今から30年程前、俺が20代前半の頃の話だ。
俺は、就職で地元を離れた友人Cが住む、Y県に泊まりがけで遊びに来ていた。
五月の気持ちよく晴れたその日、「K湖に行こう」という話になった。
K湖に行くには山一つ超えるのだが、俺達はどうせ行くならと旧道を行く事にした。
そこには「旧Mトンネル」という、C曰く、地元では「幽霊が出る」と言う噂がある古いトンネルがあった。
俺はその事にはあまり興味もなく、聞き流していた。
「でも、そこに行くまでが結構いい道なんだ」 そうCが言った。
国道を行くと分岐点があり、右へ行くと新トンネル、左に行くと旧トンネルになるそうだ。
旧トンネルに行くまでには、くねくねとヘアピンカーブが続く急な坂道だった。
「バイクで来たら、楽しいだろうな」
元バイク乗りのCはヤケに楽しそうだった。
その峠道は、以前ある自動車メーカーの新車のCMのロケ地に使われた事があったそうだ。
確かに、空撮すれば綺麗なワインディングロードだろうなと想像できた。
その坂を登り切ると、古びた旧トンネルが姿を現した。
トンネルに入ってみると、古ぼけた照明らしく、灯りが小さく暗い。
その上、路面は天上や壁から流れ出る地下水で濡れていた。
車のライトは吸い込まれ、ないも同然の様だった。
「前に来たときはこんなに地下水、出てなかったんだがな」
Cは、無灯で雨の中走っている様だとぼやいていた。
このトンネルの一番の特徴は、トンネルに入っても緩い上り坂なのでかなり進まないと出口が見えない事らしい。
確かに、出口の見えないトンネルの中は晴れ渡った外と違い、まるで異次元の暗闇を突き進んで行く様で、俺はその落差に多少の恐怖と不安感を感じていた。
Cもそう思っているらしく、口数が減っていた。
暫くすると出口が見えてきたので、異次元から脱出出来ると俺は安堵した。
(こんなんじゃあ、幽霊の噂も出てもおかしくないよな) そう俺は思った。
「なんだ?あれ」
Cが不意に言った。
前方の道路際に、小さい子供がこちらに背を向けてしゃがんでいるように見えた。
「子供がなんで、こんなとこ」
ヘッドライトの光の中、その子は微動だにしない。
Tシャツに半ズボンでうつむいている。
出口が見えるとは言え、五、六歳ぐらいの子供がいるわけがない。
近づいて行く車、その子は動かない。
その時、その子が座り込んで多分「見つめている物」が見えた。
それは人の首だった。
髪がボサボサでかなり顔にかかり目は見えなかったが、薄く開けた口と青白い顎のラインがライトの光に反射していた。
それをその子は、じっと見つめているようだった。
「うわあああ」と俺が叫ぶと同時にCが「ヒッ」と変な声を出して、いきなり対向車線に飛び出した。
「何だー!マジかよ!!」
Cは絶叫していた。
俺はCのいきなりの行動に面食らったが、どうもそれを避けようとしたらしい。
「おい、C、危ないって!」
Cは慌てて左の路線に戻り、スピードを出しトンネルを抜けた。
トンネルを抜けるとそこには、日常の光景が待っていた。
ある有名な山が一望できるので、「峠の茶屋」的なお店があり、車や団体バス、人々の喧噪が青空の下にあった。
Cはそのお店の駐車場に勢いよく止めた。
「やばかった……。アレなんだ?」
Cがハンドルに突っ伏して、震えている。
「俺に分かるか! ……人か、幽霊?」
その時、俺自身も膝が震えているのに気がついた。
少し落ち着くと、俺は自販機でコーヒーを買い、一本奴に渡した。
トンネルを見ると、何事もなかったように何台もの車がトンネルを出てくる。
また何台もの車が出発し、トンネルに消えていった。
「対向車、なくて良かったな」 と俺は言った。
コーヒーを飲み終わると、唐突にCがこのトンネルにまつわる話をし始めた。
「このトンネルの怪談話で、俺の一番エグいなと思ったのはさ、俺の同僚が学生の頃、仲間数人で、深夜このトンネルに来たたんだって。途中で車を止めて、ふざけて一人の友人を「肝試しだ」と言って置きざりにしたらしい」
「マジか・・・あそこに?」と俺。
「当然歩いて追いかけてくるかと思ったらしいが、来ない。何やってんだと迎えに行くと、その友人は何が原因か分らんが、錯乱していてすごかったらしい。
暫く精神病院に入院したんだってさ」
そりゃそうだろう、あんな場所に放置されるなんて、正気ではいられない。
そこで、Cは俺の顔を見ながら言った。
「それで、思い出したんだ。その入院した奴、
病院でずっとブツブツなんか善いながらしゃがみ込んで床ばっかり見てたらしい……」
俺は何も返す言葉が、見つからなかった。
あの子供と足下にあった首が頭によぎった。
「で、警察沙汰になって慰謝料とかで何年もゴタゴタしたんだってさ」
そう言ってCは押し黙り、俺も黙ってしまった。
その日は予定をやめて、新Mトンネルも通らず、かなり迂回して帰った。
その間、あの出来事の話は一度も出なかった。
「俺はもう二度と行かない」 そうCが言っただけだった。
あの子は、何だったのだろう?
足下にあったあの首は?
(とりあえず、あの子供の顔を見なくて良かった) そう、俺は思った。