夢もまた夢

ありふれた話だが、聞くのと実際に体験するとではまた違ってくる。  

私は当時、安月給で苦労していた。
同居をしていた彼氏も、そこまでの高給取りではない。
それでも節約したり、流行りの服を買わないようにしたりして過ごしていた。 好きな相手と同じ屋根の下、苦労を共有する幸せというかなんというか、当時の私は少し変な方向へ振り切れていたのだと思う。  

そんな折に彼氏が失業し、家計は火の車となった。
中々決まらない次の就職先にイライラする彼。
私といえば、シフトを増やし、“どの出費が嵩んでいるのか”などと数字が苦手なくせに電卓を叩いていた。  
連チャンでシフトをすること数か月、私はある結論に達した。
このままでは体が持たない。ついでに言えば、あんなに好きだった彼氏が、家に帰ると家事もせず、ゲームに勤しむ光景を見せられたら尚更だった。  
家計簿と睨めっこし、私はついに決めた。
これしかない。私は彼氏を捕まえて、切り出した。  
「我が家はただいま火の車ですよね?」  
「ああ、うん、それな、ごめん。明日ハロワにでも行って・・・」  
「それは行ってください!それとね、やっぱり節約してもやっぱり限界だから、引っ越そうと思う!」  
「ああ、うん、うん?」  
現在の家賃は1Kで8万円、それでは彼氏が就職してもジリ貧だろう。
これがアホな私が出した結論だった。  

この日以降、私たちの生活は変わった。
彼はゲームのほとんどを売られて落ち込み、私は仕事の合間を見ては不動産屋に掛け合った。  
引っ越し代も馬鹿にならない。あたるなら近場だ。
出来れば5万以下でそれなりに綺麗なマンションを・・・  まぁあるわけがなかった。現実は厳しい。
しかし、この話を友人にしたところ、面白いことになった。  

「A(私のこと)さぁ、家探してるんだよね?」  
「うん、比較的綺麗で、安いとこ!でも中々ないよね・・・」  
「うちのおじさんの持っている家なんだけどさ、曰く付きで噂なんだけど、安く借りれるか聞いてみようか?」  
「え?いいの?綺麗なの?」  
「平屋の2DKとかだったかな。前に見たときは、わりとしっかりした家だったよ?おじさんに電話で聞いてー」  
「聞け!今すぐ聞け!」  
友人のB子の話を要約すると、B子のおじさんが所有している空き家が、
私たちの家近くにあり、過去に何やらあったようで、借り手が現れない事。
それなりの手入れもされており、すぐに物件を見られるということ。  
あとは互いの日時を決めたら、現地で私や彼氏、B子と大家になる予定のB子のおじさんを交えて話すこととなった。  
ご飯代はB子に奢ってもらった。実に良い友人である。  

私は家に帰ると、彼にそのことを話し、思い立ったがなんとやら、早速その週の土曜日に物件を見学に行くことにした。  
「なんだよ、曰く付きとか勘弁してくれよな?出たらどうするんだよ!」  
「何言ってるのよ!今のご時世、幽霊も化け物も何でもござれよ!金が浮くんならなんでもしてやるわ!」  
こんな調子で、彼氏を半ば強引に引きずりながら、私は現地に赴いた。
B子のおじさんは優しそうなイケオジだった。  
私はちょっとキュンとしたが、それより今は家である。
聞くと見るとでは随分違う。予想以上に良い家だった。  
こんな住宅街で庭があり、洋風でこじゃれた感じではないが、しっかりした日本家屋で、古いといった感じもしない。
これは高いだろう。5万で済めばいいのだが・・・  

「中、見てみますか?」  
「はい、お願いします!」  
おじさんの素敵なボイスと、思いのほか立派な家。
私の声はいつもよりトーンが上がっていた。どう見ても馬鹿である。
彼氏はそれを見て呆れかえり、B子にいたっては腹を抱えて笑っていた。  
内装はとても立派だった。
電気お湯沸かし器、厳かな茶間、畳がある二部屋。
少々狭いが、私と彼で暮らす分には充分である。
ただ前の住人が住んでいた家財が少し気にかかった。  
「前の住人がね、ここの家財を片付ける前に亡くなってしまってね。もし入居してくれるなら、僕の方で片付けるから」  
「そんな、それくらい私たちがやりますよ!」  
「ああ、そうだ。これは言っておかないと。こっちにきてくれるかな?」  
おじさんは滅茶苦茶紳士だった。口に生やしたお髭も素敵だった。
あまりに私のテンションがおかしいので、彼氏は辟易していたと思う。
 
案内された場所は風呂場だった。その日はじめて私は黙った。
ここが曰くつきと言われる場所か。  
「B子のほうからは、もう聞いたと思うけど、前の住民はこの家で亡くなっていてね。ちょうどこのー」  
「このお風呂場で亡くなってたらしいよー。孤独死だってさー」    
B子がイケボを差し置いて話す。
なんだBてめぇこのやろう、実に悪い友人だこのやろう・・・  
「うん、まぁ、ご高齢ってことで、心臓麻痺だったみたい。自殺とか殺人現場とかではないんだけどね。
もし気にするなら、入居しなくてもいいからね」  
「おじさま、このお宅、おいくらで借りれますか?」  
「ううん、そうだな、月1万円とかでどうかな?やっぱり高いかな・・・」
「おじさま・・・」  
「は、はい、どうしました?」  
「おじさま、敷金、礼金はいかほど納めれば?」  
「そんなのいらないよ!僕としてはこの家に誰か住んでくれて、維持してくれればそれでいいんだから」  
「おじさま!」  
「はい!」  
「私たち、今日からこの家、借ります!」  
私以外の3人が驚くのも無理はなかった。
なんたって私の即断だったし、普通、人が死んだ家を好き好んで借りようとは思わない。  
しかし私は早かった。
おじさまやB子がいう前住民の家財はそのままに、家同士が近い事を利用して、この土日を使って引っ越しを済ませた。
次の日に、勢いそのままで住民票やその他諸々の手続きを終わらせる。  
これで家賃に縛られる生活とはおさらばよと、高笑いをしながら・・・  

月曜の午前中に、書類仕事を片付けた私は、暇な彼氏を従えて、新居にある使わない家財を、総出で彼氏と兼用のベッドルームにぶち込んだ。
夏の暑い中の作業だ。私と彼は半ば白目を向きながらも何とか作業に勤しんだ。
空いたスペースを使い、掃除、家具の整頓。
服は置くスペースがなかったので、仕事着だけをカーテンの縁に掛け、
段ボールはそのままの方が場所をとらないので、敢えて解かずに山と積み上げる。
しかしだ。あきらかに狭い。
ソファや食事スペース、一人分のベッド分以外は、家は物で埋まっていた。
「テレビでやってたゴミ屋敷みたいだな!」  
「ゴミはお前じゃニート!働け!」  
彼氏のへたり込みを華麗にかわし、私は時計を見て驚く。
もう夜中の1時!  今夜はこのへんで寝よう。
明日は仕事だから彼に少し片付けをしてもらって、1週間もすればなんてことない、良い家になる。  
私は、ゲーム機が探してもないと嘆く彼氏をあやしてベッドへ向かわせた。
あんな男でも、今日1日、力仕事に精を出してくれたのだ。
私はソファで寝るとしよう。    
「Aおやすみー」  
「あいよ、おやすみーおつかれー」    
私は茶の間には見えない段ボールの山をかき分け、電気の紐を引いた。
部屋が暗くなる。流石に庭が広い家だ。近隣から漏れる明かりは皆無だった。
よく寝れそうだ。
今週中には引っ越し祝いでB子を呼ばなくてはと考えているうち、睡魔が襲ってくる。  
私は硬いソファに身を沈めた。  

どのぐらい寝ただろうか。やけに明るかった。
もしかしてもう朝か。私は驚いて飛び起きる。
あれ?おかしい。茶の間の電気が付いている。
そりゃ明るいわけだ。さっき消したよね?いや、疲れてたから、消さなかったのかも。
自問が生まれ、消えていく。  
私は今一度電気の紐に手をかけた。
ん?紐がやけに湿っている。まぁそんなものか。私は今一度電気の紐を引いた。
手探りでソファを探そうとすると、外から明かりが射す。
やっぱり朝かと時計を見ると、夜中の1時。
おかしいな、先ほどからまったく時間が経っていない。  
疲れがピークのようだ。私は明るいおかげで探しやすくなったソファに滑り込んで寝た。  
どのくらい寝ただろうか。起きるとそこは暗かった。
やけに喉が渇く。そりゃそうだ。なんたって夏なのだから。  
私は手探りで電気の紐を掴んで引いた。
ジリリという音ともにゆっくりと電気がつく。部屋は整頓されていた。
あれ?こんなに片づけたっけ?首をかしげると冷蔵庫の脇に何かがいた。  
まさか、孤独死したとかいうあれか!私は恐る恐るそちらに近づく。
時計の時間は午前12時を回ったあたりだった。
おかしい。寝たのは1時過ぎなはずなのに・・・  
冷蔵庫の脇に居たのは犬だった。上から下までまっくろけの大きな犬。
犬なんて飼ってたっけ?私は犬の頭を撫で、水道へと向かう。
なんの変哲もない、多少片付けられているとはいえ、寝る前と変わらない通路を過ぎ、私は蛇口を捻った。  
水が出ない。おかしいな。さっきの掃除のときには出たのに。
仕方なく私は古巣である硬いソファへと戻った。
犬が尻尾を振っていたので、もう一度頭を撫でてやり床につく。
変な感じだ。どうもおかしい・・・  私が考える間もなく睡魔を襲ってきた。瞼が塞がり、手足が冷えていく。  

どのくらい寝ただろうか。目を覚まそうにも体が重い。
どういうわけか、体に掛けていた薄い布団が蠢いている。何かいる。
私は恐怖で声がでなくなっていた。
蠢くものが、どんどんと顔のほうに上がってくる。  
まさか、孤独死したとかいうあれか!私は迫りくるそれをただじっと待つしかなかった。
光る眼、平べったい鼻、前身は黒い毛に覆われているそれは、私のすぐそこまでやってくる。
猫だった。猫?かわいいじゃないの。うん?私って猫飼ってたっけか。そういや犬も飼ってない。  
数舜の間があったと思う。外からの明かりが見せる光景を、私は見回す。
時計は夜の11時半、片付いていない茶間、猫が私の頬を舐めた。  
夢だ。これは全て夢だ!
あまりにも精工に家財が配置され、部屋があるせいで、今の今まで気づかなかった。
これは夢だ!じゃなきゃ猫アレルギーの私はそろそろ顔が痒くなるころだし・・・  
でも夢だとしたら一体いつから?もう一度寝れば覚めるの?いや、今まで寝ても駄目だったじゃない!  
私は彼を思い出し、蹴り飛ばすわけにもいかないので、猫をとりあえず脇に降ろし、彼氏がいるはずの愛の巣()に走った。  

彼氏は実に独特の寝相をする。
それで何度起こされたことか・・・。
私が部屋のドアを開けたとき、彼は私が思った通りの寝姿のまま、いびきをかいていた。
隣にはゲーム機が散乱している。
なんだ、見つけたのかよ、隠しといたのに・・・  
私は今が夢?でないことを確認するべく、彼を叩き起こす。  
「起きて!ちょっとおかしいのよ!」  
「なんだよ、うう、寝てたのに・・・」  
「起きて!今はどっち?夢?現実?」  
「なんだって?そら現実だろ?起きてんだから・・・」  
私は愛の巣()にある壁掛け時計を確認した。
午前4時45分。さっきはたしか・・・  私は彼氏を突き飛ばし走った。
おかしい!なんで?だってそうでしょ!ついさっきまで11時だったのに、4時!?  
私はソファしかないと思った。
あそこなら守られている気がした。
廊下を急いで駆け、茶の間に向かう私の耳に、気持ち悪い音が響いてきた。  
なんというか、何かを噛んでいる音と規則性ある、パンパンといったような音。
 
音の出所はあの風呂場からだった。ソファに行くべきか。
いっそのこと玄関まで逃げるか。
私は結局、好奇心に負け、風呂場を覗いた。なんてことはない。夢なんだから。
そう、夢なんだ。  
暗がりのせいではじめは分からなかった。徐々に目が慣れてくる。
その間もあの奇妙な音は続いていた。
何か2つの影が縦に重なっているようだった。
何だろうか。私は一歩近づく。足が何か生暖かい液体を踏んだ。  
目が慣れてくる。私はもう見たくはなかった。それは猫と犬だった。  
犬が下となり、猫が犬の首の肉を引き千切りながら租借し、有り得ないことに、後ろから犬と交尾をしている。
パンパンという音、クチャクチャと肉を噛む音、とても形容し難い喘ぎ声。
流れ出る犬の血と、猫の体液が混ざり合い床を濡らす。私が踏んだのはまさか・・・  
「なんだって?そら現実だろ?起きてんだから・・・」  
不意に後ろから言われ、私は驚いて腰を抜かした。
彼がそこに居たことに、今まで気づかなかったなんて。  
「なんだって?そら現実だろ?起きてんだから・・・」  
「なんだって?そら現実だろ?起きてんだから・・・」  
「なんだって?そら現実だろ?起きてんだから・・・」  
彼と犬、猫が同じ声色で私に向かって諭すように言う。
逃げなくては。私は両手で耳を覆い駆けだそうとした。しかし逃げ切れなかった。
液体に足を滑らせ、バスタブの角に頭を打つ。
熱い痛み。意識が遠退いた。
それでも尚、彼らは語り続ける。何の抑揚もなく、叫ぶわけでもなく、あの言葉を・・・  
私は何処かで安堵した。夢で死ねば覚めるかもしれない。    

どのぐらい寝ただろうか。やけに明かるかった。
もしかしてもう朝か。私は驚いて飛び起きる。なんて夢だろう。
ぶつけたはずの頭を擦る。大丈夫だ。なんともない。
次に足に付いているであろう液体を・・・ない。付いてない。  
時計は・・・午前4時46分。
寒気がしてきた。私は恐る恐る、窓から射す弱い太陽光を頼りに茶の間の電気をつける。  
段ボールの山はそのまま。
犬も猫もいない。残すは・・・
「あんた、起きて、いいから起きて!」  
「なんだよ、うう、寝てたのに・・・」  
「起きて!良い?簡潔に、今は夢か現実かだけ言って、どっち?どっちなの?」
「なんだって?そら現実だろ?起きてんだから・・・」  
私はその後再び気絶した。

起きたらまぁ素晴らしいことに昼過ぎ。
職場からは怒られるは、彼氏からは“やばい奴”認定されるは。
ただそのあと、これといった夢の繰り返しは見ていない。
 
あれはなんだったのか。
正直、今が夢か現実かなんて確証を持って言える人がいるのだろうか。
私はこの文章を打ち込んでいる最中も、今がどちらなのかわからないまま、時折あの言葉を耳にする。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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