祝詞をあげる人

あれはまだ厳しい暑さの残る9月。

私が遭遇した不思議な人の目撃談です。

ある晴れた日曜日、日々の仕事に疲れた私は、気分転換と運動不足解消も兼ねて近所の山に登山に出かけました。

自宅のベランダからも見える、ピラミッドのような三角型のシルエットが特徴的な小高い山です。

山の麓にある神社までたどり着くと、その日はちょうど例祭の日だったらしく、

境内は参拝者で賑わっており、神主さんの祝詞の声が響いていました。

神社の前を通り過ぎ、山の上へと続く曲がりくねった上り坂を登ると、

やがて山の中腹にある、銀色の巨大な鳥居が立派な中宮が見えてきました。

中宮に手を合わせて一息ついた後、

いよいよ山頂を目指そうと登山道に足を踏み入れました。

ところが、少し登ったところで予想外の事態に足を止めてしまいました。

前日降った雨のせいか土の地面は非常にぬかるんでおり、道の上の方からはちょろちょろと水が流れてきているのです。

悩んだあげく、結局その日は登るのをあきらめて引き返す事に決めました。

下山しようと踵を返した時、下の中宮の方から男性の声で祝詞が聞こえている事に気が付きました。

「麓の神社の神主さんが、中宮まで登ってきて祝詞をあげているんだな」

てっきりそう思っていたのですが、中宮まで下りてきた私が見たのは神主さんではありませんでした。

そこに居たのは、髪を金髪に染めて派手なシャツを着た20代前半くらいの男性二人組で、

一人が中宮に向かって手を合わせて祝詞を唱えており、もう一人は一歩下がった位置で黙ったままじっと同じように手を合わせいます。

とても神職に似つかわしくない風貌のギャップに驚きはしましたが、

「きっと神職の見習いか何かの人で、祝詞の練習をしているのだな」

などと勝手に想像しながら、私はそばにある休憩所のベンチに座って休憩していました。

しばらくすると、その男性二人も休憩所へやってきて、少し離れたベンチに腰を下ろしました。

挨拶でもした方が良いだろうかとチラチラと見ていたのですが、

先ほど祝詞を唱えていた男性が暑さで上着のシャツを脱いだ瞬間、私はさらに驚いてしまいました。

男性の両腕には真っ黒に見えるくらいびっしりとタトゥーが彫られていたのです。

そのあまりのインパクトに萎縮してしまい、咄嗟に目をそらしましたが

二人の会話に耳だけは傾けていました。

会話を聞いていると、どうやら祝詞を唱えていた男性は神職とは特に関係のないようで、

もう一人は今回初めて付き添いで来た友人らしく、なにやら色々と質問しているようです。

質問に対する男性の答えは、とても不思議なものでした。

「目を閉じて手を合わせていると、勝手に言葉が浮かんでくる。」

「言葉を喋っている間は誰かと会話をしているような感じ。」

その言葉を聞いて一瞬、

男性が口にしていたのは本当に祝詞だったのか?

適当な言葉を唱えていただけではないのか?

と疑わしくなったのですが、素人の私には言葉の内容まではわからないまでも、

聞いている限りの抑揚などの印象は神職の方が唱える祝詞と同じものでした。

やがて休憩を終えた男性二人は山を下って行きました。

神職ではない一般の方でも、祝詞を覚えて神社に参拝した際に唱える事があると

聞きた事もありますが、

男性が話していた内容はまるで神がかりようで、あまりにも奇妙で不可解です。

あの男性は一体、何者だったのでしょうか…?

朗読: 朗読やちか

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