おばあさんちの垣根

ウチの近所に、一人暮らしのおばあさんがいる。
もうかなりのお年で、腰も曲がった小さなおばあさんだ。
普段、近所付き合いもあまりしないボクでもこのおばあさんの事を知っているのは、 通りすがりの赤の他人にも「おはようございます」「いってらっしゃい」と誰にでも 声をかけるおばあさんだったからだ。
何度か買い物帰りらしいおばあさんを見たことがあるのだが、 カートを押しながらヨチヨチとゆっくりゆっくり歩いていた。
また別の日には、もう暗くなりかけている家の前に立っている姿を見た。 もちろん挨拶も交わした。
おばあさんの家は少し坂道になっているところに石垣を作って建てられており、 古いけどけっこうしっかりした作りの家だ。
ただ、その家の玄関にたどりつくまでには石の階段を登らなくてはならず、 毎回見ていてこのおばあさんに階段を登る体力は残っているのかと心配になったりもしていた。
おばあさんの家はウチから駅に向かう途中にあり、ほぼ毎日通勤などでその前を通る。
下から眺めると、石垣の上には古い木々が生い茂り、垣根もうっそうと茂り、 家の全貌を隠している。
そして、つい先日のことなのだが・・・そのおばあさんの家の近くに来ると ものすごくいい匂いがするのである。花の香である。
最初はそれほど気にもしていなかったのだが、その良い香りは三日三晩つづき、 さすがのボクも香りの正体を探ろうと見まわした。
「この香りは、ジャスミンか、ハクモクレンか、ジンチョウゲか?」みたいに、 本当は季節が違うのは知っていたが、あまりの甘い香りに思いつくものを頭に浮かべながら あたりを探してみた。そして気が付いた。
おばあさんの家の垣根である。少し暗くてわかりにくかったのだが、薔薇の花である。 薔薇の垣根が作られており、それが得も言われぬ良い香りを発していたのだ。
「うわ~そうか、薔薇か~」そう感心しながらしばらくその香りを楽しみ、家路についた。 もう何年もこの近所に住んでいるのに、あそこにこんないい香りの薔薇があったなんて、初めて知った。
あまり詳しくはないが、ボクの知っているどの薔薇よりも良い香りだ。
薔薇にはたくさんの品種があるそうなので、きっと香りも千差万別なのだろう。 そんなことを思っていた。
翌日、通勤帰りのボクは、おばあさんの家の前で一瞬固まって立ち止まってしまった。 昨日まで、あんなにいい香りを発していた薔薇の垣根が、すべて刈り取られているのである。
おばあさんの家を隠すほどだった木々も剪定業者によってすべて刈り取られていた。 周辺には、薔薇の香りではなく刈られた植物の青臭い香りだけが漂っていた。
その日を最後に、おばあさんの家に明かりが灯ることもなく、家主がいなくなっていることを物語っていた。
近所付き合いもほとんどしないボクには、これ以上のことは知る由もないが、 今にして思うとあの薔薇たちは、自分たちの最後を知ってあんなに強く香っていたのではないだろうか。
最後の最後にありったけ香って見せたのではないかと、そんな風に思えてならなかった。
きっとお世話をしてくれたおばあさんに、最後の挨拶をしたかったのではないだろうか。

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