父に見えているもの

 今回は、私の父にまつわる話をしたいと思います。

 私の家は、私の地元では特に珍しくもない、レタス栽培を営んでいる農家です。
「どちらかと言えば少し無口で、あまり多くを語らないけれど、せっせと働くとても真面目な人」というのが、私の父に対する印象です。
 習い事の多かった私を、文句1つ言わずに送り迎えしてくれた、優しい父でもあります。

 私は昔から、そんな父に対して1つだけ抱いている、ある疑問があります。
 それは、「父には、私達、ほかの家族には見えていない何かが見えているのではないか」というものです。
 よくある怪談話で、幼い子どもが天井を見上げて笑っている、飼い犬が誰もいない玄関に向かって威勢よく吠えている、といったことはよく耳にしますが、これはそれの、「私の父親バージョン」とでも言いますか、父に何かが見えているとは思いながらも、その父にしか知りえない、ほかの家族も疑問に思っているが、誰も真相を知らない、直接聞こうともしない、そんなお話です。
 ちなみに、父はごく普通の健康状態で、元々胃腸が少し弱いのを除けば、精神疾患などを抱えているということはありません。

 最初に父に疑問を抱いたのは、私が子どもながらに父の畑仕事を手伝っていたときのことです。
 家から作業場の畑までは、まっすぐ歩いて行けばさほど距離はありませんが、農作業用のトラクターに乗って行くと、 どうしても、家の前の大きな道から、農具などがしまってある小さな小屋の前をぐるっと回ることになるのですが、父は必ず、 「あの小屋には絶対に近づいてはいけないよ」 と口厳しく私に言いました。
 その小屋は、父が子どものときからそこにあったようで、 黒いススの付いているような、だいぶ古臭いものです。
 確かに、小さな私から見ても、不気味であまり近づきたくないくらいの、いつも木の陰になっていて薄暗い、ジメーっとした雰囲気のある、十畳ほどもない小屋でした。

 夏休み中で学校が休みだったその日は、たまたま私が思いつきで、暇つぶしがてら畑の草むしりをしていました。
 ふと顔を上げると、先程まで作業をしていた父の姿がありません。
 辺りを見回すと、あの小屋に向かって歩いている父が遠くに見えました。
 いつもなら父に言われたとおり、絶対にその小屋には近づかないのですが、その時はいたずら心が働き、隠れながら父について行ってみようと思いました。
 父からは見えない位置取りをしつつ小屋へ向かい、我ながら完璧に小屋に近づくことができました。
 小屋のドアは、父が開けっぱなしにしており、外からでも中の様子が伺えました。
 息を潜めて中を覗くと、そこには変哲もないただの農具などがあるだけでしたが、父が部屋の真ん中に立っていて、何やら話し声が聞こえました。
「……ああ、そうか。……この間もそうだったよな。……うん。……ああ、やっぱり。……わるいな、それはまた後で」
 などと、明らかに誰かと話をしているのですが、その小屋には他に誰もいません。
 元々、独り言の多い父ではありましたが、 ここまで文脈のない、まるで電話越しに誰かと会話をしているような、相手がいないと成り立たない独り言を聞いたのは初めてでした。
 当時、父は携帯電話を持っておらず、もちろん電話をしていたわけではありません。

 私は、 「なんだか気まずいものを聞いてしまったな」 と思い、息を殺して、また自分が草むしりをしていた場所に戻ろうとしたその時、独り言を話し続けていた父が、何の前触れもなく突然、 「…え?」 と私の方に顔を向けました。
 私は驚いて、咄嗟に走って逃げました。
 走りながら私は、 「なんでバレたんだろう。絶対に音は立ててないはずなのに……。あれはまるで、その場にいたもう一人が、私が隠れてたのを父にバラしたみたいじゃないか」 と思いました。
 何事もなかったかのように、仕事に戻る父。
 その後父からは何も言われませんでしたし、 その時の父の感じから、なにかすごく恐ろしい怪物と内密に会っている、という訳でもなさそうなので、特に気にはしていませんでしたが、 結局、その小屋については今も何も分からずじまいです。

 しかし、そのことがあって以来、私は注意深く父を観察するようになりました。
 会話のような独り言を小声で話す父を私は度々見かけ、その時の父の眼差しは、私には見えない何かがいるのであろう空間を、しっかりと捉えています。
 ある時は、私の習い事に車で迎えに来てくれた父が帰り際、何もない山道で突然急ブレーキをかけたかと思えば、前方を見つめ、固まってしまいました。
 何事かと思い、父の方を見ると、父の目が何かを追っていました。
 それはまるで、車の前をその「何か」が渡り切るのを待っているかのようでした。
 父は、何事もなかったようにまた車を前進させ、 小声で 「危なかった」 と呟きました。
 何が危なかったんだろう、と思いながらも、私にはそれについて尋ねてみる勇気はありませんでした。
 物心がついたときから割と変わらずこんな感じだったか、とも思えて来ましたが、 一体父には何が見え、何が聞こえているのでしょうか。

 これは祖母から聞いた話ですが、父が子どもの頃、失踪事件を起こしたことがあるらしく、 その時は、遠く離れた所にある石でできた祠の脇で、傷一つなく見つかったそうです。
 憶測ですが、その時から、父は何か特別なものに守られているのではないか、と考えています。
 近頃、実家に帰る予定ができましたので、勇気を出して、父にこの事について聞いてみようかな、と計画しているところです。

朗読: 影野ゾウの螺旋怪談
朗読: 小麦。の朗読ちゃんねる
朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

閉じる