリがてら病院内をヒョコヒョコ歩いておりました。
ぐるっと一周すると、2階に居たはずが、3階におり、看護婦さんに怒られてしまいました。
高校2年生の時、登校する支度をしていると腹痛に襲われ、よろよろと部屋を出ると、仕事へ行ったはずの母親が立っておりました。
事情を説明し病院へ連れて行ってもらうと、腫瘍が見つかりました。
腫瘍が膨れ上がっており、内蔵が押し潰されていたため、腹痛を起こしたのだと、お医者様が説明して下さいました。
後に、「車で仕事へ向かっていたはずが、いつのまにか逆走していて、何かあると感じてそのまま家へ引き返した」と、母は申しておりました。
高校卒業後の8年間、私は本州で暮らし、不可思議な出来事も忘れて、日々忙しく過ごしておりました。
沖縄へ戻り数年経った、27歳の現在。
22時過ぎに仕事が終わり、歩いて15分ほどの駐車場にフラフラと向かっていると、見知らぬ道を歩いていることに気付きました。
少し前には、韓国料理屋の看板が光っておりました。
曲がる道を一本間違えたかなと思い、元来た道を歩いていくと、駐車場の裏へ出ました。
時間を確認すると、仕事場を出て5分程しか経っておりませんでした。
久しぶりの感覚に懐かしさを覚えながら、あの韓国料理屋さん気になるな〜などと考えていると、ふと、あのガマのことを思い出しました。
そして数ヶ月後の祖母の一周忌、島へと渡りました。
父に、祖母宅の近くにガマは無いかと尋ねてみると、ひとつある、と案内してくれました。
言わずもがな、あの時のガマでした。
沖縄には、御嶽(うたき)と呼ばれる神聖な場所があるのですが、幼き頃、私が迷い込んだガマのすぐ横には、御嶽があったようです。
御嶽の周りの自然は、人の手をかけてはいけない、とされております。
木々が生い茂ったガマは、恐ろしくも神妙な面持ちで、当時のまま口を開いておりました。
ひんやりとした空気と、暗闇、水の流れる音に、なんとも言えない気持ちになり、涙が込み上げてきました。
私の祖母は、子供の時分からこのガマで遊び、戦時中はこのガマに守られたのだと、父から聞きました。
私に起こる怪奇は、ガマか御嶽か、はたまた祖母の所業なのか。
島に在る、神秘的な力の成す技か。
私のだだの勘違いなのかもしれません。
ただ、忘れた頃に、ふとした瞬間に、見知らぬ道をまた歩く日が来ることを、楽しみにしています。
誰にも話せていない、私の奇妙な出来事が、少しでも誰かの暇潰しななれたのなら幸いです。
長文失礼致しました。