私が獣医師、つまり動物のお医者さんを目指そうと思ったのは、 小さい頃の思い出からです。
両親は私が生まれる前からコーギーの仔犬を飼っており、名前をリッキーと言いました。
リッキーは私が生まれると、まるで自分に妹ができたかのように優しく接してくれ、 私たちは兄妹のように遊び、一緒に育っていきました。
いつも私の事を守ってくれるリッキー。
あれはわたしが小学校3年生の時の事です。
散歩の途中、横断歩道を渡っている時に、信号無視のクルマが交差点に突っ込んできて 私とリッキーを跳ね飛ばしました。
いち早く危険を察知したリッキーは、私の前に回って、そのクルマに激しく吠えたのですが、 時すでに遅し。
よそ見運転のクルマに私たちは跳ねられたのです。
幸い私もリッキーも命に別状はなく、私は腕や足、鎖骨、肋骨の骨折や脱臼で済みましたが、 リッキーは脊髄をやられ、手術を受けたものの腰から下が動かなくなってしまいました。
自分の痛みより、リッキーのことがツラくて、病院のベッドで泣いていました。
退院してからはリッキーのために動物病院へ通うのが日課となっていました。
その先生がとても頼りがいのある先生で、元気になっても散歩できないリッキーのために、 下半身を載せる小さな車椅子のような義足も作ってくれました。
リッキーの短い前足と、後ろのタイヤは相性がよく、また楽しく散歩ができるようになりました。
リッキーはそれから2年ほどは元気にしていたのですが、やはり怪我の後遺症からか、やがて 永い眠りにつくことになりました。
ありがとう、リッキー。リッキーのことは絶対忘れないよ。
私はこの時、自分も動物のお医者さんになって、かわいそうな動物たちをたくさん救ってあげたいと思うようになったのです。
でも、大変だったのはそのあと。
大学の獣医学部は狭き門で、しかも6年も通わなければなりません。
学費も高く、両親には本当に感謝しかありません。
大学は全寮制なのですが、さすが獣医学部と思ったのが、入学と同時に犬を飼いなさいと指示が出たことです。
なんと寮生活は犬と一緒の生活なのです。犬と共に暮らし、動物を身近に感じながら学んでいく。
動物好きの私には天国のようにも思えました。
でも犬を飼うのはリッキー以来8年ぶりくらいのことで、少し不安はありました。
そしてどうせ飼うなら、やっぱりリッキーだ。
いや、コーギーだ! 私はまた両親にお世話になって、2代目リッキーを飼うことになりました。
それからというもの、仲間たちともペットのことでワイワイやりながら、 楽しい寮生活をスタートさせました。
ツライ勉強も、リッキーの短い足とプリプリのお尻を見れば すべて吹っ飛んでいきます。
まるで一本の映画でも作れそうなくらい、私たちは充実した学生生活を送ることになりました。
あっと言う間の6年。
2代目リッキーは先代にも負けないほど私と相性の良い相棒になっていました。
今日はいよいよ最後の試験です。
教授はこの日、6年間連れ添った犬を連れてくるように言いました。
そして私たちに信じられない言葉を投げかけたのです。
「みなさんは獣医師になる覚悟が本当にあるのでしょうか? 動物が好きというだけではこの道を進んでいくことはできません。 愛する者の死というものを、重く受け止めなければ、本当の意味での獣医師にはなれないのです。 そのため、今日行う最終試験は、皆さんが連れてきた犬の解剖試験にしたいと思います・・・」
ざわめき出す試験場。
こんな試験は未だかつて聞いたことがありません。
阿鼻叫喚の中、プツンと、私の中で何かが切れ、目の前が真っ暗になりました。
・・・どれくらいたったのでしょう・・・私は、頭の芯がジンジンするような、 めまいのような感覚に落ちていました。
気が付くと、私は周りの学生たちに囲まれ、取り押さえられていました。
手は血みどろで、手術用のメスが握られています。
そして目の前には首からおびただしい血を流して床に倒れている教授がいました。
わたしがやったの??? 何が起こったのか自分にはわかりません。
でも・・・次の瞬間、 私はとてもうれしい気持ちになり、リッキーの名前を叫んでいました。
だって、先生のすぐ側で、後ろ足に車輪を付けた先代リッキーが笑顔で私を見てくれているのです。
わたしはもうそれだけで十分幸せです。
もう他に何もいりません。
ありがとうリッキー。
いつも私を助けに来てくれて。