怪奇な絵本

あなたは、「怪奇な絵本」という本を知っているだろうか。

古くさい名前のその本と出会ったのは、母方の祖父の遺品整理を手伝っていた時だった。
祖父はかなりの本好きで、祖父が書斎として使っていた部屋は幾つも本棚があり、隙間なく本が並んでいた。
「これ、どっから片付けんだよ」
その本の数に圧倒されていると一冊の本が目に止まった。
ハードカバーの厚い本達の中で、一冊だけ極端に薄く、タイトルさえなかった。

手に取ると、焦げ茶の地に金色の文字で、 「怪奇な絵本」 と、印刷されていた。
変なタイトルだな、と俺は思った。
厚い表紙を開くと、「多肉植物とエアープランツ」の文字が、薄い紙越しに透けて見えた。
(何だ?絵本なのに観葉植物?)
妙な違和感を感じながら、俺は次のページをめくった。
「いらっしゃいませ、お客様。 こちらのサボテンは「天上の輝き」といいます。
このお店の中で一番高価です。」
開いたページには、文字だけが印刷されている。
絵本なのに絵がなかったのだ。
俺は次のページを開いた。
「こちらは多肉植物で 名前は「金目・銀目」です。
まばたきが、とても可愛いい子です」
やっぱり絵がない。
「最後はエアープランツで 「メドゥーサリエン」
緑と紫の、巻き髪がとても美しいのです。 さあ、お客様どれになさいますか?」
そのページにも絵はない。黒々とした文字のみだった。

そして、後の数ページはなぜか白紙だった。
あえて絵を入れず、読者に想像させる「絵本」なのだろうか?
最後のページには小さく 「赤江出版社 西暦2011年8月1日 第一版」 と書かれているだけだった。
出版日は意外と最近だった。
裏表紙を見るが価格表示も、よく見るバーコードも何もない。

ふと、ある事に俺は気がついた。
作者の名前がどこにもないのだ。
(何だ?この本、同人誌って分けじゃなさそうだし、自費出版の物かな。でも変な本だよな・・・。
じいちゃんもオタクだったんだな)
その時の俺はそれ位の事しか思わず、首をかしげながら本を元に戻した。

その夜、俺は奇妙な夢を見た。
薄暗い中、濡れた石畳の道を一人俺は歩いていた。
周囲はレンガ造りの建物が並ぶ、いつか写真で見た、ヨーロッパの町並みに似ていた。
空はまだ少し明るかったが、夜の匂いが漂い始めている。
家々の窓には室内の灯りに照らされ人影が動いていたが、何の音も聞こえなかった。
俺の視線の先には何かの店らしく、大きな窓からの灯りが石畳に反射している。
その店は花屋のようだった。
ショーウインドウには様々な花の鉢植えや花束が並び、大きな背の高い慣用植物が店の中にひしめいていた。
俺はぼんやりと店内を眺めていると突然、 「いらっしゃいませ、お客様」 と耳元で声が囁いた。

はっと気がつくと、俺はいつの間にか店の中にいた。
店内は幾つもある観葉植物で灯りが遮られ、思いのほか薄暗かった。
俺に声をかけてきたのは、その店には不釣り合いな小さな無表情の女の子だった。
年は7.8歳ぐらいで肩までの真っ直ぐな黒髪に、大きい薄茶色の瞳、濃い緑色のふわっとしたワンピースを着ている。
顔にかかる影がその彫りの深い顔立ちを、際立たせていた。
「あ、あの・・・」
俺は焦って、まともにしゃべれない。
その子が綺麗な人形の様だったからだ。
女の子はそんな俺を無視して、棚にあった植木鉢を指さした。
それは最初、本物のサボテンに見えた。
上部に4つの突起がある青白い本体に、沢山の銀色のトゲが生えていた。
そしてその突起には、多分何かの宝石で作られたピンクや透明の花が美しく咲いていた。
どうやら実際の植物ではなく、美術作品か工芸品らしい。

「こちらのサボテンは「天上の輝き」といいます。 このお店の中で一番高価です」
近くに寄ってよく見ると、トゲは縫い針のような物に見えたが、
その刺さっている青白い幹の正体に気がつき、俺の心臓は大きく脈打った。
これは人間の肘から先だ、と思った。
親指全部とその他の指は第一関節で切り落としている。
手のひらのしわが針の隙間から微かに見えた。
(何なんだ・・・これ・・・・)
彼女が言った言葉が頭に蘇り、俺は・・・思い出した。
(あの、絵本?)

「こちらは多肉植物で 名前は「金目・銀目」です。 まばたきが、とても可愛いい子です。」
また少女が、棚から鉢を持ってきた。
分厚い葉は赤黒く、表面には毛細血管が走っていて、生肉に見えた。
葉は双葉のように左右に広がっていて、僅かに痙攣していた。
俺は思わず、後ろに下がってしまった。
その肉の葉からグリンと目が左右の葉の中央に開く。
「うわっ!」
俺は叫んだ。
言いようのない気味の悪さに足が震える。
鮮やかな金と銀の瞳が、瞬きすると左右に入れ違う。
(どうなってるんだ?何なんだこれは!)
次から次に起こる事に頭が痺れた様になって、ついていけない。

すると女の子は、店の奥から何かを持って来るのが目に入った。
俺の頭は、もう「エアープランツ」しか考えられなかった。
俺は逃げ出したかったが、がくがくと震えるだけで体が言うことを聞かない。
緑と紫の巻いた葉が、女の子の腕の中に見える。
「最後はエアープランツで 「メドゥーサリエン」 緑と紫の、巻き髪がとても美しいのです」
それは明らかに人間の首だった。
顎のすぐ下から切り取られ、干からびた人間の頭だった。
長い髪の毛の根元を緑に、先端に行くに従って紫へのグラデーション。
それを糊か何かで固めてカールさせていた。
俺は、その顔に見覚えがあった。
息が詰まり咳き込みそうになったが、 「もう、やめろ!やめてくれっ」 と、絞り出すように声が出た。
その首は干からびてるとはいえ、目元や薄く開いた口元が似ている。

葬式の日、棺桶の中で見た祖父の顔だった。
俺はとてつもない恐怖に駆られ、店から出ようと後ずさっていた。
「もういいから、何もいらないから!」
店から出ようとすると、まったくお構いなしに女の子は祖父の頭を持ったまま追いかけて来た。
その口元は薄く笑い、俺に問いかけた。
「さあ、お客様どれになさいますか?」
「うわあああ!!」

叫び声を上げながら、俺は飛び起きた。
焦って周りを見ると、俺の部屋のベッドの上だった。
俺は手で顔を覆い、深い安堵のため息をつきながら顔の汗を拭った。
(ああ、良かった。夢だったんだ)
そう思いながらも夢の断片が浮かんでは消え、俺はしばらくの間動くことが出来なかった。

悪夢を見たその日も、母親との約束で祖父の家に仕方なく向かった。
あの本と向き合う自信はなかったが、断る理由が見つからなかった。
祖父の家の前で祖母と数人の初老の男性が立ち話をしていた。
俺は軽く挨拶をして家に入り、覚悟を決めて祖父の書斎に入ると、本棚の本の間に結構隙間がある。
あれっ?と思いながらあの本を探すと戻した所になかった。
家に入ってきた祖母に聞くと、
「おじいちゃんのお友達がいらしてね。欲しい本をどうぞって。形見分けね」
そう、祖母が言った。
俺はしばらく書斎を探したが、やっぱりあの本はなかった。
あの人達の誰かが持って行ったらしい。
まあ、それはそれでいいかと、俺は思った。
正直、あの本は見たくなかったし、見れば見たであの夢を思い出すだけだ。
もうこれで終わり、悪夢を見ただけ、と俺は思い込む事にした。

数週間後、あの本と悪夢の事を忘れかけた頃、祖母から電話があり、
あの日来ていた友人の一人が亡くなったので葬儀場に連れて行ってくれと連絡が来た。
「この間いらした時、珍しい本を見つけたって喜んでいたのよ」
俺はあの時の記憶が一気に蘇り、スマホを持つ手が震えているのを感じていた。
それから俺は、どうしても考えてしまう事がある。
祖父はどうやってあの本を手に入れたんだろう?
本当に漫画みたいで馬鹿げているとは思うが、あの本を持った人は死んでしまうのか?
「エアープランツ」の次に何か文章が増えているのか?
あんなに怖い思いをしたのに見てみたいと俺は強烈に思ってしまっていた。

そして今、震える俺の手の中には、あの亡くなった友人宅の電話番号が書いてある紙が、ある。
俺は、どうしたいのか分らないでいる。

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