カウンター越しに接客を行う職場で働いていたころの話です。
その職場は、ビルの中のいっかくにある店舗で、目の前の通路はうちの店に用がないお客様も多数通ります。
時々そんなお客様がふと立ち止まって、パンフレットなどを見たり質問をしてくることもあるので、目の前を人が通ると、私達従業員は必ず「いらっしゃいませ」 「おはようございます」 など声をかけるようにしていました。
ある時から、奇妙なお客様が通るようになりました。
背が高く、色白で太っており、顔つきはやたらと子供っぽい、おそらく20代後半くらいの男性でした。
黒のスラックスにカッターシャツ。彼はコミュニティバスの運転手さんでした。
うちのビルはバスの終着点になっており、朝と昼、駐車場で時間調整のため停まっているバスの中で掃除をしたり、運転席に座っているのを見かけました。
なぜ奇妙だと思ったかというと、まず彼は絶対に私達と会話をしません。
なのに、少し離れたところからこちらをじっと見ていたり、店舗前を通り過ぎる時に不自然にゆっくり歩いて横目でこちらを眺めていたり、聞こえるように独り言をいったりするのです。
独り言の内容は、従業員がヘアスタイルを変えた日には 「髪切ったんだぁ」ディスプレイを変えた日には 「あ、変わってる」 など、あきらかにうちの店舗や従業員についてなんです。
なのでこちらも挨拶をしたり、話しかけたりするのですが、そうすると必ず足早に歩き去ってしまい、うちのカウンターを通り過ぎたあたりで、また立ち止まっていたりするのです。
まあ、変わった人もいるよね、という感じで、うちの店舗内では気にしないようにしていたのですが、従業員のひとり、Kさんが 「彼は、うちの従業員の中の誰かに気があるに違いない」 と言い出しました。
「とりあえずさ、うちの商品すすめてみようと思う。せっかく頻繁にうちの前を通るんだし、うまく行けば買ってくれるかもしれないし、みんなが順番に声をかけていって、その反応を見れば、だれのことが気になってるかわかるかもしれないよ」 といって 「とりあえず、今日はまず私からね」 と、しばらくしてやってきたそのお客様に声をかけました。
「おはようございます。只今こちらのキャンペーン中で、アンケートにお答えいただくだけでプレゼントを差し上げております。お時間あれば、いかがですか?」
私達は目の端で二人に注目していました。
「い、いいです……」
彼は小さく消え入りそうな声でそう言うと、足早に去っていきました。
短くはありましたが、それが我々と彼の初めての会話でした。
「少なくとも、どうやら私はハズレみたいだね」 とKさんが笑いました。
うちは女性ばかりの職場で、かなり綺麗な人やかわいい子もいたので、まあそのなかの誰かなんじゃないか、という話になりましたが、それ以降、自分も彼に話しかけてみる、という従業員はおらず、Kさんの検証は中途半端なままになっていました。
しばらくして、ふと気づきました。
あのお客様が、最近うちの店舗前であまり立ち止まらなくなっていたのです。
正確には、Kさんがカウンターにいる時間は、通路をゆっくり歩くことも、独り言を言うこともなく通り過ぎていきます。
そのことを他の従業員に言うと 「そういえばそうだね。よっぽどいやだったのか、それとももしかしてもしかすると、大当たりだったりしてね」
彼の想い人がKさんだったんじゃないかというのです。
どっちもありうるな、という話になりました。
そんなある日、私はカウンター下のパンフレットの束を引っ張り出し、整理する作業をしていました。
カウンター後方のデスクではKさんが事務仕事をしていました。
とてもお客様の少ない日で、通路には人影がなく、しんとしていたのを覚えています。
ほかの従業員は昼休憩中で、店舗内にいるのは私とKさん二人だけでした。
その時、しゃがんでいる位置から、あのお客様が前を通るのが見えました。
目線を追うと、横目でKさんを見ながら、いつものように足早に通り過ぎていきます。
Kさんは、電話をしていたため気づいていないようでした。 足音が通路に響いていて、やがて消えました。
私は、Kさんに話しかけようと立ち上がろうとして、そこでローカウンター越しにこちらを見ている彼と顔を突き合わせました。
いつもの、彼の顔でした。
色白で、ぼんやりとしていて、少し口が開いていて、鼻の下と顎のところに少しだけヒゲの剃り残しがありました。
そして、目はKさんのことをじっと見ていました。
私は驚いて声も出せず、ゆっくりと立ち上がり、そして気づきました。
彼の体がおかしかったんです。
小学校低学年くらいの子供の体に、大人の彼の顔が乗っていました。すごくアンバランスでした。
だからローカウンター越しに、中腰の私と同じ位置に顔があったのか、と、どこか冷静に頭の隅で考えました。
たぶん、びっくりしすぎたんだと思うのですが、私は後ろの棚にぶつかり、乗せていたパンフレットか散らばってしまいました。
あっと思って一瞬そちらに目をやり、また顔を上げると、もう彼の姿は見えなくなっていました。
「いやいやいやいや、まてまて」 と独り言をつぶやきながら急いで通路に飛び出しましたが、誰もいませんでした。足音も聞こえませんでした。
走って外に出ると、駐車場のすみに彼のバスが止まっていて、中に彼が居るのが確認できました。
その時のことを思い出しながらこれを書いています。
あのとき、私が怖かったのは、彼のアンバランスな体と、そして彼の目です。
ぼんやりとしていたけど、そこにはあきらかにKさんへの執着がありました。
好意なのか悪意なのか、判断は付きませんでしたが。
なぜ、彼は子供の姿をしていたのか。 なぜ、Kさんを見ていたのか。
なにもわからなくて、だからこそとても不気味に思えて、忘れられない体験です。
その後、彼は職務態度やお客様からの評判が悪かったせいで担当の路線を変えられてしまい、私の職場には来なくなったので、みな、なんとなくホッとしました。