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穴二ッ

パート仲間の治美は、旦那さんの女遊びに散々悩まされた過去を持つせいか、
世間で言う「不倫」には大変厳しい目を持っている。

芸能人の不倫報道などがあると、当の芸能人を激しく批判し、不倫報道の詳細まで詳しく教えてくれる。
不倫を嫌っているわりには、誰よりも不倫に興味津々に見えるのだが、
「不倫は罪悪の極み!地獄に落ちる覚悟がないなら、やっちゃいけない!!」と、
治美は言う。 そして若い頃に治美が体験したという話を語るのである。

治美は短大卒業後、地元の企業に就職した。
同期には、別の短大を卒業した真千子という女性がいた。
二人は歳も同じという事もあり、話しやすい、相談しやすい相手として、当然のように仲が良くなった。
「私、好きな人がいるの」
ある日の昼休み、真千子が突然の報告をしてきた。
「えっ、そうなの?!誰よ、それ!」
恋愛に興味津々な年頃である。治美は直ぐに喰い付いた。
「瀬山部長」
「ええっっ!!」
その名を聞いて治美は驚き、お弁当の卵焼きを取り落としそうになった。
瀬山部長は年齢四十代後半。
仕事が出来ると言われており、出世も早かったようだ。
年齢の割には細身で、二十歳の治美達から見ても、ちょっと格好良いおじ様といった感じの上司だった。
「でも、ちょっと待って、瀬山部長って、結婚してなかった?」
「してるわよ」
真千子はサラリと答える。

当時は今のように、世間は不倫に対して、それ程厳しくは無かった。
不快に思う人は当然居ただろうが、ネットなどもなかった為、その批判は、あまり世の中には届かなかったのだろう。
男の浮気は甲斐性とか、英雄色を好むとか、浮気の言い訳なのか、正当性の主張なのか、男性達は普通に口にしていた。
「瀬山部長の家庭を壊すつもりなんてないのよ」
真千子は言う。
「ただ、人を好きになる気持ちは、抑えられないの」
「ふーん」
治美の方は、なんだか複雑な気持ちにはなったものの、真千子の行動を咎める事はしなかった。

真千子と瀬山部長の関係は、あっと言う間に女性社員の間で広まった。
何故そんなに早く噂が広まったのか、治美は疑問だったが、
どうも真千子自身が皆に言って歩いているのだということが分かってきた。
仕事が出来て格好良い瀬山部長と、特別な関係にあるという事が、真千子には自慢だったようだ。
付き合う相手の男によって、自分の株が上がったように思う女性は多いもの。
真千子も、そういう女性というわけである。
その頃から治美は、何となく真千子に対する違和感を覚え、少しずつ距離を取るようになっていった。

その女性が職場を訪ねてきたのは、それから少し発ってからのことだった。
年齢で言えば四十代中半くらい。
目が大きい細身の女性は、無地のワンピースをゆらゆらと揺るがせながら、静かにオフィスの入り口に現われた。
「すいません」
たまたま近くに居た、若い男性社員が声を掛けられ、その声で治美も女性の存在に気が付いた。
「瀬山、居ますか?」
その言葉で、向かいのデスクで伝票整理をしていた真千子が顔を上げた。
「部長の瀬山でしょうか?あの、失礼ですが……」
男性社員が聞くと、
「あ、家内です。主人がいつもお世話になっております」と女性は答えて頭を下げた。
瀬山部長の奥さんだった。
「ああ、そうでしたか。ちょっと、お待ち下さい。聞いてきます」
そう言って、男性社員は、その場を離れた。

待つ間、瀬山夫人は出入りの邪魔にならないようにと、入り口から二〜三歩中に入り、珍しそうにオフィス内を眺めていた。
その時治美は、瀬山夫人と一瞬、目が合ったように思った。
だが、瀬山夫人の視線は流動的で、直ぐに外され、それは気のせいだと分かった。
しかし次の瞬間、瀬山夫人の視線が止まった。
時間にすれば一秒程の、ほんの短い時間であったが、ある一点を見た瀬山夫人の顔が、なんの感情も持たない表情に変わったのだ。
その視線の先には、真千子が居た。
そして真千子も、瀬山夫人を真っ直ぐに見ていた。
「すいません。瀬山部長は外出中でした」
男性社員が戻ってきて、瀬山夫人の視線は真千子から離れた。
「お急ぎの御用でしたら、ポケベルで連絡付きますけど……」
「あ、いえいえ、そこまでして頂かなくても結構です。
ちょっと近くまで来たもので、お昼でも一緒に取ろうと思っただけですから。お手数お掛けしました。失礼します」
瀬山夫人は頭を下げると、来た時と同様に静かにオフィスを出て行った。

「ねえねえ、お昼、一緒に買いに行こう」
昼休みになり、財布を持って立ち上がったところで、治美は真千子に声を掛けられた。
「瀬山部長の奥さん、ちょっとガッカリしたわね」
会社を出ると、真千子は言った。
「ガッカリって、何が?」
「思っていたのと、印象が随分違ってた」
「そう?」
「私、瀬山部長の奥さんて、もっと綺麗な人だと思っていたのよねぇ。でもなんか、生活疲れしてるような普通のオバさんだった」
「ふーん」
治美は同意も否定もしなかった。
抱いていたイメージと違っていたからがっかりしたなんて、随分自分勝手な言い草である。

その出来事が切っ掛けとなったのだろうか。
それから真千子の態度が微妙に変わった。
瀬山部長に対しての態度が、何となく図々しいものになり、『部長の女』感を漂わせるようになった。
鼻につかない事もなかったが、はっきり言って他人事である。
治美も他の社員も、噂の種にする事はあっても、それ以上の関心は向けなかった。

異変が起きたのは、その後、直ぐであった。
真千子が会社を休みがちになり、間もなく出勤出来なくなったのだ。
どうも入院したらしいとの噂が流れたかと思ったら、その一ヶ月後、亡くなったとの報せが入った。
死因は子宮がんとの事だった。
急な事に職場では皆、驚きを隠せなかった。
間もなく、真千子の葬儀が執り行われ、治美の他、数名の社員が、受け付けの手伝いをすることになった。
真千子の学生時代の同級生など、若い女性が多く訪れた。
そんな中、酷く痩せた中年の女性が一人居た。
体型より明らかに大きな喪服を纏い、どこか体調でも悪いのか、ヨロヨロとした覚束ない足取りで、受け付けの列に並んでいる。
治美は最初、真千子の親族かと思ったが、女性が名簿に書いた名前を見て、その人が瀬山夫人であることに気が付き驚いた。
以前、夫人が会社を訪れた時とは、容貌があまりにも変わっていたからだ。
目は落ち窪み、以前よりも更に痩せてしまっている為、僅かな期間に十歳以上も歳を取ってしまったように見えた。
目だけが異様にギラつき血走り、恐らくは目の下の隈を隠す為だろう、白過ぎるファンデーションを厚く重ね塗りしている。
夫人は受け付けを済ませると、また覚束ない足取りで会場へと向かったが、直ぐに出てきた。
瀬山部長が夫人の腕を掴み、連れ出したのだ。
夫人は身をよじって抗っている様子ではあったが、小枝のように細い体では、とても抵抗出来るわけもなく、
そのまま瀬山部長と共に葬儀場を出て行った。

翌日から瀬山部長は会社に来なくなった。
一身上の都合との事で暫く休職し、三か月程で復帰はしたが、
何だかすっかりやつれて仕舞い、以前のような男の艶も掻き消えていた。
「瀬山夫人は、どうも精神病院に入ったみたいで、そのまま出て来なかったって、噂……」
治美は声を潜めて言う。
「真千子の本当の死因は、子宮がんじゃなくて、子宮外妊娠だったらしいの。
私、葬儀場で瀬山夫人を見たときに確信したんだよね。
真千子は、この人に呪い殺されたんだって……」
「つまり瀬山夫人は、呪い返しに遭ったということなんでしょう?」
「そう!人ヲ呪ワバ穴二ツ!!百歩譲って不倫をしてしまったとしても、
不倫はバレたら絶対駄目なのよ!!!不倫は誰も幸せにしないのよ!!!!!!」
そして治美の不倫芸能人批判が、また始まるのだった。
おわり

朗読: 怪談朗読と午前二時

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