モーテルの鍵

この話は、私の唯一の心霊体験談です。

学生時代、私はとある国(英語圏とだけ明かします)に一年間、単身留学しました。
学びつつ遊びつつの異国の一年はあっという間に過ぎ去り、気付けば帰国前日。
ホームステイしていた土地と帰国便の時間の都合で、最終日の夜は空港近くのモーテルで一泊することになりました。

モーテルとは、自動車移動をする方に向けた比較的安価なホテルのようなもので、客室の扉の外は直接駐車場になっています。
荷物の運び込みなどを車からしやすいようになっているのですね。
ひとりには広い部屋の中にはバスルームも簡易キッチンもあり、客室だけで全てが完結するようになっていました。
留学コーディネーターさんの運転する車でモーテルまで送っていただいた後は、がらんと広い客室にひとりきり。
コーディネーターさんの「戸締まりはしっかりね」との言葉を思い出し、私は内鍵を施錠してからベッドに身を預けました。

疲れが出たのか、いつの間にかうたた寝をしていた私は、何かの気配に目を覚ましました。
ふと目を開けると、確かに施錠したはずの入口扉がわずかに開いているのが見えます。
私はゾッとして、急いでスリッパを履き扉を閉め、今度こそしっかりと鍵を掛けました。
建付けが悪いのかもしれない、そう言い聞かせながら。
そしてまだシャワーを浴びていなかった事に気が付いた私は、
また施錠を確認した後にバスルームへと向かい、素早く入浴を済ませました。
何かあっても逃げられるように、と服はパジャマではなくTシャツとジーンズのまま、ベッドのあるメインルームへと戻ります。
扉が、うっすら開いていました。
心臓がどきどきと音を立て、ひどく緊張した手で今一度しっかりと施錠。
ひょっとして荷物が荒らされたりしていないか確認しましたが、そこにはなんの異常もありません。
念の為、首から下げるポーチにパスポートと財布を入れてシャツの下に隠すことに。
そして靴を履いたまま、ベッドに横になりました。

恐ろしい気持ちになりながらも、やはり疲れはあったのかいつの間にか眠りに落ち、私は夢を見ました。
月明かりしか差さない、薄暗いモーテルの部屋。
黒い靄のような人影が、ただじっと私を見下ろしていました。
ぎょろりと見開かれた目はそれでいて生気がなく、何をするでも無く私を見詰めるのです。
目を逸らすこともできず、私は一晩中その人影と見つめ合っていたと思います。
気が付いたときには朝でした。
眠った気がしない私は、ぼーっとした頭で起き上がります。
今度こそ、扉は閉まったままでした。

あの人影が、人ならざる何者であるのか、鍵が開いていたことに対する恐怖が見せた悪夢なのかは定かではありません。
しかし、私はこれを唯一の心霊体験談だと信じています。
だってもし、鍵を開けたのが人間なら。
私が施錠しバスルームに向かう間ずっと部屋に何者かが滞在していて、見ていない隙に退室していたとしたら。
その方が、私にはずっと怖いです。

朗読: 小麦。の朗読ちゃんねる
朗読: 思わず..涙。

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