稚児の骨噛み

皆さんはこけしという玩具の名前の由来をご存知でしょうか。
そう、東北地方の土産物屋に置いてある、あの木を削って作った民芸品のこけしです。
このこけしという名前の由来を、皆さんはご存知でしょうか。
実はこれには悲しい逸話がございます。
かつて東北地方の山村では、食い扶持を減らすため、生まれたばかりの子を間引く習慣があり、そうした嬰児たちの無念を晴らすために作られるようになったのが”子消し”の由来であるとされています。
今、皆さんはこの話を聞いてどう思われましたでしょうか?
「知らなかった! こけしにそんな逸話があったなんて!」
という感想をお持ちになった方もいらっしゃるかもしれません。
しかしながら、こちら全くの創作という説が濃厚でございます。
こけしの由来は諸説あるのですが、木材の端くれのことを”木けら(こけら)”と、呼ぶことから、そうした商品にならない木を使って作られた人形をこけしと呼ぶようになったのではないかという説が、私個人の中では有力な説ではないかと思っております。
私のような怪奇幻想趣味をお持ちの方からすれば、創作の説の方が魅力的に聞こえるかもしれませんが、実際にこけしを製作されている関係者の皆様からすれば、とんだイメージダウンでしょう。

このように、世の中にはまことしやかに広まっている通説・風説の類いがそこかしこに転がっているもので、それが限られたコミュニティのみで語られているものであれば、その真偽を計ることは至極困難なことかと思われます。
誰かがおもしろがって後付けした話というものは、なかなかどうして衆愚の目を引きやすく、真実はねじ曲げられてしまいがちです。
しかしながら、そういったもっともらしい嘘の話というものの中には、何らかの目的があって、意図的に流布されたものも、少なからずあるのです。

これは私の祖父が子供の頃、今から70年以上前の話です。
祖父は東北地方のとある県で、7人兄弟の末っ子として生まれました。
祖父の実家はいわゆる豪農というもので、古くから土地の農民たちに田畑や土地を貸していた村方地主をやっていました。
今はとっくに建て替えてしまって現存していないのですが、大きな木造の家で、当時としては珍しいガラス窓と、洋テーブルと椅子があったような、お家だったそうです。
その家の敷地に、これもまた今や最新式の倉庫にとって替わったのですが、当時は大きな土倉がありました。
土倉は常に厳めしい鉄の扉と、大きな丸太のかんぬきで固く閉ざされており、かんぬきを外すには、大人の拳ほどある錠前を外さなくてはならない、当時のレベルではなかなかに頑丈なセキュリティだったそうです。
そんな土倉に、幼い祖父は家の者たちから、決して近寄ってはいけない、決して開けようとしてはいけない、と、きつく言い聞かされていました。

ある日の昼のこと、祖父はお手伝いさんとの遊びに飽きて、一人で家の裏をぐるぐると何をするでもなく歩き回っていました。
ふと、近寄ってはいけないと言い聞かされていた土倉が目に入り、いけないと知りつつも、好奇心からそちらへ歩み寄っていきました。
と、土倉の鉄扉を塞ぐかんぬきの錠前が、何故か開いてしまっていることに気がつきました。
にわかに幼い祖父の好奇心は膨れあがり、土倉をちょっとだけでも覗いてみたいという気持ちに、いても立ってもいられなくなってしまいました。
あれだけ親父やじいさんが見るな開けるなと口を尖らす倉なんだ。
きっとすごいお宝があるのだろう。
うちは昔から地主だし、それこそ、お上からもらった珍しい品物でも貯め込んでいるんじゃあるまいか。
と、子どもの力を振り絞り、重いかんぬきを動かして、数センチほど鉄扉を開けてみると、中から何やら音が聴こえてきました。
カツ、コツ カツ、コツ、カツ
何か、固いものと固いものとが当たるような、乾いた音が断続的に聴こえてくるのだそうです。
何だろうかと耳をその鉄扉の隙間に当てようとしたところ、背後から大きな声で叱責する声で、祖父は飛び上がって振り向きました。
見るとそこには鬼の形相で腕を組んで立っている父親の姿。
あれだけ近寄るなと言ったのに、と怒鳴るや否や、居間まで連れて行かれ、こんこんとお説教をされたということです。
祖父はその時どうしても気になってしまって、
「あの倉の中から、何か音がしてたよ」
と、父親へ話すと、
「まあ、そろそろ話してもいいだろう。あそこにあるのはその昔、この辺りが飢饉で皆飢えていたとき、同じように飢えて死んでいった赤子の遺骨があるんだ」
父親が話し始めたのは、かつて大きな飢饉があったとき、生まれたての赤ん坊が亡くなったことがあったこと。
飢えのために母親は満足に乳を出すことができず、子を死なせてしまったことを心に病んでしまったこと。
完全に抜け殻のようになってしまった母親が、亡き子への哀別の念から、村中を赤子の遺骨を噛みながら彷徨い歩いたこと。
そんな母子を哀れに思った当時の当主が、供養した後の遺骨をあの土倉に収めたということ。
そして、あの乾いた固い音は、その遺骨を噛む音なのだ、ということ。
幼かった祖父でしたが、何かとても良くないことをしでかしてしまったと反省し、その日は大人しく過ごし、やがて床につきました。

その夜、祖父は寝苦しさから目を覚ましました。
時刻は定かではないそうですが、家の者はお手伝いさんも番犬もすっかり寝静まり、木々が風にそよぐ音だけが聴こえる、いわゆる田舎の深夜の沈黙の中、祖父だけが目を覚ましてしまいました。
と、今自分が寝ている寝室から少し離れた土間の方から、昼間聴いたあの音が聴こえてきたのです。
カツ、コツ カツ、コツ、カツ
ぎょっとした祖父が耳をそば立てていると、その音のほかに、別の音も聴こえてきたのです。
カツ、コツ、カツ ペタペタッ、ズルッ ペタペタッ、ズルッ カツ、コツ、カツ
乾いた音に混じって、何か湿ったようなペタペタという音と、何かを引きずるような音。
その音は、気づけば徐々に近づいて、今や祖父が寝ている寝室のすぐそばまで迫っていました。
カツ、コツ、カツ ペタペタッ、ズルッ
恐ろしさで身動きが取れぬまま、布団の中で震えている祖父の枕元でその音は止まり、 ほう……と、生温かい何かの生き物の吐息が首筋にかかったのを感じたとき、祖父は意識を失いました。

次に祖父が目を開けると、寝ている自分を家族一同が一斉に見下ろしていて、祖父が気がついたとわかるや否や、皆安堵のため息を漏らしました。
何が起こっているのかわからない祖父が半身を何とか起こすと、寝室には朝日が差し込み、部屋の隅では祖父の祖父(私のひいひいじいさん)がお坊さんに何度も頭を下げて礼を言っていました。
安心したらしい家族たちが寝室から散り散りに、畑へと戻っていく中、私のひいひいじいさんは祖父を自室へ招き入れました。
「お前、倉を覗いたんだって?」
「はい」
「まったく困ったやつだ。お前、あと少しでアレに”魅入られる”ところだったんだぞ」
「アレって?」
「お前が親父から聞いた話は、お前の親父が子どもの頃にワシがでっち上げて聞かせた話だ。やはり親子というものか、アイツも昔、倉を無理やり開けようなんぞしたからな。それらしい話を作ったんじゃ」
「じゃあ、あそこにあるのは赤ん坊の骨じゃないの?」
「いんや、たしかにあそこには赤子の遺骨が収めてある。じゃが、いわれは全く違う。これに懲りて、もう二度とあそこには近寄るなよ?」
ひいひいじいさんがそう言って、
「子どものお前には酷かもしれんが」
と前置いて話し始めたのは、祖父の想像を超えたおぞましい話でした。
「昔、飢饉があってここいらのみんなが飢えていたのは本当のことだ。昼も夜も人が死に、飢えた人はそんな死体にまで手をつけた」
「食べてたって、こと?」
「そうだ。木の根も皮も、草の一本も残さず食えば、あとに残るのは人の身体だけ。だが、やってはいけない一線のその先を超えた者たちがいた……ついに、生まれたばかりの赤ん坊にまで手を出してしまったんじゃ」
絶句する祖父に、ひいひいじいさんは事の真相を告げました。
「お前が聴いた音はな。赤子の身体にかじりつく、村人たちの歯が骨に当たる音じゃ。お前ほどの歳の頃になると、何年かに一人は”連れて行かれる”ことがあった。さっき寺の坊主とも話したが、ようやっとアレを受け入れてくれるお寺さんが見つかったそうだ。いいか? アレがこの土地から離れるまで、決してアレを見ようとしたりするな。今度はどうにもならんぞ」
呆然と正座したまま、祖父は昨晩の音の正体に気付いていました。
骨を噛む音と、湿った音と引きずるような音。
あのとき、件の赤子は板の間を這いずってこちらへやってきていたのです。

それからしばらくして、その土倉は取り壊されました。
昔から嘘ばかりつく私の祖父が、私と一緒に帰省した夏の夜、やけに真剣な顔で滔々とこの話を語ってくれたのを、今でもはっきりと覚えております。
世の中にはこのように、良かれと思って真実を隠すための”カバーストーリー”が流布されていることがままあります。
願わくばこのお話を読まれた皆様が、何かの拍子に隠された真実を、意図せずしてほじくりかえすことがないことを切に願っております。
嘘でもおもしろい話を消費しているほうが、私たちにとっては幸せなことなのかもしれないのですから。
読んでいただき、ありがとうございました。

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