私が務めていた病院には、嘱託ですが解剖医が存在しておりました。月に何度か身元不明な方や死因が不明な方。そして事件の可能性が高い方のご遺体が、病院内にある剖検室(解剖室の方が馴染み深いかも知れませんね。)に、無言の診療を受けにまいります。
解剖医のY医師は、普段とても気さくでご遺体のお医者であるとは思えないくらい明るい方です。
ある梅雨の時期。ただでさえ不快指数が高く、うんざりした気持ちを笑顔と空元気という鎧を纏って仕事をしている日。私が働く病棟に内線が入りました。
「はい!〇〇病棟です!」
「あー、sayuちゃん?1人剖検室来れる?」
Y医師からでした。この日は、休日で検査技師の方が来るまで、私達看護師が解剖の準備を進めるY医師の手伝いをします。この日、ことごとく先輩達に「行きたくない!」と断られ、仕方なく私が剖検室に向かいました。
剖検室の前には、私服の刑事さんと制服の警官が二人づつおられ、私をギロっと睨みます。
「手伝いに来ました!どいて下さいます?」
警察=仕事を増やして、謝りもしない人!という方程式が頭にこびりついている私は、睨まれた視線などどこ吹く風で、ドアを塞ぐ男性4人を押しどけようとしました。
「中はひどい状態のご遺体ですよ、大丈夫ですか?」
「脅してますか?中の方がバラバラだろうが、色々足りない方だろうが。今は、私達の患者さんなんで!」
気の強さが仇になるとは、まだ気づいていない私。颯爽と剖検室のドアを開くとY医師は珍しく青い顔をして汚物室から出てくるところでした。「どしたの?先生。」と言いかけて、問答無用の悪臭が嗅覚を攻撃しました。血の匂いには慣れています。多少の腐臭にも………汚物室に駆け込み、嘔吐を繰り返し落ち着くとY医師は無言で私に解剖用のマスクを渡してきました。それでも悪臭が目や鼻を攻撃してきます。青い服を着た鑑識の方と思われる方は、既にグロッキー状態です。
「モノは、俺が出すから。sayuちゃんは、その約立たずを追い出して。邪魔しかしないなら、いる意味が無い。」
それでも居座ろうとするおじゃま虫をどけようと、ドア前のでくの棒を呼び。いちばん耐性のありそうな方に残ってもらって。ビニールシートを外しました。
出てきたのは轢死体でした。15くらいのパーツに分断された人間だったもの。見てしまえば、妙に落ち着いてしまいました。仕事であるという気持ちが割り切らせたのか、それとも既に怪異が始まっていたのかは、わかりません。
結局検査技師が捕まらず、私が助手をすることになりました。淡々と外傷所見を取り、分断された頬の辺りをY医師が少し顎側に引くと、先日退院したばかりの患者さんでした。
「あ!」
「sayuちゃん、どした?」
「Kさんです!月曜日に退院したKさんですよ!」
どうやら警察が知りたかったのは、この人が誰かということだったみたいでした。
ドアの向こうでは私服の人らしい警察が、結構な大声で事務に行ったみたいです。
後はパーツごとに縫い合わせて、どうにか人に見えるようにY医師が形を整えられる限りで形成するだけでした。
ずっと鼻の奥にこびり付いた異臭を追い出そうとしましたが、その日はとれず。疲れきった私は、帰宅後、食事もせずにお風呂に入って早々に寝てしまいました。
深い眠りの中、私に何かが這い寄ります。私は全く体が動きません。
ずりゅ…ぴちゅ………ずしゅ………と不快な音が、だんだん私に近づくのですが、本体が全く見えません。逃げ出したいのに、私の体はピクリとも動かず。だんだん怖さを通り越して、怒りが沸き上がりました。正体はわかっています。思いつく限りの悪態を心の中で音の正体に浴びせました。
「看護婦さんよォ……列車に飛び込んだらいかんぞ。」
すぐ耳元で男性の声がしましたがKさんのものではなかったのです。多分恐怖のメーターを振り切ったのでしょう。失神して、気づくと朝でした。
その後、Y医師も同じような怪異に遭っているらしく、私とY医師はお祓いを受けることになりました。事務長の運転で石鎚山の近くにある霊能者の方のお宅に伺うのに、邪魔をされ4時間かかったのは、また別の話…………