権現様

中古で買った白のセレナは快調に雨上がりの道を走ってゆく。
今日は晴天だ。運転席から見る景色は一面の育ってきた稲の青さ。

一度仕事で先輩の運転で通っただけの道をナビを頼りに走っていく。
次の集落が見えてきた。この集落を抜ければあの低く、尾根が長々と続く山が見えてくるはずだ。
長く続く山は一つ一つ名前があるのだろうけど俺は知らない。
ただ知っているのは目的とするA集落がある『Aの山』と言われる山だけだ。
さほど高くはなく、麓から山はだに沿い20軒程家々が張り付くように、入り組んだ小道に密集している集落。
入り口には色褪せた『A』と集落名が書かれた看板があり、入るとすぐに苔むした道祖神。
杉林の中に無理矢理作ったような、こ狭い道がくねくねと続く。
先輩と来た時もカーナビが「目的地周辺です。案内を終了します」と無機質に言いやがったせいで、
この迷路のような集落を、エアコンの取り付けの為に向かわねばならない家を探す為にぐるぐると回らねばならなかった。
集落全体をおおうように杉の葉が繁り、
木漏れ日が集落のあちらこちらに鎮座する地蔵の赤い前掛けをより濃く浮かび上がらせていた。
セレナは手前の集落を抜けた。
目の前にはひと原向こうの、長々と続く緑の山、山、山。
ようやくたどり着けると、俺は投げ置いていたアイコスに手を伸ばした。

俺とA集落の縁は3年前に遡る。
俺の勤務先である家電量販店の、別支店の店長の母が行方不明になったと昼前に店長から告げられ、
顔写真入りの急いで作ったのであろう『探しています』と大きく文字の入ったA4の紙が俺らに配られた。
「なんでもなあ、昨日自転車に乗って出掛けたきり帰ってこないんだと。
警察にも捜索願いを出したらしいが、高齢だし、
見かける事があったらその紙の連絡先に電話してくれ」と、店長。
紙には朗らかな顔をした上品そうな高齢の女性。
別支店は隣の市にあり、そこの店長はいい年をしたやり手の営業上がり。
会う機会など殆どないが、たまに隣の市に行ったついでに店に入り、目にした事はあった。
「自転車で?もう一晩経ったじゃないすか、やばくないすか?」
同僚が口にする。
店長はうーん、と難しそうな顔をし、「まあ見かけたら」とだけ俺らに言って店内に戻っていった。

次の出勤時からヘリが飛んでいるのを幾度も見かけた。
支店長の母を探しているのだろう。
スーパーやコンビニにも、俺が店長から貰ったものと同じA4のポスターを見かけるようになった。
季節は秋。
他人事と言えば他人事だが、聞いてしまったからにはやはり気にかかり、早く見つかればいいと思っていた。
だが何の進展もないまま冬が来た。
市街地はさほど雪は積もらないが、市街地から出るとそれなりに積もる。そんな土地だった。
雪が舞い、北風が吹き。
葉の落ちた、むき出しの木々に雪がそそとした花のように積もっていた。

季節は巡り、あれはゴールデンウィーク明けだっただろうか。
すっかり新緑が目に眩しくなった頃、出勤した俺に同僚が
「やばい、見つかったってよ」と興奮しながら話しかけてきた。
「見つかったって何がだよ」
「あの支店長の母ちゃんだよ!」
「マジか!?」
そんな事もあったかと、すっかり頭から抜け落ちていた俺に同僚はたたみかける。
「俺、仲間がA集落の近くにいるんだけどさ。
今朝早くからにウォーキングしてたヤツが、A集落のバス停脇の草むらで見つけたんだってよ。で、今はあっち大騒ぎ」
「あ?A集落って支店長の家から随分離れてんじゃん。自転車で行ける距離じゃなくね?」
「そうなんだけどさ。まあ…ひと冬越えてんじゃん、なんか骨とか見えてる身体の一部分が見つかったらしいよ。
んで、捜索願い出されてる中から支店長の母ちゃんじゃないかってなって、
支店長確認したら服が同じだからそうだろって。
野犬か何かが引っ張ってきたんじゃないかって話らしいけど…詳しい事はこれ以上聞いてないな」
「マジか…」
生まれて25年、こんな話を聞いた事は無かったし、聞くとも思わなかった。
次の日の新聞に小さくその記事が載り、程なくして支店長も仕事を辞めたと聞いた。

そして今日。俺は先輩の運転でA集落に向かっていた。
というのも、俺の仕事は家電の取り付け。
きたる夏に向けてエアコンの売り上げも好調、俺らの走行距離も絶好調。
一日何件詰め込むんだよ予定!と愚痴りながら、先輩は車を飛ばす。
なんにもない田舎道にぽつんぽつんとある集落を抜けると、目の前に低いが連なった山々が見えてきた。
「うっわ、マジ山っすね」
先輩はそんな俺を諭すように指をやや正面より左に向けてさし、
「あそこらがA集落だな」と言った。
そう、これから行くのはA集落のとある家。先週エアコンの注文を受けていた客の家だ。
そして辞めた支店長の母親が無残な姿で発見された場所。
「俺も行った事はないけどさあ、あの山には権現様が奉ってあって集落を守ってるんだとよ」
「権現様、」
「あー、なんつーかな。神様の姿をした仏様?そんな感じ?俺もよく知らないがな」
「有名なんすか、その権現様って」
「まあA集落っつったら権現様だわな」
そんな話をしながら例のバス停を脇目に集落に入ってゆく。

朽ちかけた花束がバス停にひっそりと置かれていた。
権現様は山の頂上に祀られているらしい。
さほど標高が高い訳でもなく有名な山でもない。
その山は低く連なる幾つかの山の一つで、ここら辺で有名と言ったら東にある一番高い某山だ。
そちらはしょっちゅう登山客達が来て賑わっている。
温泉も湧き出ており、県外からも客が来ている。
俺はぼんやりと、以前付き合っていた彼女とその温泉街に泊まった甘酸っぱい思い出に浸っていた。

「わざわざ遠い所すみませんねえ」
その家の主人たるべき60からまりの男がわざわざ麦茶を出してくれる。
家は昔ながらの農家、といった感じで座敷も広く、奥には幾部屋もあるようだった。
座敷の仏壇にはま新しい写真が飾られている。
俺がそちらに目をやっていたのに気がついたようで、家の主人は
「春先に親父が亡くなったんです。長患いしてずっと病院にいたんですけどね。今はばあちゃん独り暮らしで」と言った。
ばあちゃんとは自分の母親の事らしい。
自分は市街地に程近い所々に居を構えて住んでおり、こうやって時々独り暮らしの母親の様子を見に行るそうだ。

俺達はシートを広げ、その上に工具やエアコンの入った段ボールを置く。
部屋の窓は開け放たれ、杉の木立の影から涼しい風が入ってきていた。
「エアコンがないと最近の夏は厳しいですよねえ」と先輩が笑って話す。
そうなんです、と主人も返す。
「本当、時代は変わりましたよ。昔なんて夏でも窓開けてりゃ涼しかったのに」
「よかっからお菓子もどうぞ」
隣室から母親とおぼしき妙齢の女性が木製の器を持ち、座敷に入ってきた。
腰はやや曲がっているものの、足取りはしっかりしており、顔には柔和そうな笑顔がたたえられている。
「ばあちゃん、じっとしとき」
「あんたこそお茶だけ出して気のきかない」
よい親子のようだ。
俺たちはその親子に見守られながらエアコンの取り付けに入った。
室外機やら何やらでわりと取り付けには時間がかかる。
穏やかな母親はにこにこと俺たちの仕事をじっと眺めていた。

それから1ヶ月くらい経っただろうか。
出勤するといつもの同僚が慌てながらスマホで話をしている。
こいつはいつも忙しい。
俺が今日の予定を確認していると、通話を終えた同僚が狼狽しながら「消えた!」と俺に言ってきた。

「消えた?」
「いなくなった!」
「だから誰が」
「仲間のばあちゃん!」
「はぁ?」
「お前、エアコンの取り付けにいっただろ、A集落のBさんち!」
「行ったけど…え?あそこの独り暮らししてるっていうばあちゃんの事?」
「そう!俺の仲間のばあちゃんでさ、最近心配だからって週末親父さんが泊まり込んでたんだよ。
で、今朝。今朝っていっても4時とかまだ暗い時間だったらしいんだけど、
親父さんが便所におきたら隣に寝ていたはずのばあちゃんがいなかったんだと」
「マジか」
「マジマジ。で、家中探してもいないし、外かと思ったらやっぱ鍵開いててさ、戸も少し開いてたんだってよ。
親父さん、暗い中そこら辺探したんだけど見つからなくて。
夜明けまで待ってもばあちゃん戻って来ないから警察に届けたって。
仲間も仕事休んで、今から探しに行くらしい。俺も仕事終わったら探しに行く」
「あそこ山じゃん。山に入っていったんじゃね?」
そう。A集落は山の麓。麓から斜面を這うように家々が連なる集落だ。
エアコンの取り付けに行った際も少々道に迷い、ぐるぐると集落内を回ったのだが
少し先へ行けば山の奥へと向かう砂利道があちらこちらにあった。
そのAの山には川が流れていて、麓では昔から野菜を洗ったりする生活用水として活用されていたと先輩が教えてくれた。
確かに集落内には川から引いてきたと思われる小川が流れており、
各家の前にはその小川に降りる為の小さな階段がついていた。
また川がある為、山の斜面を利用して集落の畑があるのだと先輩が言ってもいた。
「馬鹿。朝の4時前だぞ。いや、出ていったのは真夜中かも知れない。
電灯もない山に入っていくか?それにな、あのばあちゃんは最近山が怖いと言って、
昔やっていた山の畑にも行かなかったんだってよ。
そんなばあちゃんが暗い内に山に入るか?」
同僚は畳み掛ける勢いでまくしたてる。
必死の形相に、俺は一回会っただけの『ばあちゃん』を思い出していた。
柔和な顔。優しい声。
夜中に出歩く様な感じには全く見えなかった。
「そうか…じゃあ集落から出て散歩してるうちに道に迷ったとか」
「ああ、親父さんもその線が一番濃厚だって言ってるらしい」
「また捜索のヘリが飛んでんのかな」
「多分」
何やってる、時間だぞ、という店長の声で我にかえる。
たった一度会ったきりの『ばあちゃん』だったが、やはり客でもあったし気にはなる。
見つかってくれよ、との思いで俺は作業着を羽織った。

その願いも虚しく、同僚が探し回ってもヘリが飛んでも捜索隊が探しても一向に『ばあちゃん』は見つからなかった。
同僚は休憩時間の度に仲間同士連絡を取り合っているようで、険しい顔でスマホと向き合っていた。
俺といえば相変わらず先輩と共に車を走らせてエアコンの取り付け。
予報は今年も猛暑だとニュースで繰り返しやっていた。
先輩も『ばあちゃん』の件は知っているようで、車中で「権現様が守ってる山だから見つかるさ」と言いつつも、
田舎道を走る時は目配りしているのには気がついていた。

それから10日ばかり経ったある日。
昼休みに同僚が「ばあちゃん見つかった」とぽつりと言ってきた。
俺はそりゃあ驚いた。
「どこで!?」
「山ん中」
「山って…『ばあちゃん』が怖いからってずっと行ってなかったんだろ?」
「ああ。だから親父さんも警察に山には行かないはずだって言って、奥までは探してなかったそうだけど。
もう捜索の期限も切れるから、畑のある方へ捜索隊と親父さんで行ってみたんだってさ。
そしたら畑から杉林を抜けた下に川が流れてるんだけどよ、そこに倒れてたって」
絶句、だった。 もしかして迷ってどこかの納屋に隠れているのかもしれない、
なんて甘い期待を抱いていた俺の頭は真っ白になってしまった。
そうじゃなかった。そうじゃないんだ。
『ばあちゃん』は夜明け前に家を出て山に入っていったんだ。
怖いといっていた、あの山に。
明かり一つない山の中に一人歩いていったんだ。
「明後日が通夜だから俺、行ってくる」
「……そうだな」
なんとも言えない空気がその場に流れていた。

そして今日。明日を通夜に迎えた今日は俺の公休日だった。
通夜に行くのはどうかと思い、ホームセンターで買った箱入りの線香をサイドシートに置いて俺はセレナでA部落へ向かっている。
雲一つない晴天だ。エアコンを切り、俺は窓から吹き抜ける田舎特有の風を感じながらアクセルを踏んでいた。
『A』と書かれた集落の看板を見落とさず、俺は集落への小道を進む。
軽い登りのこ狭い道。もっと小回りのきく車なら運転も楽なんだが。

Bさん宅は直ぐに見つかった。
セレモニーが立ててくれる葬儀の看板が玄関先に立ててある。
俺は親戚の車であろう数台の車の脇にセレナを止め、さて、なんて第一声を言えばいいのかを考えていた。
玄関は開け放たれ、中はざわざわと慌ただしそうに見えた。

以下、俺が親父さんに聞いた話。
やはり『ばあちゃん』は暗い内に家を出て山に入っていってしまったようだ。
そして畑を抜け杉林を抜け、足を滑らせて川に転落してしまっていたらしい。
川の水に半分つかり、手首やらを骨折した状態で発見されたとの事。
滑り落ちたせいで顔やあちこちに擦り傷があったが比較的綺麗な状態だったそうだ。
なんで山に入ってしまったのかは親父さんでも分からないらしい。
だが、「早く見つかって良かった」と親父さんは言う。
何故かというと、数ヶ月前も同集落の老人が行方不明になり、
その際はなかなか発見に至らず捜索打ちきりになってから後、
集落の人が山の中で息絶えている老人を見つけたのだそうだ。
捜索隊がいるうちに見つかれば上等、との事。
「見つかって良かった」と安堵する親父さんの表情が忘れられない。

権現様に守られたA集落。
本当に権現様は守ってくれているのだろうか。
その前に権現様とは一体何なのだろう。
先輩は山の中に奉られている、と言っていたが、そのお社自体、俺は見た事はない。
それに深入りするつもりもない。
もしかしたら。 もしかしたらの話だが、権現様は何かを呼び寄せるのかも知れない。
親父さんの話ぶりから、あの山では死者は絶えないようだ。

そして。
同僚からまたA集落で行方不明者が出た、と聞いたのはその年の秋だった。

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